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書きたいのに書けないわたしがライターゼミにお邪魔して

ライターゼミ Advent Calendar 2023 に参加しています。

ライター「らしき」ことをはじめて5年くらいになるだろうか。
作文は比較的得意な方だけれど、仕事にするつもりはなかった。独立して、仕事に困っているだろうと親切なお客様が、「インタビューに同行してもらって、それを文章にできる?できれば写真も撮ってほしいんだけど。できるよね?」とおっしゃってくれたのが最初。
気がついたら、書く関係の仕事がずいぶん増えた。用語集に始まり、よそ様のブログのゴーストライティングや、動画のリライト。いわゆるSEOライティングもちょっとやった。ニュースサイトでは編集担当と呼ばれるようになってしまい、今年は単独のインタビューライティングまで受託してしまった。

文章や情報編集のトレーニングは多少受けてきた。多少、と言っていいのだろうか。これでもISIS編集学校には長く通った。でもあそこは、いわゆるライタースクールとはまったく違う。いや、役に立っていることはたくさんあるのだけれど、なんというのだろう、自転車とスクーターくらい違うような気がする。
いや、そういうことを言いたいんじゃない。編集学校に通ったおかげで、書きたいことはあとからあとから見つかるのだ。でもペンが進まない。それで仕事で速く、たくさん書くトレーニングをして、ついでにお金をもらおうだなんてのがずうずうしかったんだ。

今年、それじゃダメだと思い、ついに「仕事はライターです」と言うようになった。実際、自分の売上の6〜7割はライティングだ。仕事の時間ベースでもそのくらいになっている。
でも、ライターって何をすればいいのかわからない。どうやったら成長するのかわからない。どんな人をロールモデルにしたらいいかわからない。ライターが集まるオンラインサロンに行ってみても、ライティングで稼ぐというか売り上げる話が多い。こんなツールを使うとかの技術論はたいへん参考になるが、何かが違う。
ということで、ライターゼミなるものに参加してみた。私がいくつも挫折した、クラウドワークスの「みんなのカレッジ」のライター系講座のメンターさんや熱心な受講生だった人が集まっているところだ。(当時はおおおと遠くから眺めていて……フェードアウトした)
ライターゼミでも、私はいわゆる「ほぼロム専」だ。いちどだけオフ会に行って、オンラインでパワフルなひとたちはオフでもパワフルだなあと、パソコン通信のころと同じ、30年前とまったく進化のない感想(→もとパソコン通信のヘビーユーザー)を抱いたくらい。でも、なんだか居心地がいい。

この居心地の良さはなんだろう。「街」と呼ばれているこのコミュニティ。適当にかまわれ、ほどほどにかまわれないところはたしかに街っぽい。ライターの技術のはなしをガリガリしないところも気が楽。何より、みなさんが楽しそうにいろいろ話している。というか書いている。目標達成のための日報、夕飯のメニュー、推しに会うためのお出かけ・・・みなさん、ライティングという技術を使い、ライターゼミという街の中で、何かを表現しているのだ。

ライターゼミで「#テキトーフォーミー」という言葉をよく聞く。どうもライターゼミ関連のかたのプロジェクトらしい。よくわからない。わからないけれど、参加されているかたが楽しそうなので、頬杖をついて眺めていた。そのひとつ、アドベントカレンダーに参加されている知院さんの記事を読んでいたら、ふと子どもの頃を思い出した。
私は製紙業が盛んな街に生まれた。父は紙関係の薬品や資材を卸す商社に勤めていて、時々ふしぎな紙を持ち帰ってきた。サンプルだったらしい。かわいくもないし、書きやすくもないが、とにかく大きくて、好き勝手に描くことができたのを覚えている。そして、量やサイズがまちまちで、母が邪険にしていたのも覚えている。
テキトーフォーミーはかわいらしいしおしゃれだ。プロダクトもよく考えられている。でも、なんかうーん、私は呼ばれていない、そんな気がしていた。サイトに流れるストーリーやおしゃれさ、コンテンツに惑わされていたし、その割にビジネスモデルやねらいがよくわからなくて、わからなさが距離を置きたいようなものになっていた。
だけど、知院さんの写真に出ている子どもたちの作品は、たしかに昔むかし、自分が描いたのと同じ種類のものだ。ああ、これならわかる、思い出した。

手書き一択、印刷もたいへんだった頃から思えば、なんでも表現しやすくなった。でも、だからこそ、「よく書かなければ」という余計な重圧がかかる。わかりやすい、美しい、正しい、検索性が高い、オチがある、などなど。
でも、もとはといえば、チラシの裏やノートの切れ端、教科書の隅っこにごしゃごしゃっと描いて、それを見せ合うのが楽しかったんだった。その当時でも、夏休みの最終日、朝になるまで原稿用紙に向き合って頭をかきむしっていたんだった。ちょっとくらい書く仕事をしたからって、すらすら書けるようになるはずがない。

この文章も、最初に書こうと思っていたこととずいぶん違うものになってしまった。でも、ほかの人に流されるのもアドベントカレンダーの醍醐味なんじゃないだろうか。へへっ。
構成も検索性も有用性もどうでもいい。いまの私が書きたいこと、これでいい。次、いつ書けるかわからないが、こうやって、1ミリずつでも書くハードルを下げていけたら。


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