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『のだめカンタービレ』でクラシック再勉強<序>

よぉ〜し今日は【マクベス】を聴くぞ〜…

こんにちは。パクチーです。二ノ宮知子氏の『のだめカンタービレ』という漫画をご存知?2002年に1巻が発売されて、ドラマにもアニメにも映画にもミュージカルにもなっている作品。

今、わたくし、漫画『のだめカンタービレ(以下のだめ)』を再読中でして(図書館で…)……すごい……面白くて……………!!!!

『のだめ』は、音大生が主人公の作品なんですが、巷でのだめフィーバーが起きた20年前の当時、わたしはがっつり音大生で、学内でも話題になってました。特に、指揮の勉強をしているオーボエ科の男子学生が「良く出来てる」と言ったのが、印象深くてですね、彼はヨーロッパで活躍する日本人指揮者のお弟子さんで、ヨーロッパに勉強しに行ったりする大変優秀な学生さんでした。そう、まるで。そういえば彼も白シャツを着ていた。

わたしはそもそも、ピアノ科を第一志望に受験して落ちた、音楽教育学科の学生でして、教育科というのは、そういう「ピアノ科くずれ」と「歌科くずれ」と、本当に教育者になりたい人の、3種がおるところです。あまり真面目でなかったわたしは…そうね…音大卒で「ピアノが弾けます」と言う人の中で、わたしの実力は…下の上くらいか…。中の下にしとくか…。

ピアノ科の受験には大抵、バッハ「平均律クラヴィーア」と、ベートーヴェン「ソナタ」、ショパン「エチュード」から、それぞれ1曲ずつ課題曲が出されます。毎年指定される曲が違うので、受験生はその3種をひたすら学ぶ。パクチーは…それぞれ何曲やったかな…どのシリーズも約30曲前後あり、全曲なんて無理、全然…。入学して、学年が進むと、ドビュッシー、ラヴェルなど、弾ける人はリストとか、ラフマニノフとかをやります。学科はあまり関係ない。わたしは…リストは1曲…、ラフマニノフは無理…。

そんで。わたしが今何をしているかというと。

「作品中に出てくる楽曲を片っ端から並べて、全部聴く」

ということをやっておるのです。読んでると、作中で演奏されている曲が、どうしても聴きたい。キャラクターたちがこのシーンで感じてる感情を、自分も音楽から感じたい。弾いた曲もいくつかある。知らない曲もたくさんある。やり始めたら止まらなくて、わあ、音楽っていいなあ、クラシック、すごく楽しいなあ、人様が作って下さったApple Musicのプレイリストをダウンロードして、漏れている分を調べ、足りない部分を探して補完し…、

…その時、

「そんなことして、何になるんだよ」

と。はっきりと頭の中の声が聞こえた。クリアに。

…これって、誰の声なんだろうね?お母さん?漫画を読んでる時には感じない…そうじゃなく、何か、わたしが真剣に、何かに、本気で取り組み始めようとするとかかる、「静止」。…ん、そう。何になるんだろう。何にもならない、というか、何かにしようと、思ってなかった。頭の中で、わたしは言い訳を探して、…誰に?何に対しての?…でも…、待って、時間を費やすことには、ちゃんとした目的がないと、駄目なのか?お金になるとか、仕事に繋がるとか…そういう益がないと、やっても意味がない?っていうか、誰?わたしが言ってんの?これはホロスコープで言う「月」のネガティブな力?それか「冥王星」の?

確かに自分には、上がった血の気が下がるような、強い静止がかかった。

でも、それを落ち着いて、やり過ごしていくうちに、

[ぽちゃん]

と、ある瞬間わたしはクラシックの海に落ちたのだった。

ベートーヴェンのピアノソナタの8番、これを、誰の演奏にするかが決められない。プレイリストに入れるのに、どれも素晴らしくて、ああ、録音って音が良い方が絶対良いと思ってたけど、レコードからリマスターしたバックハウスの、1954年のうねうね言ってる録音がすごく良くて、ああ…関係ないんだ…音楽の本質ってそういうところじゃないんだ…。そういうのを全然超えたところに込められた何か、そういうものを、わたしは聴いてる。そういうものを聴かせるのが音楽だ。それにわたしは感動してるんだ…。

ああ…この世にはなんて名演奏が多いんだろう…。…人生の全部を使っても聴ききれないくらいなのに……!

