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カレーとある光、それは彗星

光をあてる人だなぁ…と思った。
カレーの学校に通う随分前、「TED 浜松」で黄色い封筒を巡る冒険の話をするm校長を見てそう思った。 

誰もやっていなくて
誰も頼んでいない けど
誰かが望んでいるはずのことに全力を注ぐ 

その時、初めてカレーに向き合うシェフ達の姿…というものを頭の中で想像してみた。それまでの私にとって、カレーは大好きな食べ物ではあったけれども、ご飯とともに皿の上に盛られ、いまかいまかと食べられることを待つすでに出来上がった一皿の料理でしかなかった。子供にも作れる…という印象も強かったから、カレーシェフ達の熱意や想いを想像する事など過去に一度も1ミリもなかった。 

カレー作りに日々、真摯に、向き合うシェフの元にある日突然謎の黄色い封筒が届く。困惑が呼び水となり自らの中に元々ある光が輝きを帯始め、そのキラキラは各々徐々に強く放ち始める…。そんな様子を勝手に妄想した。すごい事だ。 

ちょうどその頃、m校長には「カレースター」という肩書がついていたが、校長の周りにこそ沢山のカレースター達がいるように思った。 

日々が過ぎ、カレーの学校というものが出来た事を知り、授業を聞いてみたくなった。1期の募集に申し込んだ。落ちた。昔から打たれ弱い私は二度と申し込むもんか、とふてくされた。
…とか言っちゃって数ヶ月後あっさり、しつこい私はやっぱり出てみたくなり、ちょっと枠が余ってた様子の6期金沢(2日間)に申し込んだ。受かった。 

それはもう目がさめるようなジェットコースターのような時間だった。楽しかった。好きなものを自由に好きと表現する好奇心が止まらない大人の、なかなかの究極を見た。 

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時は2019年、全力疾走してきた今年も終わる頃 

いま私はバンコクに来ている。イギリスに居た時のシェアメイトと4半世紀を超えた再会をするために。
25年前、そのタイ人は私に初めて異国のカレーを作ってくれた。何かの葉っぱ…今思うときっとコリアンダーのことだろう…が、手に入らないから代わりに…と、バジルの入った甘いような辛いような、衝撃の味わいの料理を作ってくれた。その頃の私と言ったらいつもカレーといえばバーモントかココイチ。世界には想像を超えたカレーがある事を知った。 

沢山の思い出が蘇る。旅先の土地の香りがそうさせるのか。香りは記憶を刺激する。 

遠く離れた、やたら何でも555(*)なバンコクで、学校というものについて想う 

10代の頃の私はその場所が物凄く苦手だった。激しい人見知りと好き嫌いで、友達はいらないと決めていた。旅が世界を広げてくれるベストな手段と思っていたので、一人旅ばかりしていた。

そんな私にとってカレーの学校は、初めて人と関わりながらも楽しいと思えた「学校」だった。卒業した後も林間学校、卒業旅行、大同窓会、(オザゼミ)…と今も続き、暗黒だった10代の学生時代を次々と塗り替えてくれている。 

カレーの林間学校が人生で初めてのキャンプ

好きなものは好き、やりたいことを全力でやる、という人の周りに集まる者達は、お互いの「夢中」に寛容だ。ホッとする。私にとってカレーの学校に感謝したい事は、人とコミュニケーションをとるという事に少し前向きになれた事だ。新たな世界がひろがっていく感触がある。まだまだ上手くできないけど、その時はカレーとお酒が助けてくれている。 

あの頃のふてくされてばかりだった自分に教えてあげたい。 当たり前の事を、空を横切る彗星のように眺める。本当は何でも最初から自由だったのだ…と気づく。

時々は涙の出るようなスパイス強めな出来事もあるけれど、日々それすらも豊かであると想う。 

今ここにあるこの暮らしこそが
宇宙だよと
なんて奇跡なんだと 

真実はだんだんと勝利する
時間はちょっとかかってもね …

ウメザワさんのをパクって
♫エンディングテーマ
小沢健二「彗星」 


*555
タイ語で5 は「ハー」
555で「ハハハ」。転じて「笑笑笑」 

微笑みの国タイでは、緩やかでマイペンライ (大丈夫、大丈夫!)な気持ちをLINEやメッセンジャー上では555と表現する。コミュニケーションにSNSが幅きかせているからかもね、昔よりマイペンライを聞かない。

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