見出し画像

優しい男子をエンパワーメントするのは誰なの

ジョングクくんの【3D (feat. Jack Harlow)】を聴いた時、これまでBTSは女子をエンパワーメントする歌を、たくさんたくさん歌ってきたよね。そのままでいいんだよ。君には力があるよ。あなたは自分を愛して良いんだよ。だったら男子はどうだろう。男子は、同じように、あたなはそのままでいいんだよ、そのままの自分を愛して良いんだよ、と、言われてきたであろうか。

【3D】は男子側の生理を肯定する応援ソング、「そのままでいいんだよ」に相当する、と、わたしは最初一瞬思った。男性から見て、あの歌はどうだろう?と、わたしが訊ねるとおそらく「女性をこういう扱いする男なんて許せないね」と格好をつけて、「俺はこんな風に女性に接しない」と、ジョングクくんたちの上位に自分を置く。そうなんだよなあ。「この歌詞、これ正直本音でしょ?」と訊くと男子は反発する。だからそう発言し辛い。そして自己分析ができてる男子のみ、「クッッッッッソ羨ましすぎる」「俺の人生はこうなれないけど」、に転ずる。

そういう思いがあったから、【TOO MUCH】が、この曲が、男子の、めためたに傷ついている心に寄り添う歌じゃないか、と感じて、そう思って、優しくて泣いた。

前回のnoteで、わたしは、ジョングクくんの【3D】に対しての署名活動で、それに「差別」や「蔑視」を冠することに嫌悪があると表明した。とても嫌だ。

なぜかと言うと、あの作品にそれを冠すのは、それはとても暴力的だと感じるからだ。

Xから流れで見つけた、あるインタビューのnoteを読んだ。その中にとても興味深く思った部分があった。

性的なトラウマを持った女性と性行為を持った際、男性が女性に「好きにしていい」と言って主導権を渡したら、男性が血塗れになった、という話の部分。

皮膚をぎっちり掴まれるわ、割かれるわ、ケツの穴に指を突っ込まれるわで、完全にモノとして扱われたんですよ。でも、きっとそれは、彼女のトラウマを解消するために必要な自己治癒の一環だったと思うんですよね。

女性が過去に傷ついていることを知っていて、受け身に徹することを自分に引き受けられる、と自認している自意識が、まず「なかなかお目にかかれない男性だな…!」と思う。そしてわたしは、この女性が、「ものすごく怒っていて、とても深く傷ついてる」のだ、という印象を持った。

彼女がそうしたかった気持ちは、なぜか、すごく、とてもよく理解できるんですよ…!なんか、全然、理解できてしまう、なんか、全然…。

ものすごく怒ってる。
そして、
とても深く傷ついてる。

フェミニストを標榜する女性たちは、自分の性が自分にもたらした他者からの扱いに対して、ものすごく怒ってる。そしてとても深く傷ついてる。だから、ああ、話を聴いてくれる優しい男の子を、血塗れにしたいんだな。と、わたしは、そう、一部の激しいアクションをとる人たちについて、そう理解した(違うって言って怒られそう)。

「TOO MUCH(もううんざりしてる)?」。そう訊ねてもらって、肩を抱いてもらって、優しくて、傷ついて、痛みに共感できる男子は、誰かにフォローされてきただろうか。ものすごく怒っていて、とても傷ついている女子達の隣で、誰かがフォーカスしてきただろうか…。彼らはどうやってエンパワーされ得るだろうか…。

ところで。

Vくんが『Layover』のプロモーションで日本のワイドショーに出演してた時、最近見ているアニメで『地獄楽』って言ってたのよ。

『地獄楽』かあ。読んだことある。絵が好きで。アニメになってたんだ〜と思って、先日Netflixで見ました。

この作品は主人公たちが謎の敵と戦っていくんですけど、途中から、「タオ」という体術?のような理論?の体得が必須条件?のようになってきます。そのタオがね、作中でどういうものか説明されているんだけど、一回読んでたけど、ふんふんって、ファンタジーだからね、それ体得すると超人的な強さを得るんだけど、アニメで再度見たら、

