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BUG プレオープントークイベント きりとりめでる×吉田山「美術と批評(性)について」(前編)

みなさんこんにちは。
株式会社リクルートホールディングスが運営する新アートセンター BUGのスタッフです。
BUGは三つの活動軸があり、①BUG Art Award、②BUGにてひらかれる展覧会、③アーティストのみに限らないアートワーカーのキャリア支援の3つです。
3番目にあたるアートワーカーのキャリア支援として、7/12にBUGプレオープントークイベント、「美術と批評(性)について」きりとりめでる×吉田山を開催しました。司会進行はリクルートアートセンターの檜山真有が行いました。

美術における批評のあり方やそもそも今、美術批評はありえるのか、という問題点から執筆に限らないかたちでアートに関わるふたりに存分に語っていただきました!
この記事では、トーク内容をリミックス・バージョンで前編・後編に分けてお届けします。トークに参加できなかった方も、もう一度内容を確認したい!という方も、どうぞご活用ください。

・イベント詳細はこちら


【吉田山】実践の中に自分のクリエイティビティ

檜山真有(以下、檜山):本日は2022年には43万人来場の展覧会を企画し、50本の展覧会・作品表を執筆されましたきりとりめでるさん、20人弱動員した東京都の離島、神津島村でのパフォーマンスイベントの企画や、コロナ禍によりはじめた20人限定の投函型分割展覧会などの活動を行う吉田山さんのお二人をお呼びしました。
まず、お二人のこれまでの活動や肩書きについて教えてください。

吉田山さん(以下、吉田山):あ、みなさん暑い中ありがとうございます。はい、あ、じゃあ始めます。

2018年から2年くらいの期間、外苑前で「FL田SH」というスペースを雑居ビルの3階で運営していました。小さい展覧会を開催したり、ZINEを売ったり色々試していたけど、最後の企画が「芸術競技(注1)」という展覧会でした。というのも、東京五輪の元々のオープニングとスペースのクローズの日が近くて、重ねてみようと思い考えていきました。ただ、みなさんご存知のようにコロナ・パンデミックに突入して、東京五輪が延期になっちゃったんですよね。でも、スペース自体はなくなっちゃうので、クロージングイベントをオープニングって名前にして開催したイベントでした。

『芸術競技』での展示風景

コロナパンデミックで緊急事態宣言が発令された時、外に出るのも怖いし、生活リズムも崩れるという話を友達として、用事がなくても朝10時にオンラインミーティングしようとなり、そこから「インストールメンツ(注2)」という企画が出来上がりました。さっき、紹介があった20人限定の投函方式の展覧会のことなんですけど、6個に分けられた展覧会のスピリットというかコンセプトがどんどん送られてくるみたいな。
外苑前のスペースもなくなったし、またスペースやりたいなと考えていたときに、朝起きたら友人から代々木でスペースできるかもしれないよ、見に行こうよってメールが来ていて、行く行くって行ったら、それが代々木のTOH(注3)というスペースになりました。1年間だけ運営に関わって、ギャラリーをやっていました。

友人との協働とか、東京という街の中で実践できることを重視していて、アーバニズムっていうんですかね。もちろん、インターネットやSNSでのつながりはあるけれど、やっぱり大切なのは、リアルシティ。大きな意味での東京と何かをしているんだという一体感は感じています。ただ、それだけだと狭い世界にとどまるというか、身近な人たちとばかりで動いてしまう。だから、遠くのことや小さいものを逃してしまいそうで、自分は通り過ぎたところで誰にぶつかるのだろうということを東京以外の場所で試したくて、海外に行ったり、熱海に行ったり、離島で企画をしたりしました。

熱海(注4)に関わることになり始めて、知り合いの方からレジデンスで一旦入ってみないかっていうことになって、2021年かな、2022年から入り始めて、そしたら、なんかディレクターになっちゃいました。
どんどん外に出ていきたいというか、ギャラリーとかではなくて、外でどうやってアートをやっていけるんだろうかを考えるようになりました。やりゃできることもあるし、やってもできないみたいなことが、パラレルな状態で起きてること自体が結構面白いなと思っていて。それももしかしたらBUGのバグみたいな話かもしんないすけど、思ったようにいかないことが結構面白いなと思って。

