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【能登半島地震】話して気付く自分 被災僧侶「傾聴も支援」

※文化時報2024年3月12日号の掲載記事です。

 石川県七尾市の山の寺寺院群の一画にある浄土宗宝幢寺(高田光彦住職)は、能登半島地震で本堂が倒壊し、庫裏も甚大な被害を受けた。東日本大震災の被災地で傾聴活動を行い、防災士の資格取得を考えていた高田光順副住職は「被災すると何もできない。自分では冷静なつもりでも、振り返ると混乱していた」と悔やむ。僧侶仲間が話を聞いてくれたことで、自分の気持ちに気付けたといい、「傾聴も大切な支援の一つ」と訴える。(大橋学修)

 「本堂の灯明を消せ!」。光彦住職が叫んだ。元日午後4時6分、大きな揺れに襲われた本堂では、年始の参拝者を迎えるため、本尊前の燭台(しょくだい)にろうそくをともしていた。

 光順副住職は庫裏から20メートルほどの距離を走り、本堂に駆け付けた。灯明を消し、急いで庫裏に戻ると、今度はストーブを消火。皆が集う庫裏の2階に戻るや否や、2度目の激しい地震が起きた。経験したことのない揺れに驚き、子どもたちと共に座卓の下に潜り込んだ。「もうだめかも」と思った。

 同じころ、妹夫婦が駐車場で車から降りようとしていた。

 「ゴーッ」という地鳴りと共に、鐘楼と本堂が音を立てて倒壊。普段は冷静な妹の夫は「うおーっ」と叫び、妹は家族の命が失われたと思った。

灯明を消した数分後に倒壊した本堂について語る高田光順副住職

 全員で外に逃げ出した。光順副住職は、あらかじめ庫裏の玄関に用意しておいた防災グッズを持った。ところが夕暮れが迫るというのに、肝心の懐中電灯が見つからない。余震が続く中では、建物内に食料を取りに行くこともできなかった。

 津波の不安もあった。車で逃げようとしたが、参道は斜面が崩れ、アスファルトがめくれ上がっていた。妹の夫と共に、車が通れるようになる状態まで片付け、妻の実家のある金沢市内に逃げようとしたが、渋滞で思うように動けなかった。

来てくれるだけで安心

 金沢市内にある妻の実家に身を寄せながら、檀信徒の安否確認を少しずつ進めた。亡くなった人はいなかったが、一部の人は避難所に身を寄せていた。

 宝幢寺は、江戸前期の1698(元禄11)年に落慶した古刹(こさつ)とあって、仏像の盗難が心配だった。余震が収まり始めたころを見計らって、通いで片付けを開始。本尊は檀信徒が預かってくれたが、経本や仏具、専門書は散乱し、どこから手を付ければいいのか分からない状態が続いた。

 一人で片付けを進めていると気がめいった。何もせず、ただぼうぜんとしていることも多かった。そんな中、大本山くろ谷金戒光明寺(京都市左京区)布教師会のメンバーなど、気心の知れた僧侶仲間が応援に来て、率先して作業に当たってくれた。

大本山くろ谷金戒光明寺布教師会の小泉慶典会長(左)が片付けで訪問した=2月19日

 光順副住職は「話していると、考えが整理されていき、何を助けてほしいか自分で気付ける。具体的な作業をしてもらわなくても、来てくれるだけで安心感があった」と振り返った。

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