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本当に話すことが苦手なのか


プレゼンというものに苦手意識がある。特に立ちながらスクリーンに写したパワポを指して進める形式なんてもってのほかだ。

中学生の頃から、学校の教室(一人一人の表情がよく見渡せるサイズの空間)において人前で話ことが大の苦手だった。今でも忘れられないけれど、なんかの読書感想文をクラスのみんなの前で発表した時、声の震えが止まらなくて「感極まって泣いちゃった?!」とざわつく始末だった。大学生になってからもそれは変わらず、ゼミの15人ほどの小空間で話すことがとかく苦手だった。友達の顔はどう頑張ったってかぼちゃやスイカには見えない。

そしていつからか、「私は話すのが下手だ。だから書く方が向いている」そう思い込んで決めきっていた。けれど昨日、六本木で油を一切使わないというふわっふわのお好み焼きを食べながら、そんな考えを覆される体験をした。

先日観た、絶賛公開中の「スパイダーバース」がめちゃくちゃにfabulousでこんなん見せられたら22世紀まで長生きしたくなるわーという感想を抱いたほどだった。その映画の素晴らしさを飲みながら先輩たちに力説した際、「やっぱりぶんちゃんの映画話は観たくなるんだよね。ちゃんと態度変容まで持ってけてるよ(笑)」と言われ、そんなこと滅多に言われないから心底嬉しかった。

そして思う、私がするするとスパイダーバースの魅力を語れたのは、映画の世界観に見事に引き込まれ、その理由を無意識のうちになんでだなんでだと腹落ちするまで自分の頭で考えていたからだ。


「話すのが下手」と決めつける前に、問うべきは「本当にそこに熱を持って伝えたいことはあるのか?」ということだったのかもしれない。


パワポに書いた言葉は、使い古された定型文でなく、自分が選び抜いたものになっているのか。

魅力を感じた理由を、手垢のついた言葉でなく、自分の生の感情から言語化できているのか。

自分の中の迷いを「もやもや」で片さず、理想から逆算して俯瞰できているか。


もちろんプレゼンなどは事前準備なんていうものがものすごく重要だ。

「伝えたい」と強く望む想いがある限りは、「伝わる」方法を必死で考える努力をすべきだと思う。

(これは就活生に偉そうにアドバイスとしてしまったことだけれど、実は私が就活していたときに知り合いのつてで紹介してもらった記者さんから言われた言葉。入社して5年目を迎えようとしている今、改めて自身に言い聞かせたい。)


けれど自分が目の前の相手に対して必死に考えた企画であれば、たとえ資料の出力を忘れてきたとしても出てくる言葉はあるはず。

世の中には言語化する必要がないことだってきっとある。不意に口から出た「なんとなく好き」なんて告白だって、もしかしたら神棚に飾りたい台詞になるかもしれない。



そんなことを六本木から帰るタクシーの中で思いました。とは言ってもやっぱりすきな人とは見つめ合うと素直におしゃべりできません。

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