2022年の9月にアーティストコレクティブのオル太との共同企画で開催した20人弱増員した東京都の神津島での1日だけのイベント(注5)は、今日来てくれている何人かが参加しているんですけど、たくさん準備して結果20人来てくれたっていう、奇跡のような。
このあとには『風の目たち』(注6)っていう展覧会をアートプロジェクトとして始めました。5センチ四方の箱に収まるサイズ感の作品を20組の作家に出してもらって、ロシアの隣のジョージアのトビリシで展示して、向こうの作家たちと交流を深めました。

『風の目たち』での展示風景

ただ単にでっかい作品を作ってワーッてスペクタクルな状況を作って、ビジュアルで攻めていくってことじゃなくて、もっと細かいことを何かやっていく必要があるなと思い始めるようにもなったんです。

『のけもの』での展示風景

というのも、2021年にアーツ千代田3331の屋上で展示をやらないか、と誘われて、建築家とか詩人とかたくさん集めて展覧会(注7)をやったんですけど。この展覧会の後に気分が落ちちゃって、その理由を考えていたら、会場設計から展覧会タイトルまで全部委託するという方法論を採ったときに、自分のクリエイティビティを発揮する部分がなくなって、ひたすらマネジメントに回るということが辛かったんだと至りました。もちろん、それだけではなくて、3331というアーティストが運営を始めて、大きくした組織がアーティスト至上主義を大義名分として、組織運営をあまりやってこなかったその不健康さに巻き込まれたというのもあります。それもあって、展覧会をちゃんと自分のクリエイティビティを発揮して本(注8)としてまとめたいと思ったんですね。ただ単にアーカイブブックにするだけじゃなくて、証明書みたいなものを取り付けて、なんていうか展覧会のコンセプト自体をブックとして、30部限定で作って、実際に展示もしました。こうやって数えてもらったらわかるんですけど、あの30冊で1セットの絵になっているんです。

『MALOU』30冊を組み合わせた書影

【きりとりめでる】いろんなものに影響を受けて、流れ流れて

きりとりめでるさん(以下、きりとり):そうですね、肩書きは先ほど言っていただいた通り、美術批評・デジタル写真論です。「論」までつけたりするんですけど、何をやってるかっていうよりかはこれについて考えてるよ、ということを伝えるように使っています。
1989年に生まれて、展覧会とかも結構やってきていて、きりとりめでるっていう名前は2015〜6年ごろから使ってるんですけれども、もうほとんどこの名前で仕事をしています。

自身の活動をたどってみようかなと思います。鹿児島大学文学部人文学科というところを卒業しました。思想コースのゼミにいたのですが、そこでハル・フォスターの「視覚論」を読む授業があって、それがめちゃくちゃ面白かったんですね。何もよくわかんないけど、すごい面白くて、どう面白いって思ったかっていうと、これまで日本語で、哲学とかを学んでいたんですけれども、それが何に使えるのか全然わからなかったんですね。でも、楽しいから学んでいたんですけど、でも「視覚論」を読んだら、自分が今まで学んできたものが使われて、作品の分析がされていました。500年とかの時間を圧縮して、8000文字ぐらいに書くことがかっこいいなと思うようになりました。
あとは、鹿児島でツイッターをずっと見て過ごしていて、作品を通じて交流している人もいるし、例えばgnckさんやカオス*ラウンジがいたり、そういったTwitterをもとに展開されているアートの流れが何となくすごい遠いものとして写っていたんですね。

吉田山さんはアーバニズム的なものを大切にされていたけれど、自分はどちらかといえば街よりもずっとインターネットを見ていた。仲間同士でやっていくような協働の方法論が確立されてきた中で、コミュニティから外れた人たちがインターネットの中にいたんじゃないかなと思う。

その後、普通に新卒で社会人になって、鹿児島で働いてたんですけど、仕事が大変な一方で実家で暮らしていたので、お金はどんどん溜まっていったので、大学院に行ってみようかなと思った。大学院に行って研究するときに、何か資料を基に考えないといけないことがわかったので、京都市立芸術大学大学院で森村泰昌のアーカイブを使って研究をしました。