…と、わたしは全く新しい精神状態になっていた。全然違う感じで音楽を受け取っていた。この曲の、この楽譜もある、これもある、これもやった…でも、今、わたしがまともに弾ける曲が、一曲もない。聴きながら楽譜を眺めて、立ち上がって、

ピアノの蓋を開けて、
弾き始めたら、

分かる…!なんだかすごく良く分かるぞ…、この作曲家、何がしたいのか良く分からずにただ弾いてたけど、なんだ、無茶苦茶シンプルなことだったじゃないか。例えて言うなら、子供の頃大雑把にしか分からず見ていた時代劇が、大人になったら、「起きてるドラマが、セリフの言ってる意味が分かる…!」みたいな。なぜこれを複雑だと思っていたんだろう?

わたしにとってピアノは試験のためのもので、音楽は仕事に使うために聞かなくてはいけないもので、どうやって努力してもいつも努力が足りなくて、不勉強を恥ずかしいと思わなくてはいけなくて、…わたしに嵌まってた音楽に対するそういう枠組みは、するっと抜け落ちて、そのまま音楽を、音の粒を、音楽家の心のゆらぎを、そのまま聴ける、受け取れるようになっていて、

静止の声の先に行けた時、新しい世界、ふかふかの胎盤の中で過ごしてるみたいな空間が、わたしのために用意されていた。

そう。

それで。

だから、先日、わたくし、音楽関係の小惑星を、自分のホロスコープで調べてみたんですよ…。実は…ずっと避けてたの!に!なんか怖くて!丁度noterのakkiy☆さんが話題に取り上げてて、丁度、その、前日に!

こんな感じだった。

あれ…きれいじゃないの。なんか、あんまり、きれいな線しか出てなくて、なんだ…今世、音楽はわたしにとって、ただのご褒美で、良いんじゃないの!?しかも6室、10室、12室、は、わたし主要な天体のない空っぽのハウスなんです(6室にはヴェスタあり)。

わたしはもともと、反対側の月が持ってるザビアンが「知力の頭に溶けていった健康な頭」なので、気まぐれに何かをオタク的な集中力で追求している時、最も心が自由なんですよ。そこにToneが合してると…。Toneは「自分が発する声や雰囲気」を意味するらしいですが、古今の演奏家の音の洪水に浸ってた自分としては、他人の発している莫大な「tone」の情報量からも、わたし、心が自由になれるような恩恵を受けてるな…と思って、癒されたのでした…。あとカリオペ(惑星番号22)という、文を書くことに関する小惑星もここに合してるので、本当に、なんのしがらみもなく、ただ純粋に喜びなんだな、書くのが…。いつも読んでくださる方々、ありがとうございます。

エウテルペ(惑星番号27)、エコー(惑星番号60)、シンガー(惑星番号10698)、音楽関係が3つ6室なのが、「ああ…そう…通りで…」みたいな気もしつつ…。教えは苦じゃないんだけど、わたし、お金もらって教えるのが好きじゃなくて…。最近、レッスンを頼まれた人に(約1名)、物々交換で教えたりしてる。…もっと仕事しろって?それとも、教えとか伴奏とか、そういうことじゃないのかな。

でもハルモニア(惑星番号40)、あと書かなかったけどカンター(惑星番号19246)が、12室で獅子座にあるのが、個人的には嬉しい。

…ホロスコープの解釈として正しいのか分からないが、

ハルモニアは宇宙の真理と、人間の波長を一致させる、そういう機能として、音楽、そういうスケールの大きな「調和」を意味する。カンターは、それに歌い手として参加する人。だから、常に人間より大きなものに奉仕する意識がある。…って、まんま、丁度『のだめ』に出てきたんだけど。自分にとっては、音楽が最終的にそういうものであるのは、おそらく間違いない。

一方、エウテルペは、叙情や詩を、それがちゃんと快楽として脳に刺さる音楽に変換させる能力で、クリエイティブな能力と思われる。シンガーは、「自分」を歌に出来る能力だから、軸は「自分」にある。宇宙的な方じゃなく。

そして、エコーは音響に関する耳の良さ、かなあ…。聞く耳の感覚というか。イメージ。…わたしはハルモニアとエウテルペがオポジションなので、「一緒じゃねーぞ」っていう感じが、なんかあるんでしょうね。

以前のnoteで、「期待に応える」という欲と、「目的無く、内側から湧いて、時間を忘れて熱中するもの」の欲と、二つを分けて考える、という事を書いた。そして、自分の夢中になれる好きなことが分かってるなら、「期待に応える自分」が、例え自分にとって不自然であっても、無理に手放そうとしなくて良いんじゃないか、ということを書いた。

