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「地方活性」には興味がない。ただ、好きな人達と楽しく生きたいだけ。

地方でワーワー騒いで活動してると、たまに勘違いされるけど、私個人としては「地域活性」には興味がない。

私は、熊本でイベント企画をやっていたり、熊本のプロジェクトに参加はしていたりしていて、地域を盛り上げようとしてるとか思われたりもするんだけど、「熊本のために」とか特に思ってない。

自分が住んでる地域に自分が楽しいと思えることがそんなにないから、自分で自分が楽しめることを作るしかないなーと思ってやってることが多い。娯楽、息抜き、そんな感じ。


東京とかから起業家とかクリエイター的な人を呼んできてのトークイベントは、自分や自分のまわりの人達の機会格差を少しでも減らせたらと思っている。学びのある軽めなエンタメくらいの感じ。

会いたいと思う人がいたとして、東京だと会って話せるけど、地方だと会えも話せもしない。でも、地方にも来てももらえる可能性があるなら来てもらったがいいなと。

そもそも、イベントだけで地域が盛り上がるとは思っていない。外の人を連れてきてやるイベントは、ただの着火剤のようなものだなと思っている。

瞬間的に火がついたり火力が上がったりするけど、それは一過性のもの。やるべきは、そこの地熱を1度あげるような、長期的にエネルギーを内燃させ続けれるようなプロジェクトなんだろうなーとは思うけど、ミーハーで飽き性な私は、多分あんまり向いてない。笑


ただ、地域活性とかを目的に活動している人で好きな人達はたくさんいる。その人が好きとか、思想が好きとか。

私は、自分が好きな人達と楽しく生きれたらいい。そして、好きな人達が楽しそうにしてるのを見るのは気分がいいので、好きな人達が「やりたい!」と思ってることは極力現実化させたいので、そのために自分ができることは何でもやる。それによって間接的に地域活性に関わっているところはあるかもしれない。

それが「地域活性」ということはあるし、「それ"地域活性"って言うてるけど、ホントにそれが目的なんですか?」とか質問してかかることもあるけれど。


私は、「熊本のドア型人材」だと言ってもらえることがあるけれど、そこまでできた人間ではなくて、ちょっと申し訳ないなーと思っている…。

※「ドア型人材」の話は、このnote読んでください。→個の時代に消費されない「ドア型人材」という生き方

ストレートに言うと、好きな人達のためにしかドア的な動きをするつもりはない。好きでもない人のためにとなると、お金になるから…とかでも、多分、選択肢にドア的な動きは上がってこない。

せっかく熊本に来るなら、せっかく熊本に関わるなら、好きな人に嫌な思いはさせたくないなーとか、楽しんでもらいたいなーと思うし。その人のために、そのときにやった方がいいと私が思ったら、いくらでもドアにでもなんでもなるけども。


なにをもって地域が活性されていなくて、なんの数値がどれくらい変化したら活性できたと言えるのかは、その地域や、関わる人によって違うのだと思う。

ただ、例えば、ただ地域の人口の数値がいくつか増えたところで、自分の人生にとっては影響があんまりないようには思う。

結果的に、自分の行動がどう自分の人生にどうプラスになったのか、自分が行動しなかったことでどうマイナスになったのかとか、実感を掴めそうにない。

あ、ただ、自分の好きな人達が自分の地域に移住してくれたとかだったら、それは大きな桁の数字に1増えたとかじゃなく、ただでさえ数少ない友達で近くで会える人が増えるのだから、桁違いに嬉しいだろうなとは思う。


そんな感じで、私は自分が好きな人達と楽しく生きれたらいいし、最近は「あの人と会うために、あの地域に行きたい」と思う人が増えてきているという話も聞くので、結果的にそういう人になれたら嬉しい。

まとめもないけど、以上。

長くなって、すいません…。

最後まで読んでくれた人、ありがとうございます。

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