文化村読谷に集まる魅力的な人たち。
はいさ〜い
最近、続々と沖縄から音楽関係者が台湾にいらしています。
先日(6月8日)には、@ZEPP NEW TAIPEIで、徐若瑄 Vivian Hsu x 玉城千春(Kiroro) の公演があって、応援の関係者がたくさんいらしていました。
玉城千春さんは、読谷村出身。
文化村読谷には、魅力ある方々がたくさんいます。
今までの出来事を振り返る機会をいただいたので、整理も兼ねて書き綴っておきます。
以前、沖縄GARDENというイベントをコロナ中に開催して、
玉城千春さんは読谷からライブを生中継で会場と結んで参加してもらいました。
その際にご縁があり、千春さんが台湾にお越しになるとのことで、ライブにご招待いただきました。
この公演は、ZEPP本多さんが企画プロデュースをしていて、Vivian Hsuと、玉城千春さんの、長い繋がりが感じられるとても良い内容でした。
歌声も素晴らしく、ライブでは、一曲目から、沖繩GARDENの時に作った曲を、中国語で披露してくれました。座席満員の会場には、とても暖かい拍手が響いていました。
Vivian Hsuさんのライブを見るのは初めて。
お母さんが泰雅族と聞いたことがあって、ステージング、歌も自然に華があり、とても話が面白く、明るい子が印象でした。
玉城千春さんを繋いでくれたのは、友人の知花徳和さん、沖縄タイムスに勤務して、これまで、多くの文化事業に携わっていますが、千春さんが取り組んでいる、「未来へ#いのちを歌おう」のプロデューサーも務めています。
知花さんは読谷出身、花蓮・台東との相互交流イベント島嶼音楽季 HOT ISLAND MUSIC FESTIVALに、2014年から2020年まで関わってくれていて、他事業でも読谷と台湾の交流の際は、一緒に動いてくれています。
互いの交流をスムーズに行うための、文化交流プラットフォームの設立を目指す仲間の一人でもあります。
彼のおかげで、読谷とは、様々なご縁をいただきました。2015年に沖縄で実施された島嶼音楽季、多くの人数を、長い期間、様々な場所に案内したかったので、受け入れの協力がとても必要でした。知花さんは約20名のアーティストと関係者を読谷に受け入れる際に、公民館に掛け合って寝場所を確保し、ゴルフ場のシシャワーをお借りしてみんなの風呂を手配し、バスタオルは自分の自宅から準備してくれるとか、奥さんのたかちゃんも一緒に、個人として、とても汗を流し、支えてくれていました。
渡慶次公民館での交流では、子供会、婦人会、青年会、健青会、敬老会と、地域一丸となって受け入れてくれる環境を作ってくれて、とても思い出に残る交流事業ができた年でした。
この年の交流をきっかけにして、渡慶次青年会エイサーが SUMING プロデュースの、アミ族音楽祭 AMIS MUSIC FESTIVAL2016 に招聘される流れにつながりました。
そんな状況からスタートした読谷村との交流には、村長秘書の宜保さん(渡慶次自治会)が協力者として加わり、妙武館空手読谷道場の比嘉先生等をご紹介され、武術交流においても相互交流に理解を示し、石嶺村長や田島副村長も共に活動を支えてくれていました。
読谷村では、文化による村づくりの精神を結集する場として開催する『読谷祭り』が開催されています。
読谷村は琉球王国時代、読谷山(ゆんたんざん)と呼ばれる中山国の要所でした。1372年には初の朝貢貿易が行われましたが、当時、中山王の命を受けて初の進貢使として中国に渡り、大交易時代の幕をあけた人物『泰期』は読谷出身。進貢使として琉球で初めて中国へ渡り、その後の繁栄に大きく貢献しました。泰期が進貢船に乗って帰ってくる物語は、「読谷まつり」のモデルとなり、今でも読谷村で語り継がれ、残波岬には『泰期』の像が建てられまつられています。
