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Jimin【Face-off】と、ねこふんじゃったの不義理

BTS ジミンくんのソロアルバム『FACE』の1曲目、【Face-off】は、「ねこふんじゃった」から始まる。「ねこふんじゃった」って、どうやら世界中にある曲らしいね、日本の曲かと思っていたよ…。この曲の詞、友情の喪失について書かれたことであるらしいことが、Weverseの公式ライブでちょっぴり語られていた。BTSメンバーSUGAくんプレゼンツのシュチタでジミンくんがゲストの回でも、この曲に関して、「人間関係が一番難しい」と…。

なぜ、「ねこふんじゃった」で始まるのか。

小学生の時、覚えたての「ねこふんじゃった」を友人たちと弾くのが楽しかったような、そんな時代。その時代を共有した友人を喪失したことについての曲なのかしらん…。

と、そんなことを思い当たったら、

結構…、

哀しいものがあるなと思って……!

ジミンくん27歳。

20代中頃って、道が分かれるよね…。同じ教室で同じ時間を過ごして、その後もどこか同じ景色を共有しているように思えてたのが、だんだんと生じる生き方や価値観の違いが、違和感を超えて、ある時「分かり合えない」ところまで離れて行ってしまう切なさ。仕事の進め方。優先順位。結婚したり、家を買ったり、子供が生まれたり、あるいは結婚していなかったり、家を買わなかったり、子供がいなかったり、

夢を追い続けて生きる人。夢を諦めて生きる人。別の大学に進学したり、研究室に残ったりする人。

入った会社で、その先がなんとなく見越せるようになる年齢でもある。

「この先、俺はこの程度だな…」

自分は普通の物語のいち構成員だ。
特別なストーリーの主人公じゃない。

そのまま安定ルートを大きく外れず堅実に進むか。あるいは転職してスケールを拡大しようとレールを踏み換えるか。あるいは自分の本質を知って、合うスケールに縮小するか。体を壊して充電期間を取るか。会社を辞めて一人世界旅行に行くような、夢を現実にする未知を歩むか。

20代。

小学生の頃、互いに対して差異のなかった、「何が大切か。人間の、どの要素を評価するか」。それが大人になるにつれて、それぞれ後から育った人格、エゴと自意識が、その人自身をマスキングして、交友関係、使う言葉、暮らし方、価値基準をそれぞれ、見合ったように、変えていく。

言葉が通じなくなっていく。

共有できるものがなくなっていく。

これって、結構…

わたしは哀しかったな…。

ジミンくんは以前、友人関係で彼の感じたことを少し語っている。

[ENG] BTS j-hope X Jimin X Jung Kook Interview (Full ver.) | #YouQuiz

そしておそらく、それらの体験を通して彼が経た経過が、その後のインタビューで少し語られていた。

JIMIN:僕はまだ若いですが、この年齢でたくさんのお金を稼いでいるので、「お金や成功って果たして何なのか」と思うようになりました。若いのでいろいろな話を聞いたりもして、周りの妬みや嫉妬を買ったりもするじゃないですか。でも僕が恩返しすべき人たちもたくさんいますし、守るべき関係もたくさんあって。そういう問題はすべて解決できるだろうと思っていたんですけど、振り返ってみたらそうじゃありませんでした。すべてを無理して手放さずにいようとするのが僕だったということがわかったのは、つい最近のことです。

一種の責任感のようなものだったのでしょうか。Weverse Magazineとの前回のインタビューで、ご自身が「愛されたい人」だと話していたことも思い出しますが。それほど、関係のある人たちに最善を尽くそうと思っているようですし。
JIMIN:
はい、意地を張っていたんですね。意地です(笑)。他の人から見たら、「自分のこともちゃんとできないくせに」(笑)って言われてもおかしくない状況ですけど、ずっとそう思っていた部分もずいぶんありました。そこまでする必要はなかったとも思いますし、時間が経ってみたら、「ああ、今になってでもこう思うようになって、気にしなくていいことは気にしなくなって良かった」ともすごく思いましたし。そういうことを気にせずにいられなかったので、心のしこりがもっと大きくなっていったんです。傷も大きくなって。あの頃そういう感情を抱いていたというよりは、状況によって無意識に受け入れていた感情がありましたし、「過ぎてみたら大変だったんだな」と感じるような気がします。

