見出し画像

朗読の温度感はお芝居と違う。【備忘録】

いつもは好き勝手 自分の思うまま朗読をしている私ですが今回は瀬川先生ご指導の下、作品の世界観を構築させて頂きました。

とても自由に遊ばせてくださって楽しかったのですが、改めてお芝居と朗読は違うなぁと実感いたしました。


私の個人的な感覚なのですが、朗読は常に冷静でなければいけないと思います。

地の文と台詞のキャストを明確に分けている場合は、ずっと役としての主観で存在し思うままの熱量をお芝居にぶつけて良いのですが

今回のような「全て一人で読む場合」は、登場人物一人一人の熱量をあえて抑えないと破綻してしまいます。

一人芝居と朗読は似て非なるものなのです。

長い時間「ずっと聞く」ものとなると、ある程度淡々としていないと聞いている人がしんどくなってしまうと私は思うのです。

また今回はあえて意識して登場人物ごとの声色を準備しませんでした。

これは消去法なのですが・・・💦

私は女性で、声色的に小学生以上の年齢は再現できません。

ですが作中には20代後半の男性が何人も出てきます。

この時点で声色で役を区分していこうとする戦法は使えません。

ですので「雰囲気」勝負で戦うことにしました。

吹替の現場で先輩に朗読(お芝居)をする際の「声色のレパートリーが少ない」ことを嘆いていたら

「声色を変えなくても、気持ちが変わっていたら別人に聞こえるから大丈夫。そんな小手先を磨くより役の理解度を掘り下げろ。」とアドバイスを頂いたことがありまして

今回は盛大な「声色を明確に変えなくても別人に聞こえるか!?」という実験を辰巳センセイの文学教室で挑戦させて頂きました。

「こういう喋り方でいこう」などという外部的アプローチではなく、それぞれの人としての本質といいましょうか・・・「こういう人間だ」という核をぐっ・・・!と掴むイメージで朗読いたしました。

「辰巳センセイはこんな感じでこんな雰囲気で~」と説明してしまうと、少し違ってしまうので書きませんが

それぞれを役ではなく「人」としてより立体的に捉えようとしました。

中年の母親役などはやろうと思えば老け声を出せるのですが、そうはせずにあえて老けさせないで演じてみました。


話は戻るのですが、今回「冷静でいないといけない」と強く思ったのは「追加講義」のワンシーン。

気持ちい所の一歩手前でずっとお芝居していました。

お家で した読みをしていた時は涙も声もボロボロ出て彼女の感情のままにやっていたのですが、そうすると「その瞬間だけ異質な温度感」になってしまうなぁ。成立しな。いなぁ。と気づきました。

ですので本番の収録の際は「行き過ぎないよう」に気を付けながら感情を込めました。


お芝居ってある種「自己陶酔」していても成立するし、そのくらいの熱量が「人をひきつけ」たりもするのですが

朗読で自己陶酔してしまうと聞いている方に「嫌悪感」を与えてしまいかねないと思っています。

なので常にフラットに。

心地いい温度感を意識しながら読んでいます。

私はものすごい感覚派なのでロジック的にお話が出来ないのですが・・・

お芝居は自分をぶつけられる気持ちいいもの

朗読は自分を抑え込む焦らしプレイ

って自分の中で区分されています。笑


どちらも楽しい☺

このお話にオチはありません(真顔)

✽.。.:* チケット発売中 ✽.。.:*

オンラインチケットもございます!

どうぞよろしくお願いいたします!!!



よろしければサポートお願いいたします(´;ω;`)! ご支援いただいたサポート費は著作権の使用代やイベントの運営費などに使わせていただきます。 細々と続けていくために、細々としたご支援をしてくださると嬉しいです! どうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m