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1級障害者の両親だが、最近「あの両親で良かったな」としみじみ思う。

うちの両親は1級(重度)の障害者だ。

親に遊んでもらった記憶がほとんどなかったり、家族で出かけたという記憶もほとんどなかったりして、いろいろ不便だったり、よその家族に羨ましさを感じたりする部分も沢山あった。

しかし、自分が親になったせいか、あの両親で良かったなと感謝する機会が増えてきた。


◼︎寝たきりだった母。

母は5年前に亡くなったが、子供の頃から首に腫瘍があって神経を圧迫していたそうで、私が物心ついたときに壁や手すりに手をつかないと歩けず、手には痺れがあり...と不自由だった。家の中には、いたるところに手すりや踏み台があり、車は手足の力が弱くても運転出来る特別仕様。

首の腫瘍は時間をかけて少しずつ大きくなり、近くにある神経を圧迫し、首からしたの力を奪っていった。腫瘍を手術で取り除こうとしたが、神経が集中している首にあるせいで全て取り除くのは不可能で、体が不自由な分、体力もなかったことで、何度も手術することは出来なかったらしい。

母は、私が小学生のときに車椅子生活になり、中学2年の頃にほぼ寝たきりになり、22歳のときに呼吸が出来なくなり亡くなった。

寝たきりになってからは遠くの病院や母の実家に住んでいたので、年に数回しか会わなかった。


◼︎目が見えない父。

父は、今は鍼灸師をしているが、昔は寿司職人だったらしい。20代のときの交通事故で目の神経が切れ、ほぼ目が見えない。全身に麻痺があったらしいが、それは地獄のリハビリで克服したらしい。

体のどこかが不自由な人は、他の部分が発達して、不自由な部分を補完する...という話を聞くが、うちの父もそのタイプだった。目は見えない分、触覚と聴覚が発達していて、空間認識能力が異常だった。料理をするし、自宅であれば自分のことはだいたい出来る。

ただ、父が自分で置いた場所から数センチでも動くと認識できなくなったりするので、難しいところ。


◼︎自分が親になってみて。

母は体が動かないせいか、今考えてみれば、私に結構なお金は使ってくれていたんだと思う。

習い事とかは特にしてないが、20年前、小学校低学年の時点で、私の部屋にはデスクトップのPCがあって、自然とインターネットを使うようになり、ネトゲしたりブログ書いたりとかしてたので、あれがなかったらネット上に居場所も見つけれなかったし、人生も違う方向にいっていた気がする。

母が入院した中学生以降は父と2人で生活していた。父はそんなに口数が多い方ではないが、同じことを何度も念押ししてくるタイプだった。

「これからの男は料理くらい出来んとつまらんぞ。」
「公務員はつまらんぞ。手に職を付けろ。」

「なんでもいいから1番になれるものを見つけろ。」
などなど...、思想強め。

父の意図と私の解釈にはズレがあるかもしれないが、どれも私にとってプラスの影響をくれていると私は思う。

親が子に与える影響は、そのまま受け取ることもあれば、反発したり反動のエネルギーを生むこともある。

私は、基本的に人の気持ちを考えるとか人を思いやるとかが苦手なのだが、多分、自分が親に遊んでもらった記憶がほとんどないお陰で、自分が親になってみて、子供を中心に考えようという気持ちが少しは沸いてるんじゃないかと思ったりする。

子育ては楽しいけれど、本当に大変だ。

自分は親に沢山の迷惑をかけてきたのだが、それを全て受け止めつつ、やりたいようにやらせてくれた両親に、自分が親になってみて感謝の気持ちが湧いてきた。

自分も子供にそれをやってあげねばと思ったりするのだけど、加減も難しいし、本当に精神を削られるんだろう。

余談だが、最近、かなり頑固でめんどくさい親父に、自分がどんどん似てきて気がする...、親子の血には抗えないらしく、辛い...。





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