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勉強の行き詰まり

必ずしも精読する必要はないと考えられるようになって、読書が少し楽しくなってきた。飽きたら読むのを止めてもいいし、先が気になるのなら先の章を読んでしまってもいい。そんな風に考えると、これはおもしろいな、とか、これは今は関心がないな、とか自分の興味も分かったりする。

今読んでいる「新・数学の学び方」も面白い。数学者の方が書いているので、やっぱりかなり難しいところも多い。数式を容赦なくたくさん使う方もいる。そういう専門的な部分はザーッと読む。完全に飛ばすほどではないものの、斜め読みする。ああなんとなくこの分野のこと言っているっぽいな、など。そうやって突っ込んだ部分を飛ばしたとしても、面白いところはたくさんある。直近だと「目で学ぶ・耳で学ぶ・手で学ぶ」という節がよかった。書いてあることは至極まっとうではあるのだけれど、それを明確に言葉にしてくれたのがいい。これを自分で言葉にしようとすると、その言葉に行きつくまで右往左往することになる。

数学の勉強については、自分を振り返って「いろいろな分野に手を広げすぎたかな」と思った。飽きっぽいせいもあるけれど、次々とちがう分野に手を突っ込んでいった。数学の全体像をぼんやりとでも知れたのはよかった。でもその先が見えなくて、挫折していたのかもしれない。

あとは、大学の先生が書いていることもあって、学習についても書かれていた。「AはBだ」とすぐに判断するのではなく、「AはBだろうか」という疑問を育てていくとあった。なるほど、そういう見方もあるのか。こういう視点というか考え方は、どこかで見たような気がした。そうだ、小林秀雄「美を求める心」とかグレートギャツビーの冒頭だ、ということに思いいたる。なんかそういうことがつながったとき、とてもワクワクした。あるいは寝る直前だったので、寝ぼけていたのだろうか。

そんな風に考えてネットをうろうろしていると、小林秀雄の肉声ビデオ*があった。肉声ビデオというか、本人講演の録音のようなものだ。それを聴きながら寝た。いくつか上がっていたので、少しずつ聞いてみようかなと思う。

さっきちょうど読んで気になったのが「テキスト1冊をじっくり読んで勉強する」ということだ。これは、発散していた自分の勉強を収拾させるいい方法ではないかと思ったのだった。あとは、自分で思いついたのだけれど、「スケジュールを立てる」ということも大切かなと思った。締め切りとかそういう制約がないとたるんでしまうし、制約があったほうが、俄然、集中力が上がる。たとえばどうだろう「『曲線と曲面』を1か月1章のペースで読む」とか。

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前からLaTeXを使えるようになりたいと考えていた。ただインストールが面倒なので手が付けられずにいた。でもブログで使っている人がいて、そうか、Web上で使うならインストールの必要はないじゃないか、ということに気づきブログに書きはじめた。とはいえ自分独自の数学に関するアイディアなどはないので、まずは「習うより慣れろ」的な何かで、問題集の問題をただただ書き写している(打ち直している)。これでもかなり勉強になる。そして実際に記事ができあがってみると、達成感もある。しばらくコツコツと書き写しを続けたい。

細かく言うと、欲を出し始めると、では図やグラフはどうするか、という課題もある。でもそちらに手を広げると発散して、数学学習の二の前になるので意図的に避けている。保留しているというか。「① 文章」「② 数式」「③ 図・グラフ」は切り分けて考えよう。切り分けて学ぼう。ただ最終的には、上記3つが書ける(描ける)ようになれば自分の考えをパソコンに打ち込むこともできるようになるはずだ。それが目的でもないけれど。手書きは、時間がかかるし、ノートを開いてペンを持つというのは、少々ハードルが高いときもある。

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13篇のうち6篇を読んだ。残りの中で面白そうなものを読もうか。

*リンク先は本人の声ではなかった