見出し画像

ドキュメンタリー【j-hope IN THE BOX】

こんにちは。みなさんいかがお過ごしでしょう。新しい歯の被せが、合ってるんだか合っていないんだか、よく分からなくなってるパクチーです。

さて。j-hopeくんが、2022年にLollapaloozaで本番を迎える時、その傍にはジミンくんがいました。ステージのビハインドで、現地に来て、そばにいてくれたジミンくんに対して、それがとても大きな存在だったことを、j-hopeくんは繰り返しわたしたちに教えてくれた。

最初にビハインドが公開された頃から、これは、どういった意味なんだろう?と思っていた。具体的にジミンくんは、j-hopeくんにとってどういう存在だったのか?彼は何をしたのか。また何をしなかったのか。

【j-hope IN THE BOX】、j-hopeくんの約1年の間のドキュメンタリーを観終えて、Lollapaloozaは、成功するかしないか、本当にかなり際どいところだったのかという印象を受けた。本番のライブの映像を観た当時、1曲目、2曲目で、かなり冷やっとしたのを覚えている。「このテンションの負荷を喉にかけて、本番一本通せるものなのだろうか?!」。正直今でも若干不思議に思っている。なんで可能だったんだ?

そして、成功しなかったかもしれない未来から、j-hopeくんを救ったジミンくんの存在について、改めて考えた。

わたしは、若い頃にしていた舞台の仕事が、演奏で、歌で、バンドがあって、映像があって、ダンスがあって、というようなものだったので、j-hopeくんが具体的にどれだけのことを決定する責任を負っていたか、また周囲のスタッフがどのように全体を進めたか、うっすら霧の向こうにぼんやりと感じることができる。j-hopeくんのドキュメンタリーと比べると、わたしのいた現場はもっと殺伐として、もっと疲弊して、もっと余裕が無くて野生の獣のようだった気がする。だから映像に映っていない部分でそういうシーンがあったかもしれない、あるいはj-hopeくんも周囲のスタッフも精神力で安定をキープしたか、という想像の余地が、あったりもする。

これだけの爆発的なエネルギーを持つ人を、よく10年もの間「7人のメンバーのひとり」に収めておけたな!という気もしたし、以前の彼の仕事からすると明らかにtoo muchなスケール、つまり「これまでの仕事の延長線上」ではあるが、彼にここまで裁量と責任を負わせる、この規模は未経験だった訳だから、これをD-DAYに確実に間に合うように全てを整えておくために、彼はものすごく精度高く取捨選択をしたのだろう、という気もした。必要なレベルに到達するために、一瞬で判断していく、何を捨て、どこに積むか。その繰り返し。それは、センス、だと思った。彼はなんとハイクオリティの目を持っているのだろう。第三の目か。

そして。その、精度高く積み上げた全てを、j-hopeくんは本番直前で崩してしまうかもしれなかったのだった。背負えると思って背負っていた重荷が、本人が自覚している以上に首を、声帯を締めていて、

失敗の方へ押す可能性があったのはj-hopeくんの方で、
成功の方へ押したのは他の人だった。

ジミンくんは一体何をしたか。

この答えを得ようと思って、わたしは瞑想をすることにした。

わたしは思考することも大好きだ。思索の迷路を、一つずつ一つずつ思考を組み立てて、順に何かが理解されていくことは楽しい。でもこの答えを思索で探そうとすると、答えに至るまでに4時間くらいかかりそうに思えた。

床にあぐらを組んで、ただ呼吸をしながら、時間にすると5分か10分経っていただろうか。すーっっと頭の中に切れ目が入るみたいに、

「ジャッジしない」

ということばが現れた。

「たったひとりだけ、ジミンくんはあの場所で唯一、彼をジャッジしない人間だったのか…」

その存在の貴重さ。感謝。異国の空気の匂い、たくさんのスタッフ、緊張感とプレッシャーと山盛りのタスク、

そこにジミンくんは現れて、

その息のつける感じ、ほっとする感じをなんと言ったらいいだろう。わたしは彼が体験したかも知れない感情を味わっていた。ふわ〜〜っと心が解けて、そこを中心に体がぐんぐん温かくなって、涙が次々と溢れた。指先まで温かい血が流れて、自分の中にパワーが、光が溶けていくみたいに、体の外側まで広がっていくのを感じた。体が緩む。安心。

