私が「ばっきー」の名前と人格で生きることを決めるまで。

ホントは別のことを書こうと思ったのだけど、書いてるうちに内容が変わってしまった。ので、内容に合わせたタイトルに合わせて、公開してみる。だいぶ長いかもしれない。


私の両親は、重度の身体障害者だ。父は若い頃の事故で視覚障害があり右半身に麻痺もある。母は若い頃から首に腫瘍があり、それが大きくなるにつれ神経を圧迫し徐々に四肢が麻痺ていく病気で、私が小学生になった頃に車椅子生活になり、中学生になった頃に寝たきりになり、二十歳くらいの頃に呼吸ができなくなり亡くなった。

そんな両親のことは尊敬している。自分が親になってみると、その二人が子供を育てる…というのは本当に大変なことだったと思う。すごい。

ただ、事実として、そんな良心の子供は、あまり外界と接する機会は生まれづらい。一人っ子で一人で家の中で遊んできた記憶しかない。公園で遊びとか、買い物へ行くとか、外食するとか、家族3人ではほぼしたことがない。介助してくれる親族と一緒ではあるけど。

そのせいか、子供の頃から、対人コミュニケーションがあまり得意ではない。言葉がでないというか。


昔話になるけど、小学生の頃、私はいじめられっ子で、友達の作り方…というか、そもそも「友達」というものがよくわからなかった。ただ、暴力を振るわれることから逃れたい、クラスのグループ?コミュニティ?から外されたくないと考え抜いた結果、行き着いたのは、相手にとって便利な人間になるということだった。

例えば、パシリ。相手の欲しいものを取ってくる、買ってくる。別に相手から使われてるだけなのだけど、グループ内で役割が生まれた。率先してパシリをやると、いじめっ子の攻撃対象から外れることも出来た。外れたというか、攻撃の優先順位の上位に入らなくなった…という感じか。

その後、パシリに生き甲斐すら感じてた。

他にも、マンガやゲーム。みんな、だいたい欲しいものを買うから1番人気のマンガやゲームをそれぞれ持ってたのだけど、私は二番人気のものを買った。それで、うちに遊びにくる人ができたり、貸し借りが起こったりするわけで。グループから、外されることは無くなると考えた。

これが、私が最初に覚えて、今もベースにある、人との関係構築の方法。


その後、年齢が上がり、私は所謂「高校デビュー」というものをした。が、小学生の頃、私をいじめていた人は時を同じくして、ヤクザの下っ端になった。数年ぶりに再会しても関係性は「パシリ」のままで、私は、脅され、事件に巻き込まれ、偽ブランド品詐欺の運び屋になった。

昼間は高校で部活を頑張り生徒会役員とかやって、夜は部屋の窓からこっそり抜け出して運び屋をやっていた。高1〜3まで取引は続いたけど進路選択の時期になって、耐えきれなくなって警察に相談した。が、被害者側の私の事情聴取も2畳くらいしかない狭い倉庫で3ヶ月続いた。

約3年間の、携帯電話の履歴、学校の行事、世の中の出来事、偽ブランド品の取引の記憶、ありとあらゆるデータを並べて、数十回の取引に関して「何日の何時に誰から連絡があってどんな会話をして、何日後の何時にどんな格好をしてどんな手段でどこにへ行き、待ち合わせ場所には誰がどんな格好をしてどこに立っていて、どんな会話をしてどんな行動をして、ここに恐怖を感じた」という調書を作った。

何度も何周も記憶を引っ張り出す作業をさせられてたら頭がおかしくなった。事情聴取を受けている自分を、少し高い視点から見ているもう一人の自分みたいなものが出来た。感情は、無だった。

高校で作り上げた居場所もなくなり、対人恐怖症になった。


そして、淡々と日々をこなして、高卒で社会人になった。半導体メーカーのエンジニアになり、団塊世代との切り替わりの時期だったとかなんとかで待遇はよく、入社してすぐ、4勤2休で手取り30万くらい貰えた。

が、対人恐怖症だったので、人との会話が出来ず、どもってしまうような感じだったので、ただの給料泥棒になってしまった。男ばかりの職場だったけど、休憩室は「酒・女・ギャンブル」みたいなクソみたいな会話しかなくて、休憩時間は、会社の外れの倉庫のトイレに逃げ込んでいた。


