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第68回 これからの仏教⑨ アーナンダ(阿難)の苦しみ!

 アーナンダ(阿難)は釈尊の十大弟子の一人で、釈尊が亡くなるまでの最後の25年間を侍者として近侍し、多聞第一(たもんだいいち)と称されました。

 多聞第一と称されるくらいですから、釈尊の説法は全て身近で聞いており、仏説であることを証拠づける証として経典の先頭に冠せられる、「如是我聞(にょぜがもん)=私は、このように聞きました」の「我」のほとんどは、アーナンダのことだとされています。

 このアーナンダが、釈尊が亡くなった後第1回目の仏典結集(ぶってんけつじゅう)の会合が開催されるとき、会合への参加資格をめぐって、筆舌に尽くしがたい苦しみを味わったことが仏典に記されています。

 どういうことかというと、仏典結集に参加する資格を有する弟子は、アルハット(阿羅漢)という仏教の修行階梯をクリアしていることが参加条件とされていたのですが、あろうことか、釈尊の直弟子の中で、25年間釈尊に近侍していたアーナンダだけがクリアしていなかったのです。

 第1回仏典結集の会合が迫る中、必死でアルハットになるための瞑想修行(=悟りの獲得)を続けるアーナンダでしたが、なかなか悟りは開けず、万事窮すとなった開催当日の朝、極度の疲労から床に倒れ込んだその瞬間に悟りが開けた、ということが仏典に記されています。

 この逸話は、「悟り」や「成仏」等、釈尊が直々に説いた仏教の根幹をなす真理を理解する上で非常に重要なヒントを与えてくれるものですが、どういうわけか、仏教史上それほど注目を浴びることもなく、忘れ去られているように思えます。

 そこで今回は、この逸話が示唆する、これからの仏教を考えるうえで絶対に避けては通れない、「悟り」や「成仏」等の根元的な問題について考えてみたいと思います。

 私は以前、般若心経のサンスクリット原文「法隆寺貝葉写本」の私的翻訳結果と、世界最古の仏教文献と称される「スッタニパータ」の精読結果から、釈尊は、在世中は、出家修行者向けの求道の教え(=仏陀に成るための教え)と在家信者向けの救済の教え(=死後、浄土世界に往生するための教え)の、二つの教えしか説かなかったと書きました。

 主たる説法相手である出家修行者に対しては、亡くなる直前まで、「怠ることなく修行に励みなさい!」と、瞑想修行に専念することを厳命し続けていたのです。

 その効果があってか、多くの直弟子達は、仏典結集への参加資格である、仏陀の一歩手前の階梯「阿羅漢果」を獲得して会合に臨むことが出来ました。

 その中で、25年間も釈尊に近侍して、釈尊の説法の全てを間近で聞いていた多聞第一のアーナンダだけが、「阿羅漢果」を獲得することなく、一人苦悶していたのです。
 その焦りは、相当なものだったろうと思われます。

 この何でもないような逸話には、釈尊が説いた直々の教えには明示されていない、三つの重要な真理が暗黙のうちに示されています。

 第一は、釈尊の説く「悟り」や「成仏」は、聖者や高僧の説法をどれだけ沢山読んだり聞いたりしても、それだけでは絶対に証得できるものではないこと。

 第二は、一心不乱に瞑想修行に専念していると、何の予兆もなく、突然「悟りの境地」(=阿羅漢果)に到達することがあること。

 第三は、生きていくための毎日の生活に忙しく、修行(=瞑想修行)の機会を得るべくもない一般の在家信者は、「悟り」や「成仏」の境地に到達する可能性は全くないので、死後、浄土世界への往生かより良い来世への再生(=輪廻転生)を期待して、日々、善因を積む修行に励むこと。

 現在、○○瞑想や△△瞑想、□□禅や✕✕禅等、悟りに到達することを標榜する、いろんな種類の瞑想法が実践されています。
 しかし、「悟り」に対する理解・認識が安直に過ぎ、一時間とか二時間とか時間を区切って修行を設定する現在のやり方では、絶対に「悟り」は得られないと私は思います。

 「悟り」に到達するための瞑想修行は、時間を区切ることのない、時間無制限一本勝負の真剣勝負のような一心不乱な修行体系の中にだけ存在している、と仏典は示唆しているのです。

 現在の仏教界の大勢は、実態は一般の在家信者とさほど変わらない「袈裟を着た葬式・法事・法要従事者」に先導され、儀式中心のルーティンワークにがんじがらめにされ、本来の修行中心の生活とは掛け離れてしまっているのが実状ではないでしょうか。

 これから仏教者としての道を歩もうと志す人は、「悟りの獲得」や「成仏」を目指す求道の道を選ぶのか、それとも、死後、浄土世界への往生やより良い来世への再生(=輪廻転生)を目指す救済の道を選ぶのか、目的を明確にした上で、目的に合致した修行形態を選ぶ必要があると思います。



 



 

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