ハードアスペクトの統合か…これ…。

と思って泣いてた。ハードアスペクトとはホロスコープ用語だけど、人はそれぞれ「全く相反する要素」を内側に、いくらでも持っていると思うんです。「サボりたい・でもやらなきゃ」「怖い・でも言わなきゃ」とか。ふたつの真逆の要素を、どちらかに振るんじゃなく、戦わせるんじゃなく、荒れた内面を、混ぜて、鏡面のようにさせる。呼吸を整えて、中間点を取る。中道。と、まるでこう書くとわたしが理解しているみたいだが、正直わたしは作者さんの言わんとすることが、分かってはいない。

でも、「両極がそれぞれ大きければ大きいほど、中道のエネルギーが強い」のかもしれない、と思ったら、なんか感動したのだ。相反する強い思い。それぞれが独立して、反対方向へひっぱろうとする、自分の中の強い力。どちらかを捨てるか、どちらかを組み込むか。わたしは「葛藤の統合」をそのように考えていたけど、そのどちらもでもなくて、強いままでいい、強い必要がある、両側がわんわん燃えたまま、中道を観るのか…?

最近、男性のYouTuberの人を複数人見てる。その方達を見ているとわたしは、男性が「女性性」を十分統合すると、こういう風になるのか…!と思って、じーんとしている。

彼らの共通点はいろいろあるんだけど、今回特筆したいのは「怒り」である。怒ってんの。ちゃんと、怒ってるの。でもね、怒りがある理由は愛があるからなの。それを、だから、心から怒りを感じて、しかし、わたし達視聴者にはとても淡々とそれを開いて、見せて、それだけ。怒りを、何か攻撃とか別のものに使わないの。怒りはただ、純粋に、「怒り」だけとして扱う。そこがゴール。終点。

最近わたしは、ジャニーズ問題について、認知を深めようとしています。

うちにはTVがないので、一般の人がどういう情報に触れているのかを知りません。SNSでジャニーズファンの方との接点もないので、ファンの方の心情も把握していません。

わたしがトップ記事に設定しているnoteがあります(【もうすっかり大人のパクチーの「なぜBTSにこんなに感動するのか」】)。そこで、わたしがかつてしていた舞台の仕事で、アイドルさんと関わったことがあることについて触れているのですが、その方はジャニーズ事務所のアイドルでした。

当時、わたしはジャニーズ事務所の性加害を噂で知っていた。驚くことに、内容は今開示されてる情報と比較しても正確だ。

わたしが知っていたくらいだ。業界の人はみな知っていたろう。わたしの憶測。

ほんの少しの期間だけ同じ空間にいて、彼が、普通に生活していたらそうそうお目にかかれない、類を見ない、選ばれた人だと分かる、生物として稀有で優れているのを目の当たりにしていて、わたしはそのことを覚えている。

そして、

彼らが仕事を通してファンに与えているポジティビティの高さと、扱われた肉体がぐちゃぐちゃにした心の部分について考えようとすると、

いつでも、いつまでたっても、いくつかの感情でぐしゅぐしゅになる。

それでも、わたしには一個だけ、わたしの救いになっている考えがある。

芸能の神様は彼らの魂を救う。

それは祈りみたいにそう思っている。

なぜそう思うか。それは舞台で生きる人が、あるエネルギーで劇場を満たす瞬間を、何度もわたしが見ていたからだ。芸能が、空気を振動させて、人々に、自分自身のポジティビティと出会わせる。人々は客席で、魂が滝に打たれたように瑞々しさを得る。そのエネルギーは彼らの命を保っている。文字通り、生かしている。

彼らが救われて欲しい。彼らは救われ得る。
わたしは感謝している。
彼らに敬意を持っている。

ジャニー喜多川氏の行為は、「グルーミング」というカテゴリに分類されるらしい。グルーミングについてと、それがどう精神に影響するかを知るのに、とても良く理解できた動画があった。自分のために、自分の考えを整理するために知りたい、と思われる方には有益かと思いました。もちろん、しんどかったら見る必要ないし、何もかも全て、しんどい思いして、無理して何かを知る必要はないんだけども、わたしにとっては、土台、必須の認識、だった。

見る方には是非、動画を飛ばさずに見て欲しいのですが、わたしは、このかなえ先生が、この件に関してものすごく怒っていると思った。多分、動画見てる人は「怒ってる」とは思わないと思うんだけど、すごーーーく怒っている。ちゃんと怒ってる人がいる。わたしはそれに救われた。そういう類の救いってあるんだ。ポジティブな言葉や態度だけが人に救いを与えるんじゃないんだ。初めてそう思ったかもしれない。怒ってる。強い怒りがある。

