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明日に活かせる、BTSメンバーから学ぶライフスキル

パクチー、彼らを見ていると時々、

「なんて心の使い方が上手いんだろう!」

と、はっとすることがある。彼らがしていること、これが出来たら、このあり方で身の回りの人に接せられたら、どんなに実生活がスムーズになるだろう、どんなに周囲の人とのコミュニケーションが深まるだろう、と、思うことがある。

彼らがお互いから目を背けず、真剣に向き合い続けたことで洗練されたコミュニケーションの手法、互いを傷つけず、関係を深めていくアイデア、一緒に1つのものを作っていくための知恵、そういうものが見えた時、

彼らを好きでいることって、自分にとってなんという財産だろう!

明日から、今から、それをしよう!

と思う。

彼らの態度があんまりすてきなので、わたしも彼らを好きでいることで、少しでも良く変化したいし、彼らが見せてくれるものを自分に生かして、もっと自分を良くしたい。

今回は、パクチーがそんなことを思ったいくつかのシーンをピックアップしました!

1.謝る

彼らが、彼ら同士のコミュニケーションで、すっと、すっきり「謝る」シーンに、はっとすることがあるのは、きっとパクチーだけではないであろう。

自分の仕事をこだわり持ってやる人ほど、真剣にやっている人ほど、よくよく考えた末にアウトプットしているからこそ、プライドを持っているからこそ、下準備に自信があるからこそ(くどい)、いざ自分の誤りを認めるとなると大変な苦痛を味わう。何か、削り取られるような、剥がされるような、地に這いつくばるような、否定されるような。

けれどジミンちゃんのこの「謝り方」を見ると、「謝る」ということは、何も減らないし、むしろその人の魅力さえ感じさせてしまう。

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BTS Reacts to BTS on the Internet (방탄소년단) | Explain This | Esquire より

彼らが共同で1つのものを作り上げようとしている時、互いに真剣に取り組んでいるからこそ、自分の誤りを認めるのは辛いはずだけど、互いにより良くしようというビジョンを共有しているからこそ、謝ることを苦痛に感じさせる自己のプライドをコントロールして、みんなで先に進むために、謝る。そしてシークエンスに区切りをつける。

彼らからは、そんな磨き上げられた謝り力を感じます。

時には、申し訳ないという態度と表情でもって、平に謝る必要がある場面もあるでしょう。でも、いつでも眉毛を八の字に下げて、腰を低くして、卑屈になる必要はないのだ。腰を立てて、目を見て、丁寧に、少しはにかみながら、

「わたしが悪かったです」

と、言うことも出来る。そう言われようものなら

「ん、そんな、謝ってくれたならいいよ」

と、そう答える以外に答えようがないに違いない。

そんな、謝り方にも引き出しがあってもいいよな、と美しいジミンちゃんを見て新鮮な気持ちになりました。

ある時期から、メンバー同士で「謝る」というシーンが散見されるようになったように思うが、パクチーは何か文化比較の本などで、韓国社会はあまり「謝る」という行為を良いものだと見做さないと読んだことがある。実際はどうなのだろうか?住んだことはないので分からない、でも韓国の若い人たちは、BTSのメンバー達がきちんと謝るのを見て、どのように感じるのだろうか。

パクチーの身の回りにも、ひたすら謝らないタイプの人もいる。夫婦でも、お互い悪いと思っても謝らない(謝れない)タイプの夫婦もある。でも、パクチーとパクチーのパートナーの間では、悪いと感じた時に、謝って、そこで互いに気を済ませて、次のステップに進めた方がお互い気持ちがいいかな、と思っている。効率的というか。でもその場で謝るのが難しいときもあるね。1日遅れて謝ったりとかね。やっぱり簡単なことじゃないね。

とはいえ、甘え上手ににこにこ謝りながら、同じ過ちを繰り返すようなタイプは、謝り方が上手でも困っちゃうけどね。

(パクチー、J-HOPEについてのnoteで、一部認識が間違っている部分がありました。他の方のnoteを見て気づいたのですが、事実とは違ったことを元に感じた感想を書いてしまっていました。

間違った情報を元によそ様にお伝えしてしまったこともショックでしたし、こういうことが起こり得るのだという自分の甘さにもショックでした…。読んでくれた方、特にスキして下さった方、大変申し訳ありません!