このときの衝動というか欲望が何だったかっていうと、写真史や美術史の本を読んだときに、森村泰昌という作家が不当な扱いを受けているって私は勝手に思ったんですね。なぜかっていうと基本的に多くの言説で、アジア人男性の身体を古今東西の著名なイメージに入り込むことによって、それまでの既成事実というよりも、それまでどのように作品を見ていたのかっていうことを明らかにする、というような説明がどこにでも書いている。写真史の本では、写真家ではないけど、写真を使って作品を制作しているみたいな書き方になっていて、でも私はそうじゃないなと思ってたんですね。それを考えるために視覚文化がどう変化していったかに着目し始めたのです。
例えばデジカメの誕生や写真のスキャンを始めてレタッチをするようになった時とか、そういったメディアの変化とともに森村泰昌の中で、写真がどう使われているかが変わっているんじゃないか、と考え始めました。その文章(注9)はインターネットでも公開されています。
その文章を知ってくれた人が何人かたまたまいて、「Surfin'」(注10)という展覧会の作家たちが読んでくれていたりとか、関真奈美さんとtadahiさんとか守屋友樹さんとか、だつおさんと杉山雄哉さんとか、若い作家たちがTwitterで読んでくれてトークイベントに呼んでくれたという偶然が重なっているんです。
その結果、本を出せるようになったりとか、杉山雄哉さんは当時Instagramの四十八手という作品を作っていて、Instagramのあるあるを収集してきて、それぞれに星五つとか、強いとか弱いとか、よく見る、よくやってるとかなどを評価するという作品でした。
杉山さんと私とトークイベントをするときにInstagramのことを考えるにあたって、レフ・マノヴィッチがInstagramについてまとめていた研究があったので読んでいたら、それがそのまま翻訳の仕事に繋がったような偶然ばかりです。いろんなものに影響を受けて、流れ流れてここに来ている。
活動の幅が広がった瞬間は、同時代の作家さんとかからお声がけをもらっていたからだなと思います。

仕事としては結構いろんな仕事をしていました。学芸員の仕事もしていましたし、国立美術館の研究補佐員とかもやっていましたし、ギャラリーのインターンとかも2年間していました。壁にペンキ塗ったり一生懸命やってました。そこも自分の糧にもなっているけれども、何かあらぬ方向から理解してもらったみたいなことが結構あったなっていうふうに思いました。

肩書きと執筆の批評性

檜山:きりとりさんの肩書きを何をしているじゃなくて何を考えているというとこで設定すると、ずっと一貫性があるっていうか、考えてることはもう大学生のときから変わらないからそれを肩書きにしちゃえっていうのは目からウロコでした。アート・アンプリファイアというのも特殊な肩書きだと思いますが、どういう理由から名乗っているんでしょうか?

吉田山:2022年の8月ぐらいからアンプリファイアと名乗り始めたんですけど、それまでは散歩詩人って肩書きでした。それって何すかみたいな感じを自分も探しに行く感じではありました。けれど、やっぱ使っていくと、固定化されていく体感もあったし、コンセプトを伝えてもないのにどんどん形づくられていくのがまずいと思って、どんどん活動の幅も広がっていってたんで、なるべく広く遊べる肩書きが欲しくなったんですね。
ドキュメンタリー映画監督の太田光海くんと一緒に車で京都に向かってたんですよね。それでそういう話をしてたら、光海君から、俺ちょうどとっておきのがあるよ、って話になって、太田くんから、アートアンプリファイアってすごい良くない?ってなりました。ギフトとして肩書きをいただいた感じです。
確かにギターアンプみたいに拡張するっていう感覚で物事を動かしているというか、活動しているんで、そういうことを軸に考えていくのいいなっていうのと、何かこうしなきゃいけないっていう、方向性が特になさそうなんで、自分で好きに方向性が決まってない分、やれることが多いなっていうのでアンプリファイアをもらい受けました。海外の人や事例を見ていくと、アンプリファイアってとんでもない重荷を背負ってしまったことに最近気づいて、アンプリファイアされた後って何だろうみたいなことは毎日考えていて、もしかしたらそれが批評性みたいなと繋がってるかもって思いました。

檜山:増幅させるっていうのは何か非常に強い批評性を伴うことなのかなって思いました。きりとりさんも吉田山さんも執筆もされていたりすると思うんですけど、今お話しいただいたご自身の活動の中での批評性っていうものと、例えば美術批評やレビューなどの執筆でのご自身の活動での関わりっていうのはどのように考えられていますか?

