小澤が将棋を好きになったきっかけ(前半)

自家製のチャーシューを食わせてくれる人が好き、小澤です。

さて最近ツイッターのアイコンを変えたんですね。前のアイコンがジャッキーチェンみたいな顔していたので。もうその写真ないんで持ってたら誰かください。

ついでにプロフィールも変えよかなって思ったんですよ。で自分プロフィール見たら「将棋」って書いてある。

小澤将棋やるの?

本当いうとほとんどやりません。ちょっとさせるくらい。ただ好きになるきっかけがあったんです。将棋。今回はそれを話そうと思います。ちょっと長くなる気がします。お付き合いいただけたらと思います。ところどころ情報誤ってる可能性ありますが雰囲気だけお楽しみください。まさかの前後半ですがちょっとした人間ドラマだと思ってお読みください🙇‍♂️

みなさん将棋の棋士ってどんなイメージお持ちでしょうか。寡黙で難しいことずっと考えてて近寄りがたい。勝手に今作ったイメージなので違かったらすみません。

どんなイメージであれみなさんキャラクターがあって面白い人ばかりなんなんですよ。有名なのが加藤一二三さんですね。加藤一二三さんの逸話ネットで見てるだけで一日終えることできるくらい色々書いてあります。面白さもさることながら凄さを知ることになると思います。

将棋の棋士ってすごいんですよ。地元で天才だと囃し立てられた子供たちがプロを目指して「奨励会」にはいる。天才秀才しかいないところでまた勝ち上がって行かないといけない。原則21歳までに初段、26歳までに4段(プロ)にならないと奨励会を退会させられて棋士の道を諦めざるを得ない。年にプロになれるのは4人だけ。天才秀才がここで多く消えていくのです。加藤一二三さんは中学生でプロになってる。マジ凄すぎ。

プロになっても安心、なわけがない。険しいその道を通ってきた猛者たちが戦う順位戦が始まるのです。C級2組、C級1組、B級2組、B級1組、A級。年間リーグを戦って勝ち残って上のクラスと入れ替わっていく。上がることあれば当然下がることもある。一番下に居続ければ強制的に引退させられる。厳しい世界。そのピラミッドの一番上に君臨するA級はその年のトップ10人しか在籍できない超エリート天才集団。その中で一番強かったものだけが名人に挑むことができるのです。名人はさらにその上に君臨するというまあ途方もない話なんですわ。恐ろしい。

さて日々棋士同士で争っている中で「将棋電王戦」いうものが行われることになります。

2010年から始まった将棋のプロとコンピューターの将棋ソフトを戦わせるという企画です。見たことないでしょうか、チェスの世界チャンピオンがコンピューターに負けて頭を抱えているシーン。見たことない人は自分で頭抱えてみてください。そんな感じです。

将棋はチェスより複雑な選択肢が多いゲームで当時コンピューターと人間が戦ってもどちらが勝つかわからない状態でした。棋士も負けるわけないという人たちが大半でした。

そして始まった「第一回将棋電王戦」。当時日本将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖が将棋ソフト「ボンクラーズ」に挑みます。米長邦雄永世棋聖。名前なゲェな、そうお思いでしょう。棋聖というの将棋のタイトルの一つで、永世はその棋聖というタイトルをずっと保持してると「似合ってるねぇ、ずっと名乗っちゃいなよ」としてくれるやつです。よくわからん人はとにかく米長邦雄永世棋聖は強い、そう思っていただけたら結構です。ちなみに米長邦雄という男も面白い逸話いっぱいあります。ボッキしながら踊ってたとか。

ともかくそんな強い米長邦雄永世棋聖、将棋ソフトボンクラーズと戦い、そして負けるのです。2回。二戦二敗です。

当時一線を退いてたとはいえ米長邦雄永世棋聖。将棋ソフトに人間が負ける。狭き門くぐり抜けてきた猛者が負けるわけない、皆が思っていたその中でこれはなかなか衝撃的な出来事だったわけです。

そしてこれを受けて2013年、「第2回将棋電王戦」で行われます。

小澤が将棋を好きになるきっかけになったのがこの第2回将棋電王戦なのです。


といったところでまた明日です!ぜひ後半も読んでください!


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