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あまりにもリアルで月9よりも眩しかった


「いつか必ず運命のひとに出会う」

小さい頃から、この世界はそういう風にできてるもんだと信じ込んでいた。

そしてそれは何度観たかわからない『タイタニック』や『耳をすませば』を始めとした純愛映画、ドラマ、『りぼん』の数々の名作など小さい頃から浴びるように摂取してきた恋愛コンテンツの影響だと信じて疑わなかった。

わたしがまだ運命にひとに出会えていないのは(階段の上でジャックが片手を差し出して待っていないのは)まだ船に乗っていないから?(同じ本ばっかり読んでる天沢聖司に出会えていないのは)図書館に行かずAmazonでポチポチしてるから・・・?と学生の頃は本気で思っていた。
(大学の図書館では、その運命の一瞬を狙ってオープンスペースに棲みついたりもした)


けれどふと、私が白馬の王子様症候群に罹っているのは無論、そうしたきらきらラブストーリーにも起因するけれど、肉親である“父と母の物語”によるものが大きいのかもしれない、とはっとした。

母からなにかの拍子で(おそらく相当ごきげんだったに違いない)「雨の中、隣に住んでた弟を待ってびしょ濡れになってたパパがかわいそうで…ウチに入れたのよ」(当時、叔父と母はアパートの隣人だった)という馴れそめを聞いたときはたしかにキュンとしたし、父が誇らしそうに「初めて会った時のママは本当に美人だった」と語るたび、私までうれしくなった。


母が遺したものを整理をしていて知ったことだけれど、若い頃海外出張つづきだった父は滞在するホテルの先々で母にポストカードを出した。ここのホテルは朝食がうまいだとか眺めがいいだとか、本当に他愛もないことを書き綴った。
(まぁ現代のLINEだってそんなもん。でもエアメールってところがどうしたってずるい。)

プロポーズは六本木のJAZZ Barで、「Will you marry me?」といういかにもすぎる台詞を父が口にしたらしかった(娘ながら大層な海外かぶれっぷりが恥ずかしくもある…)。


街中に転がってそうな、平々凡々なありふれたラブストーリー。

けれど私はきっとずっと、父と母の物語のファンだった。

フィクション作品に触れて、「現実はこんなうまくいきっこない!」とやさぐれずに済んだのは、父と母がちゃんと恋愛をしてくれていたおかげなのかもしれない。


そんなことを昨晩、NHK「総決算!平成紅白歌合戦」を観ながら思いました。SMAPが出てくるたび涙が出そうになるねぇ。

ニューエラ令和ももっとたのしい時代になる、そう信じてやまない大晦日なのです。


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