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アルバム『D-DAY』、ミュージシャンAgust Dの持つ最も大きな楽器は「ラップ」だった

2023年4月、BTS SUGAもといAgust Dさんの初アルバム、『D-DAY』がリリースされた。

先行リリースされた【People Pt.2(feat.IU)】と、アルバムと同時に公開されたタイトル曲【Haegeum】のMVが、全く真逆の性質で、「わあ、これはどういったことなんだろう」と思い、わたしはちょっと混乱した。このアルバムは何を語るアルバムなんだろう。

そして、アルバムを頭から全て聴いた。

…重い…!

鉛の球体が、どぷんと、わたしの中に落ちて、そのまま沈んで見えなくなると、わたしの中は静まり返ってしまった…。これは…沈んだ塊が戻ってきて、何かがわたしに分かるまでに、相当時間がかかりそう…。そう思って、ドキュメンタリーを先に見てしまうことにした。何も分ってないけど、しょうがない。この時点でわたしに分かったことは、ただ、「このライブは、異次元レベルで良いだろうなあ…」ということくらいだった。

ドキュメンタリー『SUGA: Road to D-DAY』。1時間20分53秒。わたしは気がついたら、所々で、しみしみ泣いていた。強く感情を動かされるのじゃなくて、ただただ静かに泣いていた。何故泣いているのか、自分でもよく分からない。

SUGAでもなく、ミン・ユンギでもなく、Agust Dは何者か。

見終わって、初め、わたしは自分の中に落ちて行った鉛の球体を拾いに行こうとして、瞑想を始めた。

しかし途中で考えが変わって、まどろっこしいことをしないで、直接会いにいくことにした。Agust Dさんに。

彼は、作業室のソファに横になっていた。そのすぐ横に、ぽっかりと奈落が、人が横にすっかり入れる広さで、真っ暗な穴が、どこまでも深く空いていた。

彼が常に抱えている恐怖とか不安はこういう風に存在しているのか。

メンバーと一緒にいて、ステージでファンに会っている時、彼はそこから離れることが出来る。

一人になるとこの場所に戻る。

「この穴と常に対峙し続ける人格を、Agust Dと彼は名前を付けたのか…」

それを「自分」にしてしまうと、自分が苦しくなりすぎてしまうから。だから彼は、それを「部分」に、自分の一部分にだけ、負わせたのだろう。

その考えは良く分かる、という気がした。

アルバムを、改めて頭から聴いた。

そしてようやく、これがAgust Dさんからの、最上級の愛情表現なのだということが、とてもよく分かった。

Agust D 'AMYGDALA' Official MV

寝返りを打ったら落ちてしまう奈落。常に傍に不安を抱えて生きる人がいる。どうしてそうなってしまうのか。脳の分泌系の問題か、それは胎内環境が原因だったのか、それとも幼少期の親子関係か、遺伝か、個性か。結局分からないし、わたしは、それをもう分からなくていいと思っている。「原因が分かることと、穴が消えることはリンクしないんじゃないか」。妹が常に不安と共に生きたことは終わってしまっている今、わたしにとってAgust Dさんは、「その先」の場所から見える景色を、わたしに教えてくれている。

彼が積み上がる実感を確かに感じられるもの。お金、仕事、賞は、彼を不安から遠ざけるのに、確かに彼の力になると感じられたのかもしれない。積み上げて、不意に崩れる、不確定な「愛」というものに比べて遥かに。

Agust D 'People Pt.2 (feat. IU)' Official MVより

彼の音楽がわたしにとって生々しいのは、不安と自分の間にバリケードを築くために、お金と仕事と賞と愛とを、絶え間なく掻き集め続けて、それが掻いても掻いても指の隙間からこぼれていく。せっかく積んだと思ったものの、振り返れば奈落にこぼれ落ちている、その泥臭さが、まったく綺麗事じゃないから、なんだろう。

それにしても…

Agust D 'Haegeum' Official MVより

【Haegeum】の、暴力とカオスが心象風景にあるような人物を演じる表情と、

[슈취타] EP.8 SUGA with YEONJUN & TAEHYUN

ふわふわの笑顔を「シュチタ」見せるこの方、これが同一人物だと…??

