誤字だけは潰したほうがいいって話

誤字脱字は、なるべくなくしましょう。
人間がやることなので、ゼロにするのは不可能です。でも、できる限り少なくしましょう。少なくとも、そのような努力をし、誤りを発見して修正できるプロセスを設けましょう。
以上です!

それでは、みなさんに良きクリエイターライフがあらんことを。

なんでこんなに誤字脱字に注意を促すのか

もうちょっとだけ補足すると。
理由は、だいたい以下のとおりです!

  • 信頼性が低いと思われ、正しい情報も正しく受け入れてもらえなくなる

  • 見直ししていないっぽく思われ、質が悪いと感じられる

  • 没入感が失われ、「読んでる感」に読者が気づいてしまう

  • 突然、意味不明の文章に襲われて読者が混乱する

  • 読者に「なんて書きたかったんだ?」と考えさせるため、負担になる

誤字脱字があると、読者に対して、不必要な、そして書き手が想定していない負荷をかけることになってしまいます。
読みにくさは離脱につながってしまうでしょう。
そもそも、読んでくれている読者の側に負担を強いることは誠実ではないし、文章として劣っているな、と思います。

「絶対の間違い」は、ないほうがいいから

批判しようと思ってコンテンツを見たとき、どこかを切り取れば必ず批判できます。それが、その記事やページ、サービスの本質であろうとなかろうと、必ず批判ポイントはあります。

なぜなら、すべての項目に対してエクスキューズを入れることはできないからです。
「ちょっと言い過ぎかな、でも大多数はこう思うだろうしな」みたいな内容で書いたとき、「私は違うんですけど!」という主張ができるわけです。
人間はみな少しずつ違っており、100%の人が当てはまることについて言及するわけではない限り、いちゃもんをつけることは可能なのです。
なんなら、自分がそれに属していることも必要ありません。
「この記事には〇〇だと書いてある。私は確かに〇〇だが、世の中には▲▲の人もいるはずである。その人を踏みにじっている!」と、言えちゃいます。

だから、批判は簡単にできるんです。
だけど、批判は間違っている可能性もありますし、そもそも本質的じゃない話について批判しているなら、大多数から「こいつ何言ってんだ? バカ?」って目で見られるので、無視して良いです。
批判するってことは、批判に対する批判を受ける覚悟が必要ってことですね。

それに一般的な批判であれば、最強の逃げ文句「人による」が使えます。

だけど、誤字だけは別です。
絶対に間違っているので。

どちらとも取れるとか、こういう表現もあるとか、そういう場合は別です。
でも、明らかな変換ミスとか、文字の抜けとか、そういう誤字は「絶対の間違い」です。
絶対の間違いは、批判されたとき、もう何も言えません。私が間違っておりました、修正します。それだけです。
間違ってるから何だよ、とも思いますし、誤字脱字でクリティカルな問題は起こらない可能性が高いです。
(「〇〇ある」とすべきところを「〇〇ない」とか書いちゃわない限りね。)
でも、絶対の間違いなんだし、なくしといたほうがいいよね。
というお話。でした!!!

※このページに誤字脱字があるな、と感じた方は、こっそり教えてくれるか、または「なるほどたしかに、信頼性が低くなるな」と感じてください。

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