 吉田山:たまに何か頼まれたり、自分で書いたりするときがあって、そういうときに気づくのが書くことと、散歩してるのと似てるって思うんです。何となく具材は用意するんですけど、書きながら何か発見があるというか、こういう回路になっていくんだとか。都市のメタファーで言えば知ってた街の中に知らない道が突然出てくるような。

檜山:散歩してるみたいだっていうのは、散歩詩人を名乗ってるときから思ってるのか、アンプリファイアのときも思ってるのか、何か書くときに、ぶっつけでパソコンに向き合うんですか?それとも準備するんですか?

吉田山:ポストイットを貼って、ダミーのスケジュールを自分の中でいっぱい用意して、この日までに何文字書く、校正まで行くみたいな。そういう感じで厳しく律しています。スケジュールを用意して、絶対に納品までに自分が思っているクオリティよりは高いところに行きたいなみたいな感じです。本棚を見渡して、これとこれとこれみたいな感じで関係ありそうなところを読み直したりして、それをネタにして料理してくっていう感じかな。

檜山:きりとりさんはどうですか?もちろんさっき私が聞いたご自身の活動の批評性と美術批評の関わりも聞きたいけど、執筆のあり方とか、どういうふうに書いてるとかも聞きたいです。

 きりとり:執筆のあり方は、とにかくGoogleDocsを開いて、最初からやるぞ!という。だから下準備とかもしますけど、散歩みたいっていうのはすごいわかるなって勝手に思っていました。とにかく白いところに行って、文字を打ってみて、止まったりとか、なんか書いていくとこれ違ったとか、それって多分文字数が少ないものを依頼されることが多いから可能なやり方なんだろうなっていうのは思いました。
美術批評と自身の活動の関わりについてですね。肩書きに美術批評ってなんで入れているかっていうと同人誌を作っているからなんです。私は結構展覧会を作るのが苦手で今まで6個ぐらい展覧会やってるんですけど、作家にいい提案ができた試しがないと私が感じているところがちょっとあって。非常にご迷惑をたくさんおかけしつつ、でも、いい展覧会できたなって毎回思ってやってはいます。
その一方で、本だと距離ができるのがいいなと。アート全般と距離が取れて、かつ、関わる人たちが美術批評家だったりとか、何らかの領域の研究者だったりに変わる。
美術についてみんなで考えるっていう同人誌(注11)を2017年から作っていています。

美術家を辞めると言った山本悠さんの評を集めた特集号(注12)を作ることで、美術家でいてもらい続けられないかという気持ちを込めて作ったんですけど、やめてしまわれて、今はイラストレーターとして活動されています。
というのは、山本悠さんはまだ美術家を名乗っていた最後の方に、「1_WALL」のグラフィック部門に出品しており、審査員の講評だけじゃ足りないなと思って同人誌を作ることを決めたんですね。
でも、これは山本悠さんに限ったことではなくて、作品について文章が書かれる機会が圧倒的に少ないという体感がありました。圧倒的に展覧会を観た人よりは展覧会評を読んで、作品の写真を見る人の方が多いわけですよね。
そういったときに文章の少なさは問題だと思っていました。その後、展覧会評盛りだくさん号(注13)っていうのを作って、展覧会が終わってから3ヶ月という旬を過ぎると掲載されない展覧会評を掲載しました。
熱量を持って書き手が書いたものはたくさんあって、そういったものを掲載させてもらっていた状態ですね。

檜山:パンのパンは、計5冊出してるっていうことなんですよね。きりとりさんはそこでは書き手ではなく、編集者って言っていいんですかね。

 きりとり:書ければ書きたいとは常に思ってるんですけれども、『パンのパン4(中)』も出版までに2年半とかかかってしまったり…編集者とは名乗れないと思っています。

檜山:『パンのパン4(中)』に私も実は執筆していて、2020年ぐらいに依頼がありました。結局刊行が2022年で2年かかって原稿が出るっていう経験が初めてだったので、ずっと一つの原稿に向き合うっていうのがすごい面白い経験でした。大体5000字ぐらいの評を書いたんですね。2000字とか1200字とかのレビューばかりを依頼されてきたので、こういった比較的長い文章を書けたり、レビューではない形式でも文章が書けるメディアとか掲載媒体とかが意外と少ないのかなって思ったりしていて。
2人に聞きたいのが、もちろん美術批評とレビューの違いっていうのもあるけれど、もっと長文書いてみたいのか、いやいやもう2000字の文章でもう自分は十分なんだっていう、どっちなのかなとかっていう。

