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IUさんとVくんの功績、IU【Love wins all】


Vくんの右目が白いのが、ファッションじゃなくて失明だったことに気付いた時、あの謎のビデオカメラに写るのはどうやら、若い被写体二人の「失われた可能性かも」と思ったら、残酷すぎる…残酷で悲しすぎる…なんでこんな悲しいもの作るんだ…!

というわけで。パクチーです。

先日、IUさんの新しい楽曲のMVが公開されました、【Love wins all】。

…素晴らしいっ!素晴らしいMVでした!…何が素晴らしいかと言うと、素晴らしいリアリティだった………!!!!

というのは、わたくし、そのちょっと以前に、映画「ゴールデンカムイ」のプロモーション動画を見ておりまして、そこで、こう、もやっ…と…。何日も山に籠もって野宿してたら、衣装はもっと汚れるはずだ。アシリパさんの額当てなんて、そりゃもうむちゃくちゃ汚れるはずだ。帽子のツバも傷だらけのはずだ、とにかく、布ものにハリがありすぎる、肌に接する部分や土に接地する部分は、油と汗と土で、こってりしなっとするはずだ、と…。

その点!IUさんのMVは、デストピアを何日も駆け回って過ごすカップルの、それは素晴らしい再現率でした。素晴らしく健康状態の悪い、衰弱したカップル、そのものである、見事なメイクでした…!!!!!!

本作品の、楽曲、映像作品については、まあ、ご覧頂くとして、わたしが一番「偉大だなあ…」と思ったのは、このMVの世界で、IUさんという主人公が、「全く浮ついてない」、ということでした。これでもっと若くて、勢いのある可愛い新人だったら、「連れてこられたアイドル」になってしまって、画面から浮いたと思う。

そしてそれはVくんもしかりで、

うん、

だって、

彼ら二人が生き抜いてきた世界は、ここで描かれているデストピアの過酷さに十分準じている。

デストピアという名の現実で、IUさんは座長として、ひとつの大きなチームを運営し、先導し、指揮を取り、慈愛を持ってスタッフ達を抱え、責任を負っている。

そんなIUさんのパートナー役のVくんが、彼はそのことの過酷さを全部分かった上で、彼は、何の見返りもないほほえみを相手に与えることが出来る。その過酷なデストピアの過酷さを全部味わった上で彼はなお、他者の中の尊重されるべき輝きを見つけて、愛しんでくれる。彼はそういう能力のある人だと、世界の人が知っている。

二人はそんな、

「象徴」として、

IUさんは、慈愛と強さの象徴、
Vくんは、あるべき姿を見失わずに肯定し続けることの象徴、

そういう「象徴」として、二人は機能しているじゃあないか…。

二人の醸し出すロマンチックさには、全然下品さやいやらしさを、わたしは感じなかった。二人が超えてきた困難は、「個人」の範囲も、「性別」の範囲も超えた能力を身につけさせるものだったことを、わたしたちは知っている。このアジア人の二人は、世界に対して、「個人」を超え、「性別」を超えた価値を、画面の中に立ち現させている…。韓国にてトップを走り続けるIUさんと、韓国を代表するVくんが、今、それらを十分象徴する存在であるのは、とても偉大な所業だ、と、同じアジア圏の人として思った。

この作品はフィクションだけど、フィクションじゃない。ノンフィクションだけど、フィクションだ。と。


IUさんが食べるのが、デコラティブなマカロンで、これは乙女の夢の象徴として、世界の誰も文句は言うまいよ。フォークについた埃にもリアリティに対するこだわりを感じました、ええ。

一方、Vくんの「失われた可能性」が「大福(のようなもの)」なのが、「Vくんがオーダーしたのかな…」と思われるくらいVくんらしくて、美味しそうに食べるVくんの満面の笑みの意味が、「分かる〜〜!美味しそ〜〜〜!」となれるのは、餅系お菓子を食べるアジア人にだけ許された喜びかもしれん…。

まるで、オーダーメイドしたかのように、体のラインが美しいウエディングドレス…(いいんだよっ!)