と、同時に、とても深く、悲しんでいる。

怒るのは愛があるからだ。愛があるから、このことがとても悲しい。だから怒っている。

そして、それらを出来るだけ全部ならした、「中道」に、この解説がある。単なる「怒り」でなく、わたしを救った「怒り」は、「中道から見た怒り」だった、だから救われた。

ジャニー喜多川氏の性加害で、今もまだ問題だと思う点は、何が、この問題を明るみに出さなかったか、という点だ。一部に知られていたし、一部は知っていたし、これだけの深刻な重大な犯罪の事実が、一般世間に明るみにされる機会はそれこそ無限にあったはずなのに、何かがそうさせなかった。この件はもっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっと以前に明らかにされて、以降の被害を断ち、構造が正されても良かったはずだった。何かが庇護し、何かが隠蔽し、何かが、ジャニー喜多川氏がそういう人物であることを必要とし続けた。それは?それは、ジャニーズ事務所よりももっと上の位置にある何か、であると、まあ、そう、普通に考える。次に明るみにされるのは。多分恐々としてるだろう、知らんけど。ジャニーズ事務所、だけ?男子、だけ?アイドル…だけ?芸能界…だけ?日本…だけ?

調べていくと、その度に、いつでも、いつまでたっても、わたしはいくつかの感情でぐしゅぐしゅになるんだけど、

結局、その感情は、いくつかのぐしゅぐしゅになる感情は、大別することができる。

怒り

悲しい

になる。なるんだよね。

ここで一旦自分の文章をコピペする。

でも、「両極がそれぞれ大きければ大きいほど、中道のエネルギーが強い」のかもしれない、と思ったら、なんか感動したのだ。相反する強い思い。それぞれが独立して、反対方向へひっぱろうとする、自分の中の強い力。どちらかを捨てるか、どちらかを組み込むか、わたしは「葛藤の統合」をそのように考えていたけど、そのどちらもでもなくて、強いままでいい、強い必要がある、両側がわんわん燃えたまま、中道を観るのか…?

これから必要なのは、中道だよ。これから必要なのは、中道かよ。ふたつの真逆の要素を、どちらかに振るんじゃなく、戦わせるんじゃなく、荒れた内面を、混ぜて、鏡面のようにさせる。呼吸を整えて、中間点を取る。今後、いかに、何かがどのように、事実が、明るみになってきた時、わたしたちは両極の感情を持つかも知れなくて、でも、それは、中道を自分の中に見つけないと、建設的に前に進めなくて、でなければ結局、心優しい誰かを血塗れにする行為で、自分を癒そうとしてしまうじゃんか。

わんわん燃えてる感情の、怒りと、悲しみとを、ぴーんと両側に引っ張った糸が、

水平に震えながら止まるところ。

それを感じながら、今このnoteを書いてる。

どちらかに傾いてもこのnoteは、怒りに飲まれても言葉が荒れるし、悲しみに包まれてもぐるぐると同じところから進まない。水平な場所に落ち着いて、いる瞬間だけ、帰結に向かって、文字を一文一文積み重ねることが出来る。

んだな、と、今感じながらわたしは書いている。難しい!このnote、ここまでに数日かかっている。ジャニーズ事務所について、これまで何度も書こうとして、その度に失敗してる。その時はそれが分かっていなかった。

アイドル、

彼らはステージの上で、たくさんのエネルギーを通している。自分の体をパイプのようにして、自分のエゴを脇に退けて、それは愛とも呼べる。人々にポジティビティを与える行為が、通り抜けさせ続けるそれが、本当に純度の高い、きれいなエネルギーであるから、だからこそ彼ら自身をも救っている。彼らは、その行為を通して、彼らが生きていける分くらいだけの、心の裂け目を、綴じ合わせることができるのだ、と、わたしは思っている。

彼らの仕事に、わたしは敬意を持っている。
感謝している。
救われて欲しい。救われ得る。生きて欲しい。

それが、わたくし、
パクチーがnoteを始めたきっかけなんだよね!

そして、

アイドルに、ポジティビティをもらったわたし達は、彼らの人生を一部、「自分ごと」にしたわたし達は、いろんな感情がぐしゅぐしゅになって、

その先は、

中道を見つけようぜ、ってのがこのアカウントの目的なんだな、と思ってるところです。


それでは、また!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?