『読谷祭り』では、地域の方々により、沖縄空手の演武やエイサー、 獅子舞、棒術、伝統芸能などが紹介されているのですが、文化村読谷の魅力を発信する取り組みが、2日間開催されます。 2015年には、台湾での武術交流で、大変お世話になった、南宗少林俗派 第八代掌門 呂松吉 老師一行が招聘されました。
そして、前夜祭でも、知花さん等、実行委員会が企画する、PEACE & PIECE 100万人の平和コンサート2015 が開催されて、元ちとせさん、古謝美佐子さん(うないぐみ)、河口恭吾さん等とならんで、台湾からはTOTEMを招聘してくれました。
そのあと、シャララカンパニー中曽根さんと2018年に企画した番組『J WAVE 30TH Native Music Journey』では、元ちとせさんが、台東・花蓮とつながることになります。
015年年末から、島嶼音楽季沖縄(読谷)開催の際に、台湾の団体受け入れと、カンファレンス会場を提供してくれた、『むら咲むら』で、『琉球ランタンフェスティバル』が実施されています。
読谷村の観光の中核を担っている『むら咲むら』では、訪問した方々に、近隣の読谷村の魅力も知っていただきたいという思いが地域の方々にありました。
年末には、沖縄県内各地でイルミネーションのイベントが開催されていますが、台灣からの来客がとても多い『むら咲むら』で、台灣とも関連があるイベントをしたいと『琉球ランタンフェスティバル』を計画したとのこと。
知花さんから繋がったご縁で、読谷ククルリゾート沖縄の国吉さんから、『琉球ランタンフェスティバル』を立ち上げる際に、技術指導を行う台灣のランタン職人のご紹介や、台湾での広報と誘客の依頼を受け、お手伝いをさせてもらいました。
1992年に放映されたNHK大河ドラマのオープンセットを利用し、文化体験テーマパーク「むら咲むら」が誕生。商工会役員・村民など50余名の有志が出資し、設立したむらおこし企業『株式会社読谷ククルリゾート沖縄』が運営をしていますが、伝統文化等を観光資源として、 体験・滞在・交流事業を展開しています。
今年も『琉球ランタンフェスティバル』あるそうなので、是非遊びに行ってみてください。
とても生活しやすくて、コミュニティがしっかりしている楽しい村、読谷村には、たくさんのアーティストが移り住んでいます。
その中には、BEGINのギタリスト島袋優さん 夫妻がいます。
台湾でもBEGINは「島人ぬ宝」「涙そうそう」が良く知られていますが、優さんは、他アーティストへの楽曲提供や作曲プロデュースも多く手がけ、ソングライターとしても活躍しています。
島袋優(BEGIN)さんは、浦島太郎(桐谷健太)さん等が歌った名曲『海の声』や、Rude-αの『うむい』の作曲も手がけています。
また、「沖縄の暮らしと音楽」をコンセプトに、ギタリストならではの感性で独自の世界観を表現した作品の数々を展示発表し、多彩な一面も見せています。
【島袋優Instagram】https://www.instagram.com/masarushimabukuro/
【BEGIN オフィシャルHP】http://www.begin1990.com/
今回、玉城千春さんのライブがあるとのことで、奥さんとプライベートで応援にいらしたんですが、Japan Entertainment Tours の田造さんから連絡があり、台湾での滞在、一部同行することになりました。
2020年3月に台湾公演を予定していましたが、コロナの影響で中止になってしまったので、ずっと心に引っかかっていました。
石垣のうたの日コンサートに招聘いただいた、MATZKAとも再開し、やっとゆっくり飲めました。
(今回千春さんは忙しそうだったけど、またゆっくり会いに行きますね。)
島袋優さんは、玉城千春さんが、「未来へ#いのちを歌おう」プロジェクトの中で、読谷中学校の生徒と制作した曲「命の樹(桜の木)」
そして、沖縄アミークスインターナショナル中学校の⽣徒たちと⼀緒に作った、平和を願うメッセージソング「Hope Dream Future」のアレンジも行なっています。