充分頑張っていたわけですが、そのような気苦労をやめたら、どんな気持ちになりましたか。
JIMIN:
最初は虚しい感じもありました。僕が考えて主張してきたことを、自ら否定する感じも受けましたし。でも両親といろいろな話をしながら、「僕、こうだったんですけど、全部知ってました?」と聞いたら、「何を悩んでいるかは知らなかったけれど、気づいていた」と言っていました。それで僕が抱く感情も共有するようになって、そして父も母も人生の先輩として話をしてくれました。そんな時期を経てきたので、同じ行動をしても、気持ちがずいぶん変わったように感じました。以前は周りにもっと集中していたのが、今は自分にもフォーカスできるようになったんです。母は僕に「あなたも年をとっていく過程だ。やっと少し大人になっていっているようだね」と言っていました。それで僕は「大人になりたくないな。大変すぎる」と返しました(笑)。

「お金」が、結構なキーワードのような感じがしますね。

わたしは自分が全然お金にならない仕事の仕方をしていたし、周囲で、自分の特殊能力で稼いでる裕福な人ってとんといなかったので、友人関係にお金が絡む感覚は分からないんだけど、著名な人の著書などを読むと、周囲がおごられることに慣れて、あるいは金銭を当てにして、それを敬意なく当たり前だと思うようになっていく、というような文面があった。高額を返してもらえなかったことが何度もあったり、税理士が持ち逃げすることすらあるのだと。

ジミンくんのこのインタビューを見た当時は、「なんと胸が痛む…」と思いながらも、どこかピンと来ていなかった。セレブが味わう、本来対等であるはずの友人関係の苦悩について、想像の域を出なかった。

そして【Face-off】で、初めて、この当時の彼の苦痛に満ちた感情を、ざぶっと頭から被ったような感じがした。わたしはこれが、友情関係の破綻についてだと、かつてインタビューで語られていたことと、この曲が通じると、まさか思っていなかった、それほどまで彼にハートブレイクさせた友情関係があったのだと…(想像です)。この曲に込められている感情が、彼が味わった感情なのだったら…本当にきついな……実際にどういうことが起きたのかは分からないのだけど…、

落胆。とにかく、落胆、という印象だ。

インタビューの内容の背景を、今改めて想像しようとして、わたしが想像可能なのは、例えば彼が、自分と関わりのあった友人たちに対して(おそらく一般人の)、援助したり、融資したり、どうしても緊急にまとまったお金が今すぐ必要だ、という場合に「自分が助けてあげられる」と思ったのかもしれないな、ということくらいだ。もしも不義理を働かれた場合、一度でも信用した相手なら、その人を見限るのは、自分の辛抱が足りないように思ったのかもしれない。「自分は裏切られたのかもしれない」と考えることは、友人を信じ足りないせいだと思ったかもしれない。

「自分は裏切られたんだ」。それが真実の場合、そう認識するまでに感情はどれだけのプロセスを辿るだろう。そう心の底から腑に落ちて納得することほど、辛いこともないだろうと思う。

やがて、その人自身のスケールの成長のために、仮に恨まれたとしても、あえて手を貸すべきでない時もあることを、彼は見極めるようになったのかもしれない。自分の力じゃない、返せない借りで何かを成しても、結局自分の力にならない。結果業を増やしたり、却って重荷を増やしたり、遠回りになってしまうから。

先日、わたくし、お花見をしたんですよ。そこで、我が子のお友達のお父さんが、「ちゃんとした挨拶もせずに9年務めた会社を辞めてしまった若者の話」をしてくれた。その若者が高校を卒業した時から面倒を見ていたらしい。「別に俺が育てたとは思ってないけど、ちょ……っと傷ついたな……」。…。そう…。そう、いう不義理を、しちゃうよなあ……!!って年代が、20代だったな………!!!!わたしもしてるなあ…!!申し訳なくて顔を出せない場所、あるよなあ…!!!

そん時は、分かんないんだよね。ただ、ちゃんと敬意を表して、ちゃんと挨拶すれば良かっただけなのに。その意味が、その時は理解できていないんだよね。

後から分かるんだよね…。

それだけのことが、どれほど大切なことだったか。

そのことで、どれだけものを失ったか。

そこで与えてもらったものが、どれだけ価値のあるものだったか。

自分のことだけで頭がいっぱいで、何か間違ったようなことはしていない、自分の中ではつじつまが合ってる、って思っちゃってたよ。自分の感覚は正しい、って。

その行為が、どれだけ周りの人を傷付けたか。

全く想像していなかった。

ジミンくん、今すごくいい顔をしていると思う。さっき改めて1、2年前のインタビューを見た時に、全然印象が違うと思った、特に目が違う(カラコンのせいか?)。今、彼の目はすごく深く、複雑で、綺麗だ(カラコンのせいなのか?)。