その部分については修正をいたしました。今回のことを期に、良い内容で書けるように考え方を新たにしようと思います。陳謝。)

2.ショックはその場で解消する

子供が泣きながらしゃべろうとしたり、泣き終わる頃、「ひくっひくっ」としゃくりあげることがあります。あれは泣くことで発散されるはずだったエネルギーが、泣くのを止めようとすることで出口がなくなって、ああいう形で解消されようとするそうです(野口整体より)。

そこでこれ。ゲームの最中にゆんちゃん(SUGA)がTVモニターに突っかかって電源が切れてしまった、Run BTS! - EP.116のジンくん。

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この時のジンくんの出している声があんまり気持ちがいいので、ここだけ何度も繰り返して見てしまった…。

このジンくんのすごいところは、

  • これからゲームに使うために体の中で用意されていた集中力と、

  • それが突然電源が切れたことで行き場を失って代わりに声として消化されたところの、

その両方のエネルギーがまったくイーブンに見えることである。

この時起きているのは、体の中に用意されていたエネルギーが、突然行き場を失ったことによるショックです。ショックを受けた時、それを何らかの理由で抑えてしまう、溜め込んでしまうと、「ゆんちゃんがわざとやったのではない」と分かっていても、それは変質して「なんでユンギ電源切っちゃったんだよー!」などの怒りに変化してしまう。でもショックをショックとしてそのままエネルギーを解放出来れば、怒りに変わる前に、この事態は解決するのである。

ジンくんの、その場でクイックリリースする能力の高さたるや。

ほんとに通りのいい体だなあ…。

そうやって、その場でエネルギーのフラストレーションを解決して、身体の恒常性を保つ。溜めるとエネルギーは鬱屈して、体の不調になったり、怒りや恨みになったり、扱いづらいものに変わっていきます。

最初の事の起こりの部分は、「ショック」という善でも悪でもない、エネルギーが体の中で行き場を失う、ということが起きていることが、大抵の場合に当てはまるような気がします。

そこに気づいてあげられると、そういう面から自分を見つめることで、過去に起きたことの怒りや悲しみを解消する、糸口になることもあります。

ちなみに、これは別の話だけど、この後のホビ(J-HOPE)の「ヒョン、女人天下(時代劇)みたいでした」というセリフも、異化効果(突然違うタイプの表現を介入させることで、オーディエンスの感情を冷静にさせる舞台用語)があって、場の緊張を通常に戻す役割がありました。それぞれが分担してバランスを取ることをしているから、チームとしてレベルが高いのだなあと、しみじみ思います。


3.思いついたやりたいことはやってみる

しばしばメンバーがメンバーに語る、

「〇〇のすきなようにやって」
「やりたいこと全部やって」

というセリフ。

パクチーはあれが大好きなんです。

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Run BTS! - EP.113より

だいたいはステージについて語られることが多いセリフ。彼らのライブを見ていると、きっと感じることがあると思います。

例え同じ曲であっても、

同じステージは、2度とない

ということを。

「あの時ああすれば良かったな」「これ言いたかったのに迷って言わなかったな」という、それが良く出来るイメージがあったのに、迷ってしなかったことって、かなりはっきりと「悔い」になって残ります。もし上手くいっていたら、もっと素敵な体験が展開したかもしれないのに。想定以上の体験をさせてあげられたかもしれないのに。

でも同じシュチュエーションの、同じステージは2度と戻ってきません。

上手くいかないかもしれない恐怖や恐れが、ためらわせる。

「いいものを見せたい」という気持ちが、失敗を恐れさせるプレッシャーになる。

その恐怖はなかなか強くて抗いがたいものです。そして、「上手く出来たかもしれない、もっといいビジョンに到達できたかもしれない」のに、不安に負けてその瞬間しかないチャンスを逃し、後悔する。

そういうのを繰り返すうち、

「チャレンジを失敗して受けるダメージより、後悔のダメージの方がきつい」

ということをはっきり感じます。

「やらない後悔より、やった後悔の方がいい」いうのは良く聞くフレーズですが、パクチーには「やらなかった後悔のダメージの方がきつい」という比較の方が実感があります。やれたかもしれないのにやらなかったダメージの方が全然、長い時間落ち込ませるので、実感として非効率的だと感じます。だからメンバーの誰かが何かやろうとしているのを見つけたとき、それを見た他のメンバーが勇気が出るように一押ししてあげていることに、とても互いに対する愛とサポートを、パクチーは感じます。

