自分という銃で言葉の弾を放つとき
書く習慣38日目!
本読んで思ったことを書いていきます。
今日からは『つながるための言葉~「伝わらない」は当たり前~』
著者の勝浦さんは法政大の「ボアソナード・タワー」の名付けをした方なんですって。学生時代は、正直「変な名前だな」という印象しかありませんでしたが、人名から来てたんですね。
己を知ることからはじまる
少し前にコピーライティングの本を買ったのですが、いまいちピンと来なくて、偶然この本にたどり着きました。
分かっていたことなんですけど、必ず自分と向き合わされるんですよね、この手の本って。
言葉というベクトルのあるものを人に向けて発射するときに、自分という銃の砲身がどちらに向いているかが正確に分からないといけない。私にとって、自己分析というのはそういうイメージです。
しかし、33年生きていますが、自分が一向に分からない。
その結果として、人の心を打ち抜くはずの弾丸はあらぬ方向へ行ってしまう。なんなら暴発して自分だけ傷つくなんてこともあったり。
悪質だと思うのは「自分の底の浅さを知りたくない」みたいな意識があるんですよね。見て見ぬふりをして、自分を知ることから逃げているんだろうなとずっと思っています。ここが年貢の納め時かもしれません。。
ただね、自分に変なキャッチコピーをつけるのは死ぬほど嫌なんですよ。プロフ欄によく分からないこと書いてる人多いじゃないですか。宣伝や著作などの実績を書いたりするのは全然いいんですけど、ワケの分からん桁の収入とか気持ちの悪いアピールは見るに堪えなくて。
たぶんですけど、そういうワケ分からんことを書く人は、同じようにそういうワケ分からんことを書く人と仲良くできるので、ちょうどいいと思うんですよね。ご自身が「いいね!これこそが私だ!」と思ってやっているのは全然よくて、別に攻撃したいんじゃないですけど、私にはちょっとマネできない、それだけの話です。
全然知らない人に向かってメッチャ撃っちゃってるけど、大丈夫かしら。。
いやああ、あれですよね。
長くキャッチコピーに慣れ親しんでいれば愛着もわきますよね。
言葉は育っていくものなんで、素敵だと思いますよ!
何より自己分析の結果がそれならば、自分が分かっているということですもんね。
ぐだぐだとやってるこういうのが一番ダサいですよね、結局。
銃口を自分の頭につけるつもりで、自己分析やってみます。。
おしまい!
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