あ。
もう、今は、笑える。

彼をジャッジしない人間。

Lollapaloozaのライブの成功如何に関わらず、成功しようと成功しまいと、このイベントの前と後で、何一つ彼への関係を影響させない、たったひとりの人。

ジミンくんが存在してくれたことの喜びを、臆することなくジミンくん本人に、わたしたちにも、表現するj-hopeくんは素敵だと思った。

j-hopeくん、彼が遠い異国の地で、どれだけの人数のスタッフに対して、自分を律する責任を負っていたであろうか。上手くやらなくちゃ。必ず成功させる。自分の不備は、ここにいる自分が関わったスタッフ全ての仕事を台無しにする。プレッシャー。そこにいる関係者全てとの間に持ちうる負荷。そしてジミンくんだけが、そのことと無関係にj-hopeくんの近くにいた。

【j-hope IN THE BOX】を観た後、わたしは「優れた芸術は、見た者を自分自身と出会わせるなあ〜…」と思っていた。

ジミンくんの在り方が、j-hopeくんに、自分自身と出会わせたのかもしれない。ステージのプレッシャーと、ブランドの重圧と、そのどれからも自由でいるj-hopeくんの中のj-hopeくん。

そして彼のライブは成功した。

ジミンくんが、彼は存在そのものが芸術だから?それはある。ジミンくんの、構いすぎず、放っておきすぎず、本番前のパフォーマーの心情が分かりすぎるくらいに分かるからこそ、寄り添い方はどこまでも、温泉みたいに優しくて、どこまでもどこまでも美しかった。でもそれよりも何よりも、「ジャッジしない」。そのようでいることが、どれだけ人を慰め、自分に力があることを信じさせ、プレッシャーを拭い去るのか。体を緩めるか。自分の中にある愛と出会わせるのか。

その、人が人にし得ることの大きさ。それが彼らの関係を通してわたしが見たものだった。

そしてまた、Lollapaloozaのライブは、j-hopeくんの音楽的な思いから始まっているが、あのステージは「1人のj-hope」と、「j-hopeでない数十人の人々」で成立させることが出来たこともまた、感じた。j-hopeくんのチャレンジを実現させるためには、彼とは違う人が必ず一定人数必要で、そうった意味では、「j-hopeくんはとても稀有で素晴らしい」のだけど、同様に、人々の素晴らしさはイーブンなんだな、とも思った。時計の部品が、見える部位でも見えない部位でも、大きくても小さくても、一つも欠かせないみたいに。この世にj-hopeくんという素晴らしい人物がいるなら、それ以外の全ての人はj-hopeくんと違ったようでいるところに価値がある。

ドキュメンタリーは、ところどころちょっぴり凝った映像の演出もされていて、タイトルも手間があって可愛い。

彼がタイトなスケジュールで、負担の大きすぎるチャレンジをしたのには、入隊というタイムリミットを想定してのことだったのだろうか。もっとゆっくり成長したっていいのに、と思わずにはいられなかった。

それとも彼はそのことすら利用して、必要な能力は10年の間にこつこつ蓄えて、計算づくで時間的制限を跳躍のバネにしたのだろうか。

ステージ上のj-hopeくんは3秒毎にくるくると表情が変わって、全部の意識が細胞一つ一つになっていた。全部の細胞が今の瞬間の情報を拾っていた。ライブの彼は客観視していないんだな…だから自分が記録されることに関心があるのかもしれない。

ドキュメンタリーを観終わって全然読めない。

彼の底はどこにあるか全く見えん!


それではまた!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?