たのしいがわからなくなっている私を責めている

実は私、

たのしい、ワクワクする

その感覚が思い出せないでいます。

ワクワクする方を選ぼう

自分が楽しいを選んでいこう

そんな言葉が沢山

耳に入ってくるこの1年。

それとは裏腹にたのしいが分からなくなっている私がいます。

楽しい時はあるのです。

でも何か重ーいものにフタをされてしまう。

心の底から楽しむを受けとれない私がいる。

楽しいってどんなだったかな?

3年間病気の母に寄りそっているとき、自分の楽しいを封印して母が楽しいだけを考えていたからかな。

そもそも自分が楽しいより人が楽しいを選んできたからかな。

色々と思いを巡らせる

そして気がつくとたのしむことが分からなくなっている自分にイライラしている私がいる。

で、気が付きました。

あ…これって私を責めている。

どんな理由があろうと

楽しいが分からなくなっている私がいる。

それは事実だ。

その事実を認めよう。

そしてそれは責めることではない。

劣っていることでもない。

いまの私はそうなんだねって

それだけでいい。

その私を認める。

そこからそんな私に何をしてあげられるかを探してみよう。

ウニちゃん、ごめんね。

楽しいが分かっても分からなくても

いい、

私のウニちゃんが感じることにもっと寄りそってみたい。

ウニちゃんが喜ぶことを

ゆっくりといっしょに感じてみよう。

ただそこから

もう一度

始めてみよう。

楽しいが感じられなくたって

今、私は生かされている。

だからここにいてもいい。

楽しいが分からない私はいてもいい。

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