そんなとき、休みの日、たまたま入ったカフェで人生に大きな影響を与える出会いがあった。カフェのカウンター席でドリンクを注文したら、私の声が見た目の割に高いってことで隣に座っていた男性から話しかけられた。

その男性は音楽プロデューサーの方で最近NYから帰ってきたそうで。カフェのオーナー夫妻が、高校のときの同級生らしい。で、そのオーナー夫妻は、昔テレビで人気だったアカペラコンテスト「ハモネプ」で人気だったシンガーの方だと教えてもらった。

その音楽プロデューサーの方とオーナー夫妻の界隈を聞いていたら、これから音楽イベントの打ち合わせらしい。知り合いらしい人達がどんどん集まってきた、職業はDJ、デザイナー、イベントのオーガナイザー、ギタリスト、美容系の経営者、それまでの人生で出会ったことがない、当時の私からしたら華やかさを感じる仕事の人達ばかりだった。

ほどなくして打合せが始まった。私は少し離れた席から様子見を見ていたのだけど、みんな仕事の話をしてるっぽいのに、とても楽しそうだった。

「仕事なのに、楽しそう」というのが、仕事はお金を稼ぐためのものでしかないと思ってた私には理解が出来なかった。

ただただ刺激的な人達でしかなかったし、それで興味を惹かれた。その人達はそのカフェの常連だということがわかったので、その日から時間があれば、そのカフェに入り浸った。仕事の研修で長期出張が入るまで、40日以上連続でいった。この人達の近くにいたい、この人達の世界をもっと知りたいと思った。

ある日「つばきはら」という私の苗字が長くて呼びづらいという話になり、あのプロデューサーから

「"ばっきー"でいいじゃん!"Bucky"でばっきー。」

人生で初めてニックネームをつけてもらった。


そして、毎日、いろんな刺激的な話を聞かせてもらっていたけど、「今度の音楽イベント、AD(アシスタントディレクター)で入らない?」と声かけてもらった。二つ返事で参加を決めた。

イベント当日になった。10年前のことだし記憶は薄くけど、特に役目を与えられていたわけでもなく、「なにかしないと!」と何かをした。何をしたかは覚えてない。多分、なんか夢中だった。

ただ、プロデューサーが嬉しそうにイベントの様子の写真を撮っていたことは記憶の中に映像が残っている。その嬉しそうに写真を撮ってる様子を私も写真に撮った気がする。


そして、翌日。mixiにイベントの感想を書いたら、プロデューサーから「昨日はありがとう!ばっきー、AD向いてるよ!」とコメントがきた。

いつものカフェからへ行くと、前夜のイベントの関係者の人もパラパラと集まってきて、ものすごく褒めてもらった。なぜだかわからないけど、いい動きをしたらしい。まぁ、お世辞かもしれないけど、子供の頃、パシリだったせいかもな〜なんて思った。

ただ、単純な私は、褒められてるうちにその気になり、「これから俺は、好きなことで生きていけるようになるんだ!」と決めた。


そして、本名の自分には居場所はないが、「ばっきー」としての自分に、居場所が出来たと思った。

会社では窓際社員みたいなことを続けながら、副業で、あの音楽イベントの運営メンバーの一人の方がやっていた音楽イベント会社に入った。時間を使って、お金を使って、体験や経験を増やして、思考を入れ替えて「ばっきー」というキャラクター?人格?を作り上げた。

「ばっきー」として、自叙伝を書くとき面白がってもらえる人生を生きると決めた。様々な選択肢をするとき「どっちを選んだ方が"ばっきーっぽい"か?」を判断基準にした。

ちなみに「自叙伝を書くとき面白がってもらえる人生を〜」や「どっちを選んだ方が〜」という考え方も、あのプロデューサーの考え方のコピーだったりする。


気づけば、あれから10年経った。紆余曲折はあったけど、「ばっきー」として生きているし、未だにイベント企画やっている。

こんなことになるとは思ってもみなかったけど、気づけば遠くにきたな。という感じがする。

書いてて、ふと思ったけど、人との関係構築が苦手な私が、今、「社会とのいい関係の構築」って意味の「PR(Public Relations)」を軸に活動してるのが結構なぞい。


特にまとめもないのだけど、こんな経緯で、私は「ばっきー」として生きている。


最後まで読んでいただきありがとうございます!もしサポートいただけたら、勉強のために使わせていただきます!!