見出し画像

長い言い訳

あたしは今年68歳になるただのおばあさんで、あらゆることの門外漢で、何事も極めることなく、人生を好き嫌いの直感と思い込みと勘違いで渡り歩いてきたような気がする。

英文科出たけど英語そんなに得意じゃないし、茶道のお免状は唐物まで持ってるけど45年前からお茶席に入ったことはない。

精神対話師としてはなんの活躍もせず、傾聴ボランティアは腰痛で辞めた。

なんのキャリアもない専業主婦で、しかも家事も得意ではない。めんどくさいことを後回しにするから、いつも、あたふたしている。

子育てに関してもいろいろあって、いまは語る言葉を持たない。

と、書き出してみると、なんだかあたしはうんざりするほど人生の劣等生だ。及第点がどこにあるのかなんてわからないけど、人生のお成績表がかんばしくないのはわかる。

自慢することがない。

好きを極めることもなく、嫌いからは後ずさる、なんてことをくりかえしていくと、こうなる。

でも、と、開き直るわけじゃないけと、そんなひとがいても、いいんじゃない?っていつしか思うようになった。

生ぬるくてすごくない人生、なかなかうまくいかない人生、まさか?の難事の重なる人生を、しやあないな、と引き受けて、苦笑を笑顔に変えて、そんな日もあるさとやりすごすってのも、悪くないのかもしれない。

ポテンシャルの違いを認めるのが辛い時期があった。自分の努力不足だと思い込んでいたが、才能は偏在するのだと思い知らされて、だれかの後ろ姿ばかり見つめていた。

ビリがいるからトップがいる。トップばかりが集まっても、そのなかにもビリはいる。どんな分野でも、それぞれそんな勝ち抜き戦がある。上を目指すとはその戦いに参戦することだ。

いつからかそういうのをやめた。

歴史的な話になるが、戦後まもなくのベビーブームに生まれた団塊の世代は、その数の多さのなかに埋もれないための戦いを繰り返しながら生きてきている。

あたしは、そのひとたちのすぐ下の、谷間の世代と呼ばれる世代に生まれた。その年、森永ヒ素ミルク事件というのがあって、たくさんの赤ん坊が亡くなった。赤ん坊の時代から割の合わないことを引き受けている日陰の世代だ。

そんな世代から団塊世代を見上げると、自らの存在をアピールし続けるがむしゃらさが、なんともしんどかったし、どこか、恥ずかしかった。

どんな場面でも現れる自己主張の強さに閉口した。手を上げ続けなければ忘れ去られてしまう不安なのかもしれないが、親鳥に雛鳥が大きく口を開けているような感じにぞっとすることもあった。

なにしろ貪欲なのだ。団塊世代はイナゴの大群ようにあらゆるものを食い散らかしていくように思えた。自分にとっての損とか徳とかの計算の速さやポジション取り、不平不満の並べ方は、そのエネルギーや情熱を深めて、絶対マネできない。というか、このひとたちには勝てないと痛感した。

好き嫌いでいうと、好きじゃない。だからこうなったという責任転嫁をするつもりはない。自分のの嫌いなことをしなかっただけだ。

人を押し退けるとか競うとかをなんとなく避けてきた。負けたら悔しいけど、勝ったら勝ったで申し訳なくなる。どのみち気持ちがしんどい。

気持ちがしんどいことが重なると、身体の方がネをあげる。病気になる。病気になってみると、たくさんのものかそがれていって、ほんとに大切なものの順番がわかってくる。

そして、思った。無理しなくとも、 なにごとも、あたしの好き嫌いでいいじゃない、と。やりたかったらやる、そうじゃなかったら無理しない。

だからね、あたしはみんなといっしょにおんなじことをおんなじようにするワークショップが苦手なの。とくにものづくり系が。不器用だからってのもあるけど。

誘ってもらったのにお断りする心苦しさより、同じように出来ない自分に落ち込むほうが嫌だから。

あー、カッコ悪い。これだから、永遠劣等生。







読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️