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時をかけた1日

土曜は久しぶりに電車で1人で出掛けた。

家族は夫が昔小学生だった頃によくいったという駄菓子屋にこどもを連れてサイクリングがてら公園、との我が家の定番コース。
いってらっしゃいと見送ってから出発。

わたしは22年前就職活動でいったことのある南町田へ。
小学校からの幼馴染みがフラのステージに出演するそうでそれを観に行くがてらの1人時間。

電車の中ではいつもの友達とLINEやりとりをし、色々ものおもう。夫からこどもたちと駄菓子屋の前で撮った写真、公園でこどもたちがじゃんぷしてる写真が届きたのしそうだねー、てかえしたら楽しい!と。うん、あなたが一番楽しそうだわ(笑)

そんなやりとりしながらついて、ステージまでの時間の間、アウトレットパークをぐるりとまわる。

この食器屋さん、勤めてた仕事場で使ってたブランドだなー、とか、この服屋さん、10代の頃きてたな、とかまわりで流行ってたな、とか。ハワイアンフェスタなのできてるキッチンカーがそういう食品だったりKONISHIKIさんがいたり。

なんだかふわふわ眺めてた。
通りすぎたものを思い出しながら、目の前のものを眺めてもこれ!!と響くものは特になく、もともとものを探しながら歩くことがなく、これがほしいからこういうのを探そう、という買い物の仕方なんだったわ、と思い出す。
20歳くらいの頃、ほしい形の服やサンダルが見つからず新宿をぐるぐるとした8時間。
結局スカートとサンダルだけ当時は買ったなあ、とか思い出しながらこの日はなにかほしいものあったっけ?とおもう。

とにかくものすごい人で、まわりの皆がもってる紙袋が、その人にとってのイイモノがみつかったのかな、いいなー、なんておもいながらすれ違っていく。

結局これといって自分のほしいものはいまはなかったようで、ほしくなるものも見つからず、キッチンカーでお昼を買う。

レモンクリームソースがけのモチコチキン弁当。よくらこどもの給食で年に1度くらいでて、どの子もおいしかった!ていうから気になってたやつ。ようは唐揚げだった(笑)
が、この日は暑かったから酸味がとても心地よかった。

午後になり、友達のステージ。
友人はもともと目立つのが得意じゃなくて、好きな服とかも紺とか茶とか、当時のわたしだったら選ばないものが多かった。だけど彼女は20代のころ、ひょんな流れでフラを始め、最初はただの習い事だったはず。
それが教室が独立とか、移転とか色々あってステージに出る流れになり、もう何年もこうして踊ってる。
前にも彼女のステージはみたことがあったし、会えばフラの話もするから踊りをみせるのに表に出ている、と彼女はイコールなんだけどあまり繋がってなかったのかなあ。
改めて動画にとりながらみてたときに、すごいなー、前に出るのにがてだったはずなのにこんな風に人前で踊ってるのねー、なんて感慨深かった。
もともとおとなしそうには見えてもいろんなことにチャレンジするからフラはそもそもそのチャレンジだってのかもしれない。
だけどそれが何年、何年、とつづいた結果、いまがある。
そんなことを考えて、ステージ後、よかったよー!!と人前で踊るのを改めてすごいなあと感じたことなどの感想を伝えた。
当の彼女自身はいやいや、相変わらず苦手だよ、でも踊りはもう別かなあ、ていうのと、仕事に追われてて眠くて朝からバタバタときたこと、踊り途中軽く飛んでおっと!とおもったようなことなどを言ってて、渦中にいる人はそんなかんじなんだなー、と、おもった。

その後、軽く引き続きみてまわりながら時間を潰し、その後は8年ぶりくらいに再会する学校の友達と合流。
お互い2人の子を育ててる渦中は会ってたけれどわたしはその後3人目妊娠~出産で気力がなく、友人も訳あってシングルマザーになる流れがありフルタイムで働きだし忙しくなり、空白の10年近くがあった。

でももともと専門学校時代になにが共通とか特になく仲良くなり、延々とそのときおもったことを話し続けて、就職、退職、結婚と越えても話を交わし続けてきた相手だったからかわらずに話せた。

色々しゃべりながら思い出もでてきて、20代前半の自分の記憶に出会わせてもらった気がした。
なにをしゃべるにしても責任もなにも関係なくたのしそうだよね!やってみよ~と、無邪気に色々共有してきた時間を思い出しながら、お互いに気づいたら背負うものがいっぱいになってたね、ていういまの立場ゆえの責任に埋もれてる話、そんなのが結構でた。

いつのまにかたくさん背負ってるけど基本人間、本質は変わってなくて、だけど荷物は増えてどう、生き続けようかねー、てかんじで。
彼女のこどもよりすこし大きい子を育ててるのでわたしが言えるのは義務教育、義務教育がおわると同時に思春期の過渡期も一段落し出すからすこしちがうよ!!てことだけだった。

友達のお母さんにこどもをみてもらってることもあり、3時間程話しておひらき。

帰り道、家族は外食にでてたついでに沿線まで迎えがてらドライブいくよー!ていって着てくれて、昔彼女がすんでいた町で降りた。
わたしがまだ幼稚園だった娘と幼児だった息子をつれて、さらに幼い幼児と乳児を育ててた彼女をさんざん車で訪ねたアパートがあったあった町の最寄駅。

なんだか1日中、思い出の拾い物と、忘れかけてた自分だったり、相手のわすれかけてたものを届けてきたような1日だった。