全日本2020つれづれ

 今更ですが雑感。
 毎日見てます、全日本のFS『天と地と』。
 かつてこんなに全日本の演技をリピートしたことがあっただろうか。いやない。
 というのも当たり前です。
 私が羽生結弦ファンになったのは2016~2017シーズン。そのシーズンも次もその次も全日本は欠場でした。
 だからファンになってから初めて見た全日本が前回の2019年だったんです。
 前回は最終結果が出ると同時にテレビを消し、ネットからも遠ざかり、街で見かけるスポーツ新聞の見出しも焦点をぼかし、話題を振られてもあー? とうつろな目をしてくるくる回れば大体の人は話題を変えてくれました。
 全日本のぜの字も見たくない聞きたくないと思うほどの逃げっぷりで、全日本……そんなのあったっけ? という心意気で自己催眠をかけつつ、四大陸で優勝するまでは本当に振り返ることすらできなかった。
 なので、正直私の中で全日本とは使用禁止ワードだったのです。口にしたくないし書きたくない。ぜんにhくらいまでが精一杯でした。
 それが、今や毎日見ている。一日一善。一日一天と地と。
 もちろんここまでどっぷりになったのは神演技だったことが大きいですが、ほぼ一年ぶりのお目見えであることと、しかも新プロであること。そしてコロナ禍のストレス。
 そんな中であんなのをバーンとドーンとやられたら、それはもう依存症になってしまいます。

 何より、見ると脳がきもちいいのでやめられないんです。
 きもちいいのはすべての動きがすべての音に合っているから。
 フワァっと広がる音のところで優雅なイーグル、シャラランと流れるところで華麗な振り付け、バーンと盛り上がるところでシュピッとジャンプ。ベーンと最後の締めるところで降りていたものを天に還す。音ハメの嵐。
 ちょ、もう……何これ、もう……いい。ひたすらいい。もっと…もっとぉぉ! とリピートが止まりません。
 フジのカメラワークも本当にわかっていらっしゃる……という感じで最高でした。静止して覆い隠した顔を見せるところで顔のアップ、美しいクワドをコーナーから(4T3Tのところ、ヘルシンキホプレガを思い出しました)、最後は天井カメラでもう本当に4分間の壮大な大河ドラマでした。

 もちろん最初にライブで見ていたときは楽しむどころではなく居住まいを正してのお祈りポーズでした。
 次々に決めていくジャンプ。静かな表情。最後の方では失敗する気がまったくしなくて、お祈りポーズも解けかけていて、「いやいやここで祈祷をやめてはいけない油断するなこれは罠だ最後まで祈らねば」と意識するほど妙な安心感がありました。
 こんなことは初めてだったかもしれない。いや、やっぱり同じくゾーンに入っていたワールドヘルシンキホプレガもそうでした。
 通常なら最後まで拳を握り締め、お願い神様……! という気持ちで見ていたので、今回のように見ていて気が緩んでしまうなんてことはないんです。そのくらい、失敗する気配がないというのはド素人でもわかりました。

 そうして何度も繰り返し見ていると、ゾーンって何だろう? と考えてしまいます。
 同じ時期にロシアナショナルもあったわけですが、そこで女子トップはパーフェクトな神演技の連続。でも、ジャンプがすべて上手くいって嬉しくて演技中から微笑んでいたり、ゾーンに入っていたというわけではなさそうでした。
 羽生くんもゾーンに入ったらしきことを言っていたのは今回で二度目です。他の完璧な演技のときでもゾーンに入っているわけではないらしい。
 とすると、ゾーンって何なのだろう。「自分が違うところから見ていた感覚だった」とかまるで臨死体験のようじゃないですか。ホプレガのときは水にどぷんと入っている感じでしたっけ。それも魂がどっか行ってるような印象です。謎過ぎる。

