トルティーヤはそんなに好きじゃなかった

「トルティーヤ」

私がソレの存在を知ったのは約3年前、上京をしてきた時だった。

ある日スーパーの棚で見かけたソレは春巻きのような、タコスのような、、
なんとなく洒落てる食べ物だな~…と。
そして勝手に「きっと私、これ、好きだな。」とも考えていた。
(ちなみに、私はまだタコスを食べたことがない。)

月日は流れ、私はそこのスーパーに行く度にその棚の前で立ち止まっては、「はてさて、これは美味しいのか?」や「どんな味なのだろうか?」など、あれやこれや想像をしていた。
で、結局「まあ、今日はまだ“その時”ではないな。」と買わずに立ち去っていたのだ。

……自分でもいつが“その時”なのかは不明だが、味を想像している時間が楽しかったのは確かだった。

そしてついに“その時”はきた!

とは言っても、探していたお目当ての商品が無かったため「じゃあ、トルティーヤとやらを食べてみるか。」なんて、トルティーヤに失礼な理由でその時は訪れたのだった。

薄い皮に包まれた物体が二本。

一つは野菜と甘辛く味付けをしてある牛肉入り。
もう一つはこれまた野菜とポテサラ入り。

うむ。見た目はヘルシーそうだ。

いざ、実食!
まずは牛肉の方から。

がぶり。

むにむに…しゃくしゃく……

(「…………。」)

しゃくしゃくしゃく…むにむにむに……

(「…………。」)

うーん。ニガテカモ。

私には牛肉についてるタレの味がキツかった。
辛いものは好きだが、これは口の中がピリピリした。

そして皮が思ってた感じと違う。味気ない。

野菜も、なんだか虫にでもなった気分になる。

気を取り直して、次にポテサラの方を食べた。

さっきの牛肉のよりは良かった。

でもなんか違うな~…と。

この違和感は何なのかを考えてみた。

一つの仮説として、どうやら私の好みは

皮:柔らか<パリパリ
野菜:生野菜<温野菜

らしいことが挙げられる。

そういえば私は生春巻は苦手だが、揚げ春巻は大好きで、野菜を食べるときは大抵温野菜にして食べる。
さらに餃子にいたっては、もちもちの皮よりもパリパリの、なんなら焦げてるくらいのものが好きだ。

「そうか、私、トルティーヤはそんなに好きじゃなかったのか。」

今まで食べもせずに勝手に自分はトルティーヤが好きだとばかり思っていた。

食べ終わって、その味の余韻と少しのショックとで暫くぼけ~っとしていた。

今回はトルティーヤだったが、こういうことは人生においても起こりうることなんだろうなと思った。

つまり、試してもいないのに勝手に決めつけていることがあるということ。

嫌だな~、と思ってることや
楽しそう!やりたい!と思ってること。
他には、美味しそうだとか不味そうだとか。

もちろん、“直感”というものはあるだろうし、その感覚は大切にした方が良い。

でも、やりもせずに「きっと無理」とか「難しいよね」とかって心にブレーキをかけてしまうのはもったいないよね。

私自身、今そのブレーキを強く踏んじゃってる状態にある。

やってみなきゃわからないのに。

ああ、
この悩みがトルティーヤなら、もう答えは出てるのにな。

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