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ヒトは生命を頂いてでしか生きられない / 庭を眺め 実感する幾つかのこと

昨日・今日の食事で生きていなかったものは何もなかった。

水も生命なのだろうが、裏付けはとれていない。
私が口したのは微生物入りだろうからやはり生命。一番遠いのは塩なのかな?

生まれてこのかた、生命を経たものしか食していないのである。

地球の始まり、生命の起源は原子スープの論を支持している。
地球は生きている論 に一票投じたい私からすると、雲からの雨も生命だ。

石・土と石油から作ったもの以外は食物でなくても生命なのだ。
例えば紙。

畳を食材に という武将の逸話も微笑ましい。

肉、野菜を筆頭に、調味料、菓子も生命を経た食材。

うどん とスパゲッティーは一緒だと聞いたのが成人した後 どころか、つい最近でとても驚いた。
お好み焼きもピッツァ も一緒なのだと言う。
料理が出来ないこと が無知を晒す。
お茶 と紅茶 は一緒 と言われても困るのである。

生命を終えて、時間軸で一番遠くに位置させる保存食 に生命の最期の危機を賭す私たちの小ささ とは何と清々しいのだろう。

庭の緑、草花、木々は昨日とは一緒ではない。

一日一日、その時々で呼吸し生きているのである。
そこにヒトは惹かれるのである。

「あら、きれいねぇ。あなた かわいらしいわねぇ」

  母 は道ばた や公園の花、木々に話しかける
  山野草 とは しゃがんで 指を伸ばしじっくり と語り合う

私たちも自然の一部であることを実感し、庭を通り過ぎる風 、空の美しさ、街の雑音 を歓迎する。
香り、肌触り からも自然の恵みに生かされている幸せが伝わるのである。

庭は出来たときが始まりで、その先を完成させるのは家族 だそうだ。
この懐の深さ、余裕 こそプロフェッショナルの所以。

ガーデン工房 ふりーふ

300坪もの広大な敷地はワイルドガーデンとして、植物たちの生命が思うままに競演する。
完成形ありき、図面ありき、計算ありき を拒否し、近くの学生さんや愛好家も自ら参加して生命と関わる という。

ブルーベリーやサンゴミズキ、石畳、立水栓を配し、ここから施主のお庭への植え替えもある。

夏の樹勢、秋の紅葉、冬枯れ、春の芽吹き、四季それぞれの表情を確かめられる生命の宝箱。

庭が大地とのつながりを断つことがなく健やかであるように、出来るだけ土の面を残し植物を植え自然素材を生かした庭造り。 コンクリートやタイルから土を表に出し、呼吸させることから始まる。

展示場所在地は厚木インターより15分程度

次の世代に残すもの の一つは大地とつながった庭なのだろう


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