 ここで思い浮かべるのは『止観』という仏教用語です。瞑想のこと。
 『止』とは雑念を排した究極の精神状態。
 『観』とは物事を正しく観察すること。
 雑念を消し、無になった状態で体の感覚機能のひとつひとつを感じる。ゾーンとはこの状態に近いんじゃないかなあ、などと素人は思います。
 司馬遼太郎の作中の忍びなどは、止観を使って網膜でなく脳で見る技を使い、本来見えないはずの仕切りの向こう側を見たりします。すごい。
 羽生くんは試合直前も、音楽を聴いて涙を流したり、精神を外から切り離して自分の中に没入していく作業を繰り返していて、これは彼の瞑想法なんだろうなと。
 よく火事場の馬鹿力と言いますが、人間は普段、本来自分が持ちうる力の70%くらいしか発揮できないといいます。生理的限界以前に「これ以上やったら体が壊れてしまう」という無意識のリミッターである心理的限界が力の発現をセーブするのだとか。
 だから、そのリミッターを外すことが通常以上の成果に繋がるのですが、フィギュアスケートは爆発的な力というよりも繊細さを要する競技かなと思います。少しタイミングがずれただけで失敗してしまう。気合が入り過ぎてもいけないわけです。
 なので、冷静にひとつひとつの体の感覚を把握し、それを的確に精密に使うことが肝要。
 彼は止観(に似た精神統一法)によって究極の精神状態に至り、肉体の感覚をすべて機械のように認識することによって、技を正確に実行する状態になる、それはつまり自分を見つめる究極の客観視なので「自分が違うところから見ていた感覚だった」という表現になるのかな〜などと妄想するわけです。

 彼以外にも競技中ゾーンに入っている選手はいるのかもしれません。ただ、彼の発する言葉があまりに自分の状態を的確に表現しているので、そうとわかるだけで、他の人も言わないだけで似たような感覚になっていたりするのかも。
 でも新プロ初披露、しかも今シーズン初めての演技でそしてコーチ不在の状態でゾーンに入りますかね普通……天と地と、曲の編集にも彼自身が関わっているんでしょうし、今まででいちばん演じやすそうなのも関係しているんでしょうか。本当に音と動きのすべてが合っている……これからもリピが続いてしまいそうです。脳がきもちいい……やめようとしてもやめられない……合法! 合法!


 以下、ライトなしょまファンの姉の話。
 姉は今回残念がっているかと思いきや、「しょーまくんが楽しそうだったから嬉しい。羽生くんは2位になるとすごく悔しそうだからこれでよかった」などとニコニコしていて、そ、そうか…という何ともふしぎな感じでした。
 あと「羽生くんいきなり自分は上杉謙信の生き方に似てるとか言い出してどうしちゃったの?」とかほざくのでそれは! 使ってる曲が! 上杉謙信主人公の大河ドラマだったからです!! と説明したけどほぼ聞いておらず「羽生くんって大きいもの見てるしコメントすごいよね〜しょーまくんがあんな難しいこと言い出したらどうしよう。しょーまくんはいつまでも可愛くて癒やしでいてほしい云々」と言い始めたので私もほぼ聞かず羽生くんだって可愛いし癒やしだもんごらんなさいあのあざとプー芸をなどとお互い好きなことを言っておりました。

 姉はSNS使わないからかと思いますが、ライトなファンってこんなものなのかな。前回のデスパレートな自分を思い出すと全然違い過ぎて……笑
 ついったらんどという魔界にいるのでカルチャーショックでしたが、一般でふわっと好きみたいな人はこんな感じなのかもしれません。負けは死も同然と言う人のファンからすると1位以外だとそれがしも切腹みたいな気持ちになるので、姉の感覚が違い過ぎて面白かったです。
 色々と満遍なく楽しめてノーストレスで生きられる姉のようなスタイルは健康的な生活のためにはいいと思います。
 熱意は分散した方が楽に生きられる。あっちが今は楽しめなくてもこっちが楽しめるからいいや、となれる。ひとつのことに熱中するのは素敵ですが、のめり込みすぎてモンスターにならないよう常に客観視することが大切ですよね。
 推しに及ばぬまでも、常に心に止観マインドを。そして愛は浮気性が理想なのかもしれないと思う今日この頃です。

 それにしても、本当に今回のFSは迷いを断ち切った感というか、何か新しい境地に入ったような印象がありました。
 五輪二連覇を成し遂げた後、引退するのが彼のかつての展望だったと思います。確かそんなようなこと言ってたし。でも、続けた。今度は4Aという目標を掲げて。
 ただそれは正直、フィギュアを続けるという目的のためにあえて作った目標に思えていて、未だ現役を続けていることに無限の感謝と幸せを覚えつつ、どこかに心配する気持ちがありました。彼自身が今、競技を続けることを楽しめているのかなと。
 本人の心以外、他人の推測はすべて想像でしかありませんが、FSを見て漠然とした喜びを感じました。
 どうか幸せでいてくれますように。

 さて、今日も一日一天と地と。