これ、舞台人に限ったことではないですよね。

人生、似たシュチュエーションは多けれど、まったく同じ瞬間が2度とないのはステージと同じなのですから。


4.自分の大切な人を褒める

BANGTANG BOMや、他の色々なバックステージの様子を見ていると、メンバーが互いに、割合最上級の言葉で褒めるのを見ることがあります。

メンバーの誰かが、パフォーマンスがちょっと不安だった様子を見せると、間髪入れず、すっと不安を拭ってくれる。

最初は少し不思議な感じがしました。プロ意識が高い彼らは、もっと互いのパフォーマンスを批評的に見て、高めようとするのかな?と思ったからです。

でもそうじゃなかった。

プロとして、メンバーを信頼して尊重しているんだ。

プロフェッショナルは、上手くいかなかった時は自分が一番良く分かるし、欠点にアプローチする必要も、手段も、自分が一番良く分かっている。チームメイトは、それぞれが向上することを信頼して、まず心理的にサポートできる関係であることが、強さになるんだな、と思いました。

もちろん、メンバー同士でも、「これはアウトだ」という基準を下回れば、指摘し合うと思います。でもそこをクリアしていれば、それ以上に互いに欠点を指摘し合うチームは、ぎすぎすしますね。批評や批判は、本人に求められればきちんと自分の考えを提供すればいいし、あるいはチームメイト以外の専門性のある人にモニターしてもらってもいいのですから。

しかしこれ、近しい人ほど、大切な人ほど、クオリティを求められること、やらなければならない仕事、やって当たり前のこと、などをした時に、

「あなたのしたことは、最高だったよ」
「すごく良くやっているよ。素敵だったよ」

とか、褒める。

って難しいよなあ!と思います。

本当は、日常のことでも、仕事上のことでも、いつもやっていることが、実際は一定のクオリティでコンスタンスにアウトプットしているなら、それは賞賛に値する。嘘の気持ちじゃないんです。でもちょっと照れくさいし、改めて言うのもぎこちない。

でも、大切な人だったら、本心だったら、勇気を出して褒める言葉を口にするようにしました。

とてもいいことだと思います。


5.理解しようとしない、そのまま受け入れる

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2020年のFestaで、メンバーが書いたプロフィールです。ゆんちゃんが書いた「防弾少年団のチームワークの秘訣」のところに、「理解しようとするというよりもそのまま受け入れる」と書いてあります。

ど、どわあああああ、
すっげーーーーーー

びっくりしました。すごく、納得感、腑に落ちる感があって。
夫婦という近いはずの距離であっても、本当に、理解を超えるんですよーーー!あるいは親子、あるいは兄弟、あるいは近所の人、職場の人、なんでも当てはまりますが。

近い人ほど、大切な人ほど、理解しようと努めますね。愛情がある分、そこらの他人とは比較にならないほど、理解に深いエネルギーを傾けているはずです。ところが!そうまでしても、他人と比較にならないほど理解に努めているのにかかわらず、「なんじゃこれ理解を超える、なんで?」ということが砦の向こう側に存在するんですよ…。

ああ、理解しようとしなくていいんだ。
あ、理解しようとしなくていいのか。無理だから。

そう、分かろうと、分かるまいと、
その人はそのままでいいのだから。うん。

それはそういうものだ、ということで、カエルが緑色なんだから、氷は冷たいのだから、フクロウは夜行性なのだから、その人がそういう性質を持って生きている、生き物なのだと。好きに生きるべきなのだと。

そうやって、7人が並んで歩いてきたんだな、と思いました。

わたしも、そうやって身の回りの人の大切な人たちと歩いていける、より良く力を合わせて生きて行こう。

自分にも、彼らのように出来るんじゃないか。パクチーにそんな可能性を感じさせてくれる考えでした。



ということで。
いやー!
2020年の年末の音楽番組でのBTSのステージが、それぞれ半端ない規模で「作品」のような様相ですが、彼らが最先端の技術やスケールで映像を作っているように、彼らのチームワーク、人間関係のスキルも、最上位にレベルしているのだと実感します。

リアルタイムで彼らの到達しているものを見ることができるって、なんて嬉しいことでしょう。

BTS、Fighting!





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