文鳥まつり(1/5)

  (一)

 文鳥まつりの話をおじさんに聞いてからずっと、文太は自分も行きたいと思っていました。

 小さな鳥かごの中で、文太とおじさんは仲良く暮らしていました。

 文太がまだ灰色の雛だった頃は、もう一羽一緒に暮らしていたそうです。けれど文太は小さすぎて、今ではもうその面影を覚えていませんでした。

「ねえおじさん、今年の文鳥まつりには連れてってよ。去年はあんなちっぽけな雛だったけど、ぼくはもう頭も黒いんだから。立派な大人だよ」

「ううむ」

 おじさんは青菜をつつくのをやめ、小首をかしげて文太をじっと見ました。黒い頭に珊瑚色のくちばし。そして灰色の胸にうっすらと白い模様。文太はもう自分とそんなに変わらないくらい、立派な文鳥ぶりでした。

「じゃあ正太坊ちゃんに話してやろう。片道で二日もかかるんだ。坊ちゃんの許可がなくちゃ、いけないよ」

「わあい。頼むよおじさん」

 文太はブランコに飛び乗りました。そして、もう文鳥まつりへ行くことが決まったかのように、うれしそうに歌を歌いました。

「まだ子どもだなぁ。あんなにはしゃいでる」

 おじさんは文太を見て目を細めました。でもおじさんだって、文鳥まつりをとても楽しみにしていたのです。

 文鳥まつりというのは年に一度ひらかれる文鳥たちのお祭りです。

 初夏の頃になると、文鳥たちはいろんな所からひみつの場所に集まります。昔の文鳥まつりは、遠い故郷の南の国へ思いをはせるために開かれていました。けれど今ではその故郷を知るものはありません。文鳥たちは互いに出会い、懐かしみ、一緒に歌ったり踊ったりしながら楽しく時を過ごすのでした。

 玄関でガチャガチャと鍵を開ける音が聞こえました。

「あ、正太君が帰ってきた」

 文太が言うと同時に玄関のドアが開き、ばたばたと廊下を駆ける音がしました。

「ただいまぁ。やじろべえ、文太、いい子にしてたか」

 正太は部屋に入ると真っ先に扇風機をつけました。それから手でぱたぱたと扇ぎながら、鳥かごをのぞき込みました。

 「やじろべえ」というのはおじさんの名前です。おじさんの名前は正太のお父さんが、そして文太の名前は正太がつけたのでした。

 正太は小学校四年生の元気な男の子です。お父さんとお母さんは仕事をしていて、それぞれ夕方や夜にならないと帰ってきませんでした。

 文太とおじさんは口々におかえりと言いました。

「今日は水泳教室の日だから、少しだけだぞ」

 そう言うと正太は鳥かごの扉を開けました。

 文太はいきおいよく飛び出し、素早く部屋の中を一周してから正太の頭の上にとまりました。おじさんはちょこんと正太の肩にとまりました。

「坊ちゃん、お願いがあるんですがね」

「何だい?」

「文太を文鳥まつりに連れて行きたいんですよ」

「文鳥まつり?」

 正太はしばらく考え、やっと文鳥まつりについて思い出しました。

「ああ、毎年文鳥が集まるっていうお祭りの事か。いつあるの?」

「これから数えて七回めの太陽が昇った時に出発したいんです」

「七回め……。一週間後かぁ」

 正太はカレンダーを見ながら右手を頭の上に掲げました。するとすかさず文太は正太の手と頭の間をぴょんぴょん往復しはじめました。

「ぼくには分からないから、ママが帰ってきたら聞いてみなよ」

「じゃあそうさせてもらいます」

 おじさんは器用に、自分の頭をつるりとなでました。

 正太が餌を替え水を替えている間、ふたりは部屋の中を飛び回って遊びました。

「さあ、もう水泳教室に行く時間だから中に入って」

 おじさんは正太に握られるようにして、鳥かごの中に入りました。けれど文太はもっと遊びたいと、なかなか鳥かごに入ろうとはしませんでした。おじさんはお腹が減っていたのか、かごに入るとすぐにがつがつと餌を食べ始めました。

「コラ、わがままなやつは文鳥まつりに連れてってもらえないぞ」

と正太が言うと、文太は「ピピィ」と鳴いて、慌てて鳥かごの中に入りました。

 誰もいない部屋に、おじさんと文太はまたふたりきりになりました。太陽はだいぶ傾きましたが、まだその光には強さが残っています。

 ふと、遠くでサイレンの音がしました。それは五時を告げるサイレンで、鳥かごの中のふたりにとっては「ママさんが帰って来る」という合図でした。お母さんは近くの会社で五時まで働き、買い物をしてから帰って来るのです。

