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人生を変えたある夜の話

人生を変えたあの夜の話をしようと思う。

進学を控えた高校三年生のとき、学年全員が職業適正検査というものを受けさせられた。
一時間ほどかけてそれなりの量の質問に答える。
それによって、10個ほどのカテゴリーに分けられた職業に対して、能力、興味、人生観、性格の4
つの要素がそれぞれどのくらい向いているのかを判定してくれるというもの。
それによって今後の進路や将来の職業選択の助けにしようという意図だった。

テストの結果ですがA-Dの四段階で興味と人生観はすべてBかC。
そして能力はすべての職種がAでどんな仕事でもこなせるものの、性格がすべてがD、つまりはどんな仕事にも向いてないという結果。

そのころのぼくは、たいていのことは少し時間をかければ人よりもうまくできた。
そのせいで、本当に好きなことや本気で手に入れたいものなんてない、つまらない高校生だったと思う。
だから、テストの結果は納得するものだった。
なんでもできるけど、なににもなれない。
特別なところなんてなにもない、そんな人生を送るものだと思いこんでいた。

大学入試のシーズンになって、ひとつだけワガママを通させてもらった。
早稲田大学の文学部しか受けないと。
理由は「そこにいけば自分の想像できない人に出会えそうだから」
最近は少し雰囲気が違うけど、30年前の早稲田大学はそういう場所だった。
よくも悪くも、個性と自己主張の強い人が集うイメージ。

入学して一週間ほどしたある日、いくつか顔を出していたサークルのひとつの先輩に誘われてお芝居を見に行った。
日が暮れてきたなか、電車で高円寺に連れて行かれたのはいわゆる「小劇場」
50人も入れば満員になる狭いスペースに、両隣に人と身体をくっつけて身動きひとつできない客席。
手を伸ばせば届きそうな近くで演じる俳優たち。

ストーリはまるで覚えていない。
いま思えばありきたりな作品だったかもしれない。
俳優と言っても、全員大学生。
脚本や演出も大学生の学生劇団。
いまはもうその劇団はないし、俳優を続けている人もいない。

だけどそこには「熱」があった。
高校生だったぼくが求めていた熱が。

満員の観客の前で、叫び、踊る。
狭い空間に体温がこもる。
光に照らされて俳優の身体から汗が飛び散る。

どうしてあの人たちはあんなに一生懸命なんだろうか。
なにがあの人たちを突き動かしているののだろうか。
そして観客はなぜ、こんなにも一心に舞台を眺め続けているのだろうか。

いままで経験したことのない時間。
見たことのない人の姿。
この時間をこれからも味わいたい、その夜、ぼくはそう思った。

今年で55歳になる。
大学を中退して舞台照明会社に入り、その後フリーランスの舞台照明デザイナーに転身して、いまでもなんとか舞台の世界で暮らしている。

あの夜から舞台の世界に魂を捧げた、というわけでもない。
大学の一年目は音楽系や文学系のサークルと掛け持ちもしていた。
いまもいくつかの仕事を掛け持ちしているし、舞台の仕事から離れていた時期もあった。

「天職」と自信を持って言えるほどではないけれど、いろいろと経験して50歳を過ぎてわかったのは、演出家や俳優といろいろ話しながら劇場で作品を作っていくことがもっとも幸せな時間。
ただひとりでできることではない。
そこに照明を必要とする作品がなければ、ぼくはなにもすることができない。
それもまたそれで、いいんじゃないかって気はする。
誰かがぼくを必要だと思ってくれなければ、続けていくことはできないっていうのも。

別に演劇が取り立てて好きなわけではなかった。
あの夜までは。
そして人生の大半を劇場で過ごすことも。
高校生のぼくがほんの少しも想像していなかった生き方をぼくはしている。

運命は突然やってくる。
あなたにも、人生の新しい扉が現れるかもしれない。
心が震える瞬間を見逃さないで。


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