miso

国外ひきこもり

miso

国外ひきこもり

最近の記事

私の無意識領域は無課金シムシティくらいの雑魚(無限列車編をみた話)

無課金のシムシティがどの程度かは知らん。中途半端の意。 鬼滅の刃の映画見ました!ダブルピース みんながやいのやいのしてる時は、フン………って通り過ぎるタイプなので今頃見ました。アニメの方も、世間のほとぼりが覚めた頃に通して見ました。 正直アニメは、ほーんって言って終わった。 わたしはアニメより漫画で感情移入するタイプだからかもしれないけど、登場人物の悲しみや苦しみが、感動や共感を呼ぶほど特別なものではないと感じた。世界観がダーク!と言われてもほとんどの漫画は大体ありえな

    • 変なバイトをするのはやめよう

      きっと大学3年の春頃だった。そのころは金の重みを知らなかったので社会不適合者であることを誇らしげに掲げ、バイトもしないで毎日カーテンを開けたり閉めたりしながら生きていた。お高い家賃も毎月のお小遣いも両親が支えてくれていたし、そもそも財布の紐が5重結びしてあるくらいには固い人間なので金は毎日の夕食代とたまにこっそりホモの漫画を買うくらいにしか使っていなかった。 しかし、自分に課せられた日課が歯磨きしかない生活にも限界が来て、なにかをしなければならない!と思い立った。 「バイ

      • 酔 即 斬

        家にひきこもりすぎてて救いがない。 コミュニケーションって人間に与えられた重要な手段だと頭ではわかってますが、こんなに難しいものを必須手段にしないでほしい。 なんでわたしはこんなに話すことが苦手なんだろう、と原因を探ったとき あ、わたしは酒を飲まないからだ!と思った 酒の場は私と正反対のもので溢れているので。大きな声とか刺激的な食べ物とかのわけわからん部位の肉とかナマモノとか魚とか。 一方私の住んでいるこの国は、飲みニケーションがすべてである 旦那を見ていると気の毒

        • 夢と希望の日々

          小学生の時が一番楽しかった。まじで。 それ以降の人生はまあ〜〜〜それなりに笑ったり泣いたり憤ったりしてはきたけど特に印象深くもないし楽しかったかと言われると「別に?」とクールぶってしまう。 小学生の時は、毎日アホだった。 何してたか詳しい記憶はないけど、仲良しの友達が何人かいて、私の楽しいことを一緒にしてくれて、一旦家帰ってからまた自転車で集合して、行きつけの公園に行って、友達んちでスマブラして、帰ってご飯食べて寝てた。 最高では? あの時代が恋しい。 小6の時に

        私の無意識領域は無課金シムシティくらいの雑魚(無限列車編をみた話)

          辻井伸行さんという天使について考えるアホ

          盲目のピアニストがショパンを弾く という文字列のキャラ立ちがすごい。シルエットだけでわかる悟空みたい 辻井伸行さんという方について、一般的な意見は『目が見えないのにピアニストだなんてすごい』だと思う クラシックも知らず、ピアノは小学生の頃少なくとも1年以上習ったはずなのに楽譜は引くほど読めんしねこふんじゃったすら弾けない私(ピアノ教室で気絶してたの?)も、はじめはそう思った。 図らずも”盲目”であることが、下世話に人の興味をひく。 それで、なんとなくショパンの曲が好

          辻井伸行さんという天使について考えるアホ

          KPOPアイドルおたくではないけどアイドルを見守っている人の話

          韓国に住んでます、というと「え?ケーポップ好き?」と合いの手のように聞かれる。 わたしはその度にはっきりと「ウェ゛??……う〜〜〜〜ん………???」という。 やはり韓国という国に興味を持ったきっかけはアイドルで、当時は生きる=ツイッターでアイドルの一挙一動に愛を叫ぶみたいな時代もあったけど、 いざ渡韓してからはスン……と消えた。 リアルの世界が充実しだしたから、という健康的な理由だった。 わたしは気難しいおたくで、アイドルを愛していても会いたくはなかった。 だから

          KPOPアイドルおたくではないけどアイドルを見守っている人の話

          やりたいことがない という心情

          これは私の場合の話しであり、停滞する梅雨前線のように21歳のときからずっと頭上にもやもやとしているテーマであり、いま現在も解決できず繰り返される悩みであるので、 この記事では「でも」「だって」を連発することになると思う。 解決策を書くわけでもない。 なぜ、わたしがこんなことになってしまったのか、他人事のように書くだけである。 大学4年・就活 この時期になって初めて、わたしは人生とはを考えた。 具体的にいうと『この先何をして食っていくのか』。 わからなかった。 私

          やりたいことがない という心情

          ゲームと共に成長する平成生まれのゲーム遍歴②

          前回はゲームボーイからプレステ2までの思い出をぶちこみました。 ゲーム機が手に入らなくて家出(なんで?)するほど、ゲームに対する愛情は確かなものだと心得ているので、楽しんでもらえれば幸いです。 今回はまず携帯型ゲーム機から! PSP ・鉄拳当時中学生くらいだったが、なぜこれを買うに至ったかは不明。格闘ゲームにストーリーがあることを初めて知った。格ゲーをなんだと思っていたのか。 リリ様をずっと使っていた。リリ様最高。 ・無双OROCHI戦国時代の武将と三国時代の武将が

          ゲームと共に成長する平成生まれのゲーム遍歴②

          ゲームと共に成長する平成生まれのゲーム遍歴①

          親は共働きで一人っ子だった私は幼い頃から漫画とゲームが友達だった。 だけど自分を可哀想だと思ったことはまったくない。 私の世代はまさに、ゲーム機の変革期であり黄金時代だったから。 たまたま見つけた #自己紹介でゲームを語る タグをきっかけに、私の歴代の友達(ゲーム)を紹介します。 誰もが熱中したあのゲームから、自分だけのゲームの楽しみ方を見つけ出すまでを、ゲーム機の変遷も交えて羅列します。 ゲームボーイ 〜 64 〜 ゲームキューブ ・スーパーマリオランド(初代ゲー

          ゲームと共に成長する平成生まれのゲーム遍歴①

          台湾へ一人旅に行った時のメモだよ

          仕事辞めて1週間後に台湾に行った。付き合ってくれる友達なんていないので一人で行った。仕事を辞めて強い女になった気でいたのでむしろ一人で行ける気しかなかった。 なんで台湾にしたかと言うと、縁結びの神様がマジやばいみたいな噂を聞いていたから。あと周りで行きたいって人がいっぱいいたので「ふーんそうなん?」みたいなノリでいった。つまり特に思い入れはなかった。 そんなわたしの台湾での目的は3つ ・激ヤバな縁結びの寺にあやかりたい ・地元でも有名な手相占いの占い師にこの先の人生見て

          台湾へ一人旅に行った時のメモだよ