 おじさんと文太は替えてもらったばかりの水で、かわりばんこに水浴びをしました。そしてきれいに羽を整えました。

 しばらくするとお母さんが帰ってきました。お母さんはまず台所で買ってきたものを冷蔵庫に入れ、それから文太たちのいる居間に入ってきました。

「ただいま。いい子にしてた?」

 文太たちは正太の時のように、口々に「おかえりなさい」と言いました。

「あら、青菜がもうないわね。取り替えましょう」

 お母さんが鳥かごの中に手を入れると、文太は甘えるようにその手をつつきました。

「文ちゃん、つついちゃだめよ」

 そう言いながらお母さんは素早く菜挿しを取り出しました。それから台所で新しい青菜を入れてすぐに戻って来ました。

 お母さんが菜挿しを取り付け、鳥かごから手を出したその時です。一瞬の隙をついて、おじさんがひょいっと外へ出て来てしまいました。鳥かごの中では文太が「おじ

さんだけ外に出てずるいよ!」と騒いでいます。

「まあ、やじろべえ、出て来ちゃだめよ」

 指の上にとまったおじさんを中に入れようと、おかあさんは扉に手をかけました。おじさんは少しも慌てず「ママさん、お願いがあるんですが」と言いました。

「お願い?青菜以外の物がほしいの?」

「いやいや、そうじゃないんです。青菜は大好きですから…。いえね、文太を文鳥まつりへ連れていこうと思うんです。それで正太坊ちゃんに言ったら、ママさんに聞いてということで…」

 おじさんはごま塩頭をつるりと撫でました。鳥かごの中の文太は、騒ぐのを止めておとなしく話を聞いていました。

 お母さんはすぐに、おじさんが毎年文鳥まつりに出かける事を思い出しました。

「ねえ、文鳥まつりっていつもどこでやってるの?」

とお母さんが聞くと、おじさんは

「それは言えないんです」

と申し訳なさそうに答えました。文鳥まつりは文鳥たちだけの、ひみつの場所で行われるからです。遠い昔から文鳥たちは、この小さなひみつをずっと大事に守ってきました。

 お母さんは文鳥たちがいつもやるのと同じように小首をかしげながら、ほんの少し考えました。そして心配そうに言いました。

「でもそのお祭りの場所って遠いんでしょう。文ちゃんはそんなに長い距離を飛んだ事がないし、大丈夫かしら。危ない目にあうかもしれないし……」

「私がよくよく注意します。なあ文太。ちゃんとおじさんの言う事聞くよな?」

「もちろんだよ、おじさん」

 文太は気合い十分に、ばたばたと羽を羽ばたかせました。

 複雑な顔でお母さんはおじさんと文太の顔を見比べていましたが、やがて言いました。

「いいわ、やじろべえがしっかり見ててくれるなら。許可しましょう」

 文太は喜んで、止まり木の上でぴょんぴょん跳ねました。おじさんはもう一度頭をつるりとなでて「ありがとうございます」と言いました。

   (二)

 それから一週間が過ぎるのは、なんとゆっくりだったことでしょう。文太が「もう夜が明けているかしら」と思って目を開けると、まだ月明かりがさしているという事がしばしばありました。

 その間にもおじさんは相変わらずたくさん餌を食べていました。

 けれど、とうとうその日がやってきたのです。

 正太は文鳥たちのためにがんばって朝の四時に起きました。そして眠い目をこすりながら、鳥かごの中の餌と水を替えました。おじさんと文太は美味しそうに餌を食べました。

 明けてゆく空には、取り残されたように白い月が浮かんでいます。

 正太が窓を開けると朝の冷たい空気が入ってきました。けれど、今日もきっと暑い日になるでしょう。

 おじさんは珊瑚色のくちばしで文太の羽をきれいにつくろいました。

「絶対に無理をしちゃいけない。疲れたらすぐおじさんに言うんだぞ」

「うん、分かったよ」

 準備が整い、おじさんは正太に「坊ちゃん、そろそろ行こうと思います」と言いました。

 正太が鳥かごを開けるとおじさんと文太はするりと出てきて、差し出された正太の腕に止まりました。正太はじっと二羽の文鳥たちを見て

「気をつけてね。絶対帰って来るんだぞ」

と言いました。

 文太は「大丈夫だよ!」と元気に答えました。

「じゃ、坊ちゃん。行って来ます」

「じゃあね、正太君」

 二羽の文鳥はふんわりと小さな羽を広げたかと思うと、風のように窓から飛び出しました。

 正太は文鳥たちに向って手を振りました。けれどその姿はあっという間に遠ざかり、空に溶けてしまいました。

 気が付くと辺りはさっきよりずっと明るくなっています。正太はあくびを一つして窓を閉めました。


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