しかしだ…。しかしだね…。いや、それはそうなんだが、

「目的無く、内側から湧いて、時間を忘れて熱中するもの」の方には、あなたが今世で「経験したい」と思うものが、全部ある。全部入ってる。全部入った、一体型キット。

そうなのだ。そうなんだよな…と、『のだめ』読んでてすごく思った。「好きなこと」をやってると、苦労も、絶望も、感動も、快感も、成長も、裏切りも、感謝も、人類への愛も、多分この世の最上も、全〜〜〜部体験する。全部!ある!…きっとそれは、心の中で、本当は、どこか、あなたが、実は「体験したい」と思っていた体験で、自分に必要な全ての感情を体験させる、ツアーになっている。

これ、そういうゲームなんですyo。

だから、もしも「期待に応える自分」を手放したら、人生で大きな損失…取り返しがつかないんじゃないか…と思われるかもしれませんが、そっちに入ってるものって、結局は、「目的無く、内側から湧いて、時間を忘れて熱中するもの」の方にも入ってるんで、大丈夫!大丈夫だよ!って、言いたかったのでした。

反対側の月が輝いていて、それが太陽を輝かせることにつながるみたいに、わたしはこの音楽の小惑星のトラインたちを、いつも、友達みたいに、周りにいてくれる妖精みたいにして、苦しまず、ただ喜びだけを与えてくれるものとして使い続けて、いつも触れて、そうやっていると、それは他の星々にプラスのエネルギーだけを与え続けてくれて、と、これは、そういう存在なのなのかもしれない。

「そんなことして、何になるんだよ」

目的なく、益なく熱中して、

その答えは、

きっと、わたしの知らないカラクリで、きっと、太陽が輝くんだよ。どういう順番で、どういうプロセスでかは知らないけど。

大学に入るまでを見てくれたわたしの恩師は、故三浦洋一先生という方で、わたしがピアノ科を受験したいと言った時、「ね。ピアノって、楽しいでしょ?」とおっしゃった。先生が本当にピアノを楽しんでいたことを、今、わたしやっと分かりました。先生の音、大好きだった。わたしにはピアノを弾けなくなった時期が何度もあるけど、記憶の中の先生の音はずっと好きでした。わたしが絶対に出せない音。深くて重い。先生が、音と一緒に、音楽に対する愛を、わたしに、アンカーみたいに、ちゃんと深く、抜けない場所に残してくれた。わたしはこれから、いくつも、音楽を通してそれを思い出していけると思う。

名演奏を、人生の全部を使っても聴ききれない(…わたしは今まで何をやってたんだろう)と、ほんのうっすら感じる後悔は、後悔は言い過ぎだな、それほど大袈裟なものじゃないが、それは、快感のある苦さだったよ。ええ。欲しかった。

という訳で。

蛇足かも分からんが、最後に、『のだめ』に出てくる曲の解説でもしてみよう。

『のだめ』を読み終えてみると、「かなり重要な曲だったんじゃないか」と思われる、モーツァルトの2台のピアノのためのソナタ。K.448。

やったんだーよ。楽譜もあるだよー。

思い返してみると、ピアノ2台の楽曲って、音大行ってなかったら、やらなかったかもしれないなあ。練習するのも本番も、ピアノ2台あるところって限られるからなあ。音大にはあるけど。

2台って、これ意外に難しいんだよ!連弾だと隣で感じられる気配が、感じられない。自分の鍵盤と楽譜見てるので、相手のことが見えない。遠い。あと、モーツァルトの場合、指の回らなさがダイレクトに相手の足を引っ張る…。

僕の記憶では、まず冒頭、画像の2小節目のトリルの数が、1stと2ndで合わない。ぐしゅぐしゅってなる。

なんか表紙の内側に良いこと書いてあった…。この時の先生、教授だったんだけど、やってはいけない事をして懲戒免職で辞めさせられちゃったんだよね…。

わたしは、ラドゥ・ルプーさんという人とマレイ・ペライアさんという人のデュオの音源に、すごく胸を打たれました。ぴしゃーーーー!!!っと合ってる、奇跡のデュオじゃないの…?なんという気持ち良さ…。こんなにがっちゃんと嵌ったら、恋にも落ちるわ…。ピアノでフォルテシモを出すと、それなりに相当大きな音が出ますが、2台だとその音の深みが、ぶわーんと倍!になるんだよ。いつも自分が聞いている音の、その小さいところから、大きくなるまでのレンジが、倍になるカタルシスが、なんか、ありますね。

…と。本当は、こういう話がメインになるつもりだった。あまりニーズはなさそうであるが。

ところで。

ここ1週間くらいクラシックばかり毎日聴いていたら、本屋さんで流れた宇多田ヒカルさんとか、Vaundyくんの、声から感じる情報量が、むっちゃくちゃ上がってた。

なんか、ちょっと耳が良くなってるみたい。

クラシック聴くと、音楽聴く力が、上がる、かもですよ!

以上です。


それでは、また!!




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