吉田山:基本的にチャレンジ志向なんでやりたいって思っています。それと話ずらしちゃうんすけど、なんか展覧会も大体半年とか1年ぐらいのスパンで準備しています。もっと早いやつとかあるんですけど。3、4年かけてやってみたらどうなるんだろうとかも考えます。質が良くなるのか、ボリュームが増えていくのか。発酵してするのか、良くなくなるのかどうか、いろんな道筋があると思うんです。日本酒になるのか、酢になるのかみたいな。そういう感じでやったことないんで、興味あるっていう感じですね。

 きりとり:私は多分今まで美術系の媒体で書いた最大文字数が多分8000字とかそんなもんだと思うんですね。
文字数の少なさは問題視されている部分になりつつあると思うけど、ただ単にそこで文字数だけの問題なのかは全く違うだろうなって思ってます。『パンのパン』を編集というよりも発行してるんですけれども、2万字で大丈夫ですって最近は言っていて、ここ数冊は自主的に寄稿していただく方には謝金があまりお支払いできないけど、私からお願いした場合はある程度の謝金を支払えるように頑張っていて、やっぱり2万字ぐらい書きたかったですみたいな著者の方に出会うことはあり、かつ、依頼原稿が、今、美術の媒体では多いのかなという気がしていて、その点では『パンのパン』はまだ現在性があるのかなって気がしています。

檜山:この展覧会の評を書いてくださいみたいな、展覧会をまだ見てない、まだ始まってない段階でお声がけいただいたりすることが多分2人にもあるかなって思うんですけど、どう思います?いわゆる企業案件なわけじゃないですか。何か書く上にはよくないことはよくないって言うけど、ちょっとためらっちゃうような部分もあるわけじゃないですか。

吉田山:でも、そうっすね、依頼されることって多いと思うんすけど、展示始まる前に、ていうのもありますよね。何かそこでいつも思うのが、やっぱ距離感作りたいなっていうのと、なんか本当に虚無だったらどうしようみたいな。なんていうか、OKって言えないじゃないすか。
割と準備したいんで、準備できないっていう怖さもあるし、逆に準備は、ぶっちゃけシミュレーションはできるじゃないすか。うん。見てない状態で見たことにもできちゃうなとそのとき思ったんですよ。

 きりとり:山本夏綺さんというアーティストの秋田での展覧会のトークイベント(注14)に呼んでもらって、展覧会を見てないけど、その展覧会を妄想してトークイベントに臨むっていうことをこの前やって、それは山本さんからもらっていたいくつかの言葉を念頭に、あといくつかの過去の作品写真をいただきました。インスタレーションの作家だったので、全く何が行われているかは把握はできないんですね。それを観て妄想してトークイベントに臨むと、山本夏綺さんはこういう作家であり、きっとこういうことを考えてるに違いないというトークをすると、なんかそういうことまで含めて許されているというか許されているって言い方おかしいですけれども、何かお互いの共同戦線みたいなもののが取れている場合はなんか楽しかったなって思っていて。
今まで依頼を受けて何がどうとか書いてほしいかみたいなことを強く感じたことはあまりないけれど、むしろ作家さん本人から依頼を受けると書きづらいときもたまにある。そういうときぐらいですかね。挑戦状じゃないけれども、熱い思いをいただけばいただくほど、時間がかかってしまうみたいなところがあります。

檜山:依頼原稿に求められている批評みたいなものの内実って何なんだろうっていうのは結構思っていて、それはどう思ったりしますか。

吉田山:いや、なんか今話聞いてて、なんか僕、もしかしたら、依頼する方が多いかもしれない。広告みたいなことは望んでないってのはもちろん言います。
何で頼むっていうと、その人のことを念頭に作った展覧会で、その人に見て欲しくて、どう考えているのかっていうことを聞きたくて依頼したっていう、その人ありきで念頭に置いて行った行為なので、その人が文章にしてくれるならしてほしいという感じですかね。
レビューしてほしいみたいな、この気持ちなんですかね。見に来た人の一つの視点というか自分で気づいてないことが開示されていくっていうことが面白いし、あとは何かその人が何かよく考えてくれたっていうことが結構有意義だなって思います。