SUGA | Agust D 'Road to ARMY'

ユーモアを見せようとすると、独特の鋭角が出る、この方と、

Agust D 'Haegeum' Official MVより

こちら、同一人物と…?

タンタンタン(撃ち抜かれる音)

そして、この極端な振れ幅を持つ人物の音楽を、「楽しんで幸せを感じ」てくれと…?

BTS SUGA's "D-DAY" album introduction

つまり、この世界の振れ幅を、彼は日常として生きている。彼にとってこの世界観を抱えて生きることは、普通の日常で、「日々の楽しい生活」の範疇に入ってる。

【Haegeum】のMV内で、彼は煙草を吸っている。わたしが大学卒業したての約20年前、大手の飲食メーカーに就職した友人が、社内であったマーケティングのワークショップで、「若い喫煙者を"増やす"ためにはどうしたらいいか」というお題があったらしい。

わたしの考えは、「若いジャニーズのタレントアイドルが格好良く吸う、ビンテージ映画みたいなCMを撮る」の一択だった。わたしがイメージしたのはアジアではなくてアメリカだったけど、【Haegeum】はそのまんま、つまり、めちゃめちゃタブーだったよね、多分これ。【AMYGDALA】MVは、その映像表現から、二重に認証がかかってしまったし(公開直後は無かった)、

つまり、彼が日常持っている心象風景は、タブーなのだ。

へー…。【AMYGDALA】の、こんなにかかってやっと見つけた、彼の救いと光と愛が、この社会では禁忌に入るんだ。「死体」が現代の生活では一瞬で隠されて、箱に仕舞って燃やしてしまうように、「好ましくない」「健全でない」ものは、どんどん人の目に見えるところから排されている。誰が決めたのか、「好ましいもの」「健全なもの」の範囲は、どんどん狭まっていく。

その範囲外が、こちとら日常なんだよ。

むしろ、不都合が存在しているのが生活なんだよ。

そんな「健全」、どんどん堅固を失って、ヤワくなっちゃうよ。

二重に認証がかかることが悪いということではなく、かといって良いことなのかどうか、知恵のある人たちが考えた仕組みなのだから、きっと良い作用があるのだろう。ただ、画面の中で起きている「日常にそれ、全然あるよ…」ということが、「ノーマル」を超えると判断されることに、わたしがちょっと、びっくりしただけ。

ところで今回のアルバム、Agust Dさんがボーカルを歌うところに、明確なネクストビジョンがあるように見える。

[슈취타] EP.9 RM with Agust D より

そこまで思っているとは知らなかったけど、やって欲しい…!すごい魅力あるよ…!

ドキュメンタリー『SUGA: Road to D-DAY』を観ていて、間に挟まるライブクリップで、スタイリングが、これは、「…ロックじゃねーか…」。無茶苦茶似合うのよ。ライダースで上半身ががしっとして。髪が長くて。スキニーで細い脚の輪郭がはっきり見えて。ギターを持って、"歌う"。

ああ、彼ってば、こんなにも、「ロック」をする人のイメージを、自分に持ってたんだな…!

BTS (방탄소년단) MAP OF THE SOUL : 7 'Interlude : Shadow' Comeback Trailer

以前もnoteで書いたことがあるが、hip-hopとロックが一番遠い。hip-hopが「サンプリングの音」、つまり公開されている音源を組み合わせて構築することをアイデンティティにしているのに対して、ロックは生音至上だからだ。ライブクリップ内で、「ロック」のアイデンティティで立って歌う彼が、渦中で「ラップ」をする。「ポップス」の音楽の括りの中に、彼が最も自在に、最も破壊力を持つ「ツール」を、彼が扱える最も強力な、「楽器」として使っている。

これ、歌う彼の、「ラッパー」の「その先」か。「ラップ」は、彼というミュージシャンの持つ、最も優位な楽器、になったのか…?

