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"死にたくない"うちは苦しみは終わらない

「死にたくない」という感情は、仏教の観点から見ると、生への執着や苦しみの根源を示していると解釈されます。仏教では、生命の循環(生・老・病・死)を通じた苦しみの終わりなき連鎖を「輪廻」と呼び、この輪廻からの解脱を目指します。

特に、この感情は「三毒」として知られる貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)に関連しています。貪欲は欲望や執着、瞋恚は怒りや憎しみ、愚痴は無知や誤解を指します。これら三毒は、人間の苦しみの根本原因とされており、人々が経験する精神的な苦痛や物質的な欲望の追求によって、輪廻の中に留まり続けることを意味します。

「死にたくない」という感情は、生への強い執着を反映しており、この執着は苦しみの原因の一つとされています。生への執着は、不安、恐怖、欲望の形で現れ、これらが心の平和を乱し、苦しみを生み出します。

仏教では、このような苦しみから解放されるためには、執着を手放し、一切の存在や現象が常に変化していく無常の性質を理解し受け入れることが必要です。これを実践することで、心の平和を得られ、最終的には涅槃(ねはん)と呼ばれる究極の解脱、すなわち苦しみからの完全な解放を達成することができます。

したがって、「死にたくない」という感情は、苦しみの終わりを見出すために、自己の内面を深く探求し、生命と存在の真実を理解する重要な一歩となり得ます。仏教では、このような内省と実践を通じて、執着を超え、苦しみを超えた平和な心の状態に到達することを目指します。

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