玉城千春さんの活動情報はこちら。
奥さんもとても素敵な方で、フリーダイビングで世界連覇の偉業を達成した経歴を持つ福田朋夏さん。
移住先の地元、読谷村の漁師さんの協力を経て、読谷の海にも、少しづつフリーダイビングの環境を作り、インストラクターとして活躍しています。
読谷村内には、聖地『瀬名波ガー 』がありますが、最近は、近隣の人工ビーチなどの砂が流れ着いてここ数年で湧水は埋まりそうになっているとのこと。仲間たちや地域の方に呼びかけて、ビーチに打ち寄せられたゴミに砂の除去を行い、環境保護活動も行なっています。(協力者がもっと増えていったらいいなぁ。)
そんな魅力的な人たちが集まる読谷村。
僕は10代の時によく遊びに行く場所でした。
北谷ハンビー給油所の裏はバイクに乗るお友達と集まる場所でした。
まだ整備中の北谷飛行場後と、近くの読谷飛行場跡は、夜間のドライビングスクールでした。
ハンビー給油所にたむろする、仲間の一人に、五月(ごつき〜)というあだ名の、ケンメリ乗ってる元気な女子や、KP61スターレットを操る前田さんも読谷人だったので、夜中にツーリングで読谷に向かうことが多かったです。(多幸山行きながら)
仲が良かったバンドの子も、JACKの又吉ツーねーとか、保とか、俳優になったこうじとか、竜海、あゆみ、しんちゃんとか、個性的な人がたくさんいます。
かっちゃんが潜りに行く時、連れて行ってくれた食堂も大木海産物でした。
読谷村では、文化で村づくりをする事を推進しています。
戦後、途絶えていた伝統工芸(ハード)や伝統芸能(ソフト)など、地域の宝(文化)を掘り起こし、復興させたり。自分達の文化に誇りを持とうと努力しています。
美しい自然環境と豊かな文化、歴史的な背景が組み合わさった村は、
ゆたさある風(フン)水(シ) 優(マサ)る肝心(チムグクル)
咲き誇る(サチフクル)文化(ハナ)ど(ドゥ) 想(ウム)い合(アワ)ち
という目標を掲げ、豊かな自然、風土、歴史、文化を大事にしながら、村民が心を一つにして、21世紀の夢あるむらづくりに取り組まれているそうです。
地域主義の思想と地域分権は、地域に定住している人たちの自発性と実行力によって、地域の個性を生かした産業と文化を内発的につくりだすもの。
沖縄自治憲章作成を提唱した、故 玉野井芳郎教授(沖縄国際大学教授)の思想は、憲章が存在しなくても、自然に読谷村に集まる魅力的な方々の手で動き出しています。
読谷村は、アメリカ軍におよそ95%の土地を強制的に接収されていましたが、現在は6割以上が読谷村に返還されています。
土地を取り戻してきた読谷村の人々の強い想いと知恵を持ち寄り「環境と文化の村」として村の発展を向上させようとしています。
村内には23の自治会が存在し、地方自治体と協力して、地域の方々は、地元の伝統芸能の再興に力を入れています。また、「読谷山花織」の復刻や、多くの陶芸家が集まる「やちむんの里」など、歴史と伝統文化が息づくエリアも点在しています。
台湾と沖縄は同じ文化圏に属し、その文化の起源と発展過程は非常に似ていると言われています。歴史の重ねを経て、多くの国や地域からの影響を受けつつ、独自の文化を育んできました。その中でも音楽の独特な発展により、「音楽の島」沖縄として知られるようになりました。
「未来へ#いのちを歌おう」プロジェクトを始め、
これからも微力ですが、 平和を愛するアーティスト達のメッセージと土地の魅力を大切に伝えて、繋げていこうと思います。
これからもECの梱包をやりながら、文化活動頑張ります。
# 彦さんありがとうございます。
#音楽の島
#MUSIC ISLAND OKINAWA
#文化安全保障
#ロマンとそろばん
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?