したらば…こんな…。ひえっ…。

[ENG] SUGA: Road to D-DAYㅣ슈가가 몰래 알려주는 다큐 스포ㅣ디즈니+

びっくりする。びっくりするわ。「何歳までラップができるんだろう」。

彼がドキュメンタリーの中で会っている坂本龍一氏のキャリアが、彼にとって参考になっている、アドバイスをもらったのだそうで。しかし、ドキュメンタリーを観た後の今、彼がまだ出会っていない音楽の他のさまざまなジャンルや、楽器や、音楽の構造を、「ポップ」のジャンルに限定しないで多面的に深めていくことは、彼にとって喜びを増やすことだろうな、と、わたしは思う。

今回のコンテンツ群、作品、MV、プロモーションの類、ダンス、どれもこれも、それぞれに、全然違う、驚く魅力がある。これまであまり見たことのない瞬間がある。めくるめく展開される。心の底から、彼の演技力、表情、美しさ、音楽表現、あまりの多才多芸っぷり、どうやっても、言葉が尽くせない…。

はい…。

しかし、このアルバムタイトル『D-DAY』が、「その日を境に、現在を生きる」という意味で、この体感があって、つまりAgust Dさんと同じく、作品の中に描かれた過去を、過去の中に手放していて、自分が「今日」「今」にいて、初めて、このアルバムを「楽しめる」。

でなければ、重くて、泣けて、沈んで、帰ってこれなさそうなんだが…。

それはそれで、すごく意味のあることなんだけども。

じゃあ、「現在を生きる」、これ…どうやったらそう出来んのって、1冊本が書けるくらい、難しい。そして、そんな本を何冊読んだところで、この体感を獲得出来るとは限らない。

最近は過去と未来にすごく、すごくこだわっています、そうなりやすいんです。いずれにせよ過去も未来もすべて現在から作られるものなので、今の僕のコンディションや本心に集中して生きられるなら、僕がどんな選択をしても、後悔はしないと思います。だから現在を生きることが僕の夢です。

[슈취타] EP.9 RM with Agust D

なんでこれが、難しいことで、夢になってしまうのか。人間の五感は「現在」しか感じられない。「今」を生きることは、構造上単純に考えれば、本来、人間はそれしか出来ないのだ。なのに、ある時の状態を脳が記憶して、再現して、それが今起きてるかのように脳内で化学物質を出している。過去の記憶から未来を合成して、それが今起きてるかのように脳に運動させる。

過去と未来は、脳内の信号の中にしかない。

つまり、「現在」の自分の脳の中、だけに、過去と未来がある。

「現在」の自分だけが、過去と未来にまつわる、脳の伝達物質の流れ方を変えられる。

わたし達が生きている物質世界。この物質は、完全に確固として現実に存在している、確実なものだと思うだろうか?今触っている机は、現実の、確実にそこに存在しているものだ、と、思うだろうか。

しかし例えば、VRのように、脳内にまるで自分が体験しているような視覚を見せて、机に触れた時に起こる信号を、脳に直接送ってやると、手はそこにある机を触っている、と脳は錯覚する。実際に机は無くても。

触れた感触も脳内の信号だし、それを机だと認識しているのは、視覚という二次元画像の、色と形を、シナプスの興奮回数に基づいて、脳内で過去の学習と照らし合わせて判断しているからだ。

はっきりとした確実な「過去」。そして「未来」もないんだよ。過去も未来も可変なんだよ。見えているのは、今、自分の網膜が見ている、今、自分の固有の網膜が写している、景色を、自分の脳が処理した結果だけ。他の人が観ているものを、あなたの脳は知ることが出来ない。あなたが見ている「現実」は、あなたにとってだけの「現実」。

「現実」とは、あなたの脳内の世界のことだ。

Every shit is your wannabe life
このクソみたいな人生は、お前が望んだんだ
Your wannabe life
お前の望んだ現実だ
Your wannabe life, ‘bout me, all me
俺がこうであるように、お前が望んだ
This is your wannabe life, ‘bout me, all me
これは、お前が俺に望んだことだ、全て
This is your wannabe life
これがお前の現実だ

HUH?! (feat. j-hope)

