自分でものを考えたい人に向けて(永井均『<子ども>のための哲学』書評)

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お初にお目にかかります。文芸批評研究会会長の雲雀です。100~200字で自己紹介を、といわれたのですがなんとも難しいものです。文芸サークルの会長でありながら小説を読まないことに定評があります。専攻は社会学です。最近はずっとサッカーを見ています。こんなところでしょうか……。

さて、今回は「自分でものを考えたい人に向けて」というタイトルで永井均氏の『<子ども>のための哲学』(講談社現代新書、1996年)の書評を拵えてきました。以下本文になります。ご感想等ありましたらお気軽にどうぞ。

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本書は、永井自身が長い年月をかけて作り上げてきた「屁理屈」についての本である。

日常を省みたとき、哲学という言葉にはたくさんの使われ方があるように思われる。語源を辿ればギリシャ語のphilosophia(愛智)に行きつくことが知られているが、例えば人生哲学という言葉はその人の人生観、人生の捉え方を意味するものであるし、単純に思考の成果物を指して哲学という場合もある。

永井は、哲学とは考え抜きたい問題について本気で考えることであるという。だとしたら、どうして哲学は「とっつきづらいもの」というイメージを持たれるのだろうか。永井は最終章でこう述べている。

哲学がむずかしく思われるのは、それが他人の哲学だからなのだ。そもそもそんな問いを持たなかった人にとって、その問いから発する思索なんて、こむずかしい屁理屈の山にしか見えないだろう。(p.198)

本書を読んだところで、永井が永井の問いを端緒に積み上げてきた「哲学」という学問領域に関係する「屁理屈」しか得られない。永井の持った問いは、私が持った問いではなかったし、あなたの持っている問いとも違うものなのかもしれないのだから。

永井の「屁理屈」そのものも確かに面白いかもしれない。しかし、本書で注目すべきはその先にある。永井が「屁理屈」を組み立ててきた方法、その組み立て方に目を向けさせているのだ。本気で物を考えるためにはどのような態度が必要なのか、どのように思考を組み立てていけばよいのか、いわば「考えることについて考える」ための視点を本書は与えてくれる。そしてそのことを通して「哲学すること」がこむずかしいことではなく、万人の身近にあるだろうことも本書は示している。

ただ、一点留意しなければならないことは、永井が言うように本書で示されるのも永井の「屁理屈」にすぎないということだ。これを読んだところで私が、あるいは読者の皆さんが哲学をしたことにはならない。「考えることについて考える」ための視点がどのような意味を持つのかについては、私たちがどのような「屁理屈」を組み立て、そこにどのような意味を見出すかにかかっているのだ。

筆者:雲雀

参考文献:永井均『<子ども>のための哲学』(講談社現代新書、1996年)

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