仏教に説かれる7つの自惚れ

うぬぼれ。
自分に惚れてる。
アバタもエクボ。
最初は惚れはじめのときはアバタもエクボ。
惚れてるとその人の欠点が見えない。

本来自分に惚れてますから、
自分の欠点も自分の長所みたいに思っている。

仏典の中にはうぬぼれを慢という。
七慢といわれている。

1.慢
2.過慢
3.慢過慢
4.我慢
5.増上慢
6.卑下慢
7.邪慢

1.慢というのは、自分よりも劣っているものにたいしてうぬぼれをおこす。
自分は80点友人は60点。
あいつ60点か!という見下すうぬぼれ。

2.過慢というのは、自分と対等のものにたいしてもうぬぼれをおこす。
自分は80点、友達も80点。
理由をつける。
自分はゲームをしていた。
あいつはその間も勉強していたに違いない。
本当は私のほうが上だ。

3.慢過慢というのは、自分のほうが劣っているのにうぬぼれる。
こういうときは、
あいつ大体がり勉だ。
友達もいないじゃないか。
将来出世するのは私だよな。
土俵をうつす。
こういう発想をせずにおれない。

中学校のときアイドルがいた。
女の子がやっかむ。
あの子性格悪いよとか。
顔とか人気でかなわないと性格で勝負をせずにおれない。

4.我慢というのは、間違っていると分かっていても自分の考えを捨てられない。
我慢というのは日本語になっていますが、元々の意味はアキラカに間違っているのに、自分の意見を押し通す。

はっても黒豆。
黒豆みたいなのがある。
これ虫か黒豆かで論争になる。
そのうちはいだす。
これをはっても黒豆という。

5.増上慢は悟っていないのに悟ったと自惚れる。
大体悟りが何かも知らない。

6.卑下慢というのは、卑下しながらうぬぼれる。
頭をさげる、そういうときにエライな私って。
こんな風に謙虚に頭をさげて。
もっと私みたいに謙虚になれよ。
頭をさげて心の中でうぬぼれている。
ミスをしなかったら高慢。

ミスをしたら
ミスをしなかったものに対して、
あいつはミスしないからミスをした人の気もちがわかるんだ。
どちらに転んでもうぬぼれる。

7.邪慢というのは、ぜんぜん自慢にならないことを自慢する。
泥棒がいかに大金をとったか。
殺人鬼がいかに冷酷に殺したかを誇る。
試験まえに、いかに自分が勉強しなかったかを誇る。
競いあっている。
自慢にならないことを自慢する。

こういううぬぼれ心。
私は思いませんよと、そういうのが自惚れ。

人間はこれらの七つの自惚れから離れきれないので、いくら「自分探し」をしても自分は見えない。


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