だからパクチーは、「瞑想しようぜ」としか言えない。「きれいな水を飲もうぜ」「きれいな食べ物を食べようぜ」「家を心地よくしようぜ」「今身体が感じていることで頭をいっぱいにしようぜ」。

それが出来たら、「AMYGDALA」、扁桃体の中で、繰り返し過去を現実のように体験している自分を、救うことすら出来る。MVの中で、彼は、ソファの置かれた切り取られた空間に閉じ込められている。その空間に雨が降って、過去の天気が変わる。バイクで配達に行くはずの青年はバイクを降りる。バイクを降り、現在のユンギくんを救いに来る。つまりそれは、扁桃体の中で繰り返し事故に遭う若いユンギくんを、今のユンギくんが扁桃体から解放して、ただの記憶の一部分にリリースした、ということなのだと思った。

記憶の中の過去を変える。

脳が、「過去に事故は遭わなかった」と感じる時の脳の状態になって、それが心地が良いと脳が感じたら、身体の現在の痛みも、その影響を受けて軽くなることがある。

人の脳が「現在」にフォーカスされている時、それは可能になる。人の脳が「現在」にフォーカスされているされていると、人の脳はすごいポテンシャルを発揮する。過去と未来は揺らぎの中にあって、可変だ。自分の過去が変わると、現在が変わる。人の脳が出来るクリエイトは、ここから始まって、どこまでも現在を、すごい速さで変えていく。本来、信じられないくらいの高いポテンシャルを持っている。

誰でも。

しかし…

「特に5〜6年前、何かすごく深い泥沼にはまっていたような時期があったんです」「SUGAさんと会話することがすごく大変だったし、話せば話すほどSUGAさんが沼にはまっていくような時期があったんです」と、RMくんがSUGAくんについて語っているが、

SUGAくん、曲を聴いて分かるように、内面にかなり激しいものを、そして大きな不安を持っている。RMくんの言葉から想像して、自己肯定感の低い、繊細な状態だろうか。この時期のSUGAくんと、同室で過ごしていたジンくんって、改めてものすごいんじゃないか…!

「現在を生きる」という、このことを、ジンくんは結構前から言っているんだよな…。弟達が、ジンくんとは違うルートで、ジンくんをサポートする位置にたどり着いてる、と、思っていいのかな…。

しかし、「現在に集中しようと努力しました」「僕という人間は何者なのかについて改めて集中した時期がこの1年から1年半の間でした」、

「現在に集中する」ことを始めたら、1年から1年半で、人はすごく変わると思う。今選べる選択肢の中で、どれが一番自分を幸せにするかな。どれが一番夢中になれるかな。過去も未来も忘れて、我を忘れて熱中して、ついそういう時間を過ごしたなら、罪悪感を感じずに、それをもたらしてくれた全てに感謝して、またその瞬間から、次の自分に必要なことを、ときめくことを、腹の深いところに尋ねながら「わたしは今何をしたいの?」。選択していけばい。波乗りのように。サーフィンのように。「わたしは何をしたい人なの?」。それを、意識するたびに、そうしようと心がけたら、1年から1年半で、人はすごく変わると思う。すっかり変わる。

今回、彼のアルバムを聴いて、落ちる人はどこまでも落ちるような気がしたし、かすらない人はかすらないような気もしたし、彼のギフトは本当に、それぞれの人が、手元に置いて、開いて、それぞれの感性で受け取る、それが何より素晴らしいことであるという以上に、何かわたしの主観で語れるものは、無いと思った。

だからわたしは、このアルバムのコンセプトと、表層的な部分に言及するに、今回のnoteを留めました。

「D-DAY」、「現在を生きる」ということ。

作品に書かれていることと、彼自身は、現在離れたところにいて、それは彼が「現在を生きている」からだ、という構造に対する理解が、この作品のコアであり、このアルバムのパッケージであったと思う。

そしてわたしはその部分を、この作品を聴くのに、少なくともわたしにとって、最も必要な理解だと思った。


…難しすぎない?笑
世界の聴くレベルは今むっちゃ高いのかな。


それでは、また!!!




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