あれ…靴は…?パンツは…ッ?!(…いいんだよっ!)

歌詞の話をすると、これをIUさんのファンは、どういう風に聴くんだろう…?想像がしにくいな…。わたしにとっては、無茶苦茶重い。ヘビー過ぎる。

IUさんは、MVの中で、デストピアの中にあって自分自身の判断力を失わない女性を演じている。謎のビデオカメラが見せる「失われた可能性」から喜びを享受し、それが現実ではない悲哀と合わせて、両方を余すところなく味わいながらも、自己を見失わない、そういう人物に見える。

そして、Vくんの見せる、VくんがIUさんを見つめる目は、「あなたが美しいことを知っているよ」、という目に見えたのだった。目の前の恋人は、ずっとお風呂に入ってなくて、臭くて、汗と油と埃で何層にも汚れてて、でももう臭いには慣れっこで、ろくな物を食べてないから肌はすっかりぼろぼろで、がさがさの青白い顔で、脂肪もそげて、

それでも「僕の恋人は美しい」。

そう思ってる。そういう目に見える。

どんな過酷さも損なわせられない輝きを、見て、愛しんでいる。

両の目があって、わたし達にはそれが見えてるかな。

彼は、見えている。

Vくんはそういう人だ、というのを見ているかのような、それがVくんの役だった。

中学生の時、クラスメイトに、「朝起きたら、突然、目が片方見えなくなっていた」という子がいた。その子の親は仕事で不在で、「白くなって気持ち悪いからとりあえず眼帯して学校に来た」と言った。後にそれが治癒しないものだと分かり、色素がなくなってしまった方の目には、黒いカラコンを入れることになったと言った。「よく見ると、微妙に反対の目と色が違う」と言った。飄々として、ユーモアさえあった。別の子から、「ストレス性の失明らしい」という話を聞いた。本当のところは分からない。でも、さっぱりした彼女の明るい態度の裏で、わたしが全く気付かなかった、当時感じ取れなかった、彼女が隠していたかもしれない、不安と、恐怖と、「不可逆」の締め殺されるような苦痛、

それが今は想像できるから、

Vくんの回すカメラに「不可逆」が、Vくんの「健全な目」という、わたしの中で「不可逆」と認識されている「失われた可能性」が、カメラを通して見えてしまうことに、かえってものすごい絶望を感じたのだった。辛過ぎる。

悲し過ぎる。

あのカメラは、使用者の希望を見る力が動力?

IUさんが言葉を発せれない役で、Vくんが片目を失明している役で、わたしはBTSの【Fake Love】を思い出した。「見ざる、言わざる、聞かざる」が、振りの中で印象的に繰り返される。彼らの目に映るもの、彼らが聞いたもの中には、今、決して言えないことがある。

それでも、嘘のない、真心を込めているよ、信じて、と、それを繰り返し、何度も何度も歌っていた。

カメラに写るのが「失われた可能性」なら、二人は最後、苦痛に満ちた現実から解放されるように見えて、それはカメラの中だけに写った「可能性」かもしれない。実際にはただ、無になったのかもしれない。

だとしても、Vくんが向けた愛おしさの詰まった目は、意味をなさないだろうか。二人の存在が消えて、わたし達が画面に見つけた愛は、無かったことになるだろうか。見る前と見た後の自分は同じだろうか。見た後の自分の中に感じているものは、無意味なものだろうか。

タイトルは始め、「Love wins」だったらしい。…つまり、「愛は勝つ」だな(知ってるかな〜知らないかな〜!)。

そこから改め、「Love wins all」。

「最後に愛は勝つ〜〜〜」だなーー!!!KANだなーーー!!(知らないかな〜〜〜!)

ではご一緒に。

「信じることさ、必ず最後に愛は勝つ」

…それは、そう、IUさんが自分に言いたいことのようにも聴けた。


それでは、また。




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