もしもここで紹介したインタビューが、【Face-off】の下敷きになっているものなのだとしたら、約2年で当時持ってた思いを彼は消化したことになる。わたしは、かつて自分が非常に消耗した恋愛について、「自分は深く傷ついた」という思いを手放すまでに、10年がかかった。別の人結婚して、出産して、その時点でも消えていなかった。恋愛と友人関係は違うけれど、同性に対して「殺したいほど憎い」という思いを、何年も持ち続ける人だっている(その人はわたしの大切な友人だが、その憎しみを手放した時、その友人は本当に顔が変わった)。ジミンくんが、出来事を消化して、かなりあからさまな表現でこのことを作品にした、彼の精神が今あるところまでだんだんに強くなっていく過程は、本当にきつかったはずだし、あっぱれだし、ブラボーだし、喝采だし、賛美だし、


人の心が、傷を負ってなお強くなれることの、自然に元から与えられている機能、その素晴らしく美しい完璧な機能、それをわたしは、今見ている、目の当たりにしてる、という気持ちになる。

【Face-off】冒頭の「ねこふんじゃった」は、何となく小学校の教室に置かれている足踏みオルガンを彷彿とさせるような音色で、バックに入っているざわめきがもしも学校なら、声の高さ的に中学くらいか…。学生の頃の友人の何が貴重か、大人になってから分かるそれは、うまく言葉にするのが難しい。数多くいる同級生の中で、たった数人だけ、今でもわたしにとって特別な人がいる。それをあえて言葉にするとどういう感じか…。何者でもない、性別もない、魂だけの純粋な「わたし」の一部が、その友人の中には真空パックされて入っている。そんなような感じのことだろうか。その「わたし」は、もう世界中探してもどこにもいないのだ。すっかり大人になってしまったわたしの中からも、わたしの家族の中からも、いない。

何者でもない、性別もない、純粋なわたしの魂は、その人の中で完全に無条件に肯定されている。お互いがそうである。そういう関係は、社会人になってみると、稀有であることが分かる。わたしは多分、彼・彼女らを、基本的には何があっても許してしまうと思うし、どんなに理解できない、共感できない人生を選んでも、心底助けを求められた場合は、無条件で助けるんじゃないかと思う。それは共有してきたものの掛け替えのなさが、社会で後から身につく概念を超えたところで、何か、「彼・彼女らは自分と地続きである」ことを、自分に理解させるからであるような気がする。

ジミンくんが、同じような感情を友人の中に持っていたか、どうか。

20代。それは、その意味を知らずに他者へ不義理を働いてしまいがちな年代だ(もちろん、しっかりした人もおられよう!!!)。後から身につく社会性が、人間関係を損得で見始めて、物事の価値を換金し始める。そして、自分の中の何者でもない、性別もない、純粋な魂が発する声は、幼稚で価値がないと思い込んで、蓋をしていく。

けれど、その段階を過ぎると、不思議と、人は取り戻していくような気がする。社会に出て、人に負けまい、潰されまいとして身につけた鎧が、他者を傷つけ、自分を傷つけ、本当に自分が愛するものから自分を遠ざけることに気づいた時、人は還っていくような気がする。小学生くらいの自分へ。

だから、ジミンくんを深く傷つけ、彼にこんなに悲痛で美しい作品を生み出させた、ジミンくんの友人であった人は、今は気づかなくても、いつか気づくんだろう…自分がしたことがどういうことだったのか…自分のしたことの意味が…。

まあ…

ずっと気づかずに終わる人もいるんだけど…。

ちなみに「小学生」とは、抑圧される以前の純粋な好き嫌いを生きている状態、という意味でわたしは使っています。この時代に抑圧されて育った人は、この表現に違和感を感じると思うので、その場合は、ごめん…。意図はそういう意味です。

本当は【Like Crazy】が好きすぎて、それについてnoteを書こうと思っていたのでした。でも「ねこふんじゃった」と「小学生」のリンクを思いついたら、自分の20代の不義理を思い出して、罪滅ぼししたくなって…!このnoteは贖罪です。ジミンくん。ごめんね。わたしが不義理を働いた人々…ごめんなさい…。そしてまた、わたしが味わう他者からの不義理も、きっとどこかで、自分のしたことと合わせて辻褄が合っているのかもしれない。必要なわたしの学びの一部なのでしょう。ありがとう、ジミンくん。


それでは、また!




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