きりとり:それをアーカイブっていうか本にするのは、残っていくことが、この人たちが見て、こういうことを、このとき思ったっていうのが、空間自体展覧会仮設物だから、展覧会のクオリアみたいなものをまるっと残すことって不可能だから、そういう意味でレビューがあると一つの構造体になる。

 檜山: 今のお二人の話を聞いていると、文章だけが批評性の表れじゃないことが見えました。例えば吉田山さんだったら、いわゆる展覧会っていう形だったりとか、きりとりさんだったら『パンのパン』もそうですし、私的には考えていることを肩書きにしていいんだみたいな素朴な発見があったりして。それがいわゆる新しい美術の批評性なのかなと思ったりしました。

後編につづく
どうぞお楽しみに!


注:
(注1)「芸術競技」+「オープニングセレモニー」FL田SH(東京)
2020年に開催された展覧会とその関連企画。展覧会の参加作家に中島晴矢、秋山佑太、トモトシ。関連企画のパフォーマンスに中島晴矢、トモトシ。弾き語りにさらさが参加した。

(注2)「インストールメンツ」(投函型展覧会全6回)
2020年より継続的に行っている。参加作家に石毛健太、光岡幸一、吉田山。

(注3)2021年にJR代々木駅前に開廊したアートスペース。

(注4)PROJECT ATAMIのこと。現在、吉田山はATAMI ART RESIDENCEのプログラムディレクターとして活動している。

(注5) 「SAFARI FIRING」という1日のみ開催されたツアーパフォーマンス。アーティストコレクティブのオル太のJang-Chi、メグ忍者との共同企画。参加作家は井上徹、オル太、カニエ・ナハ、玄宇民、contact Gonzo、高見澤峻介、百頭たけし、嶺川貴子。
神津島は黒曜石の取れる場所で有名。東京湾からフェリーで10時間かかるリゾートな離島。パワースポットとしても有名で温泉もある。水がおいしい。

(注6)作品自体を交換し、ジョージアの作家の作品を日本に持ってきて、原宿で展示。その後、トルコのイスタンブールでも同様に20組の作家の作品を展示。プロダクトデザイナーに輸送箱の制作を依頼し、それが作品の10倍重くて苦労した。

(注7)「のけもの」3331 Arts Chiyoda屋上(東京)
2021年に開催された。立体作品出品に千葉大二郎、藤倉麻子、光岡幸一、森山泰地。展覧会空間計画はGROUP、展覧会タイトルは辺口芳典、刺繍帽、ヌケメ、展覧会主題歌はさらさ、占い師はハイヒトミ、グラフィックデザインは八木幣二郎。

(注8)『MALOU』(2021)
「のけもの」に関する展覧会カタログ。
展覧会の売買における契約書が取り付けられており、展覧会の売買可能性を実践・想像するプロジェクトとしても機能。
リリースイベントとして原宿ブロックハウスにて展覧会を開催、展覧会の構成メンバーにリモートメンターの檜山真有、メインビジュアルに八木幣二郎、写真に青木柊野。

(注9)「セルフポートレイトの生々しさの行方」(第66回美学会全国大会|若手研究者フォーラム 2015)

(注10)「Surfin'」東京都台東区某所
2017年に開催された展覧会。参加作家に大岩雄典、永田康祐、山形一生、山本悠。レビューにきりとりめでる、鹿、福尾匠。

(注11)『パンのパン』(2017年〜)
きりとりめでるが発行人の美術同人誌。現在、5冊刊行している。

(注12)『パンのパン01 山本悠特集号』(2017年)
執筆者に石岡良治、上崎千、きりとりめでる、 黒木萬代、澤宏司、砂山太一、谷口暁彦、渡邉朋也。

(注13)『パンのパン02 展覧会評盛り沢山号』(2018年)
執筆者に居村 匠、菅原伸也、塚田優、長谷川新、平田剛志、増田展大、吉⽥キョウ、渡邉朋也。

(注14)山本夏綺個展「●を↑↓←→に」秋田公立美術大学ギャラリーBIYONG POINT(秋田)
2023年に開催された展覧会でのトークイベントに登壇した。