見出し画像

【支援の視点―能登と東北】④住民が決める復興計画

※文化時報2024年4月19日号の掲載記事です。画像は女川町役場提供。

 東日本大震災で津波被害を受けた宮城県女川町は、防潮堤を設けることなく、海辺の町としての姿を再生させた。住民主導で復興計画をまとめ、「復興のトップランナー」と称された取り組みは、昨年ようやく完了した。一方、能登半島地震で被害の大きかった石川県珠洲市でも、須須(すず)神社の猿女(さるめ)貞信宮司が、住民と共に復興を考えようとしている。信仰心のあついといわれる奥能登で、宗教者はどのように行動すべきだろうか。

震災1カ月で検討開始

 「復興の中心となるのは若者世代。町の復興は責任世代となる30、40代の若者に託す。還暦以上は口を出さず、側面支援に徹する」

 2011(平成23)年4月に開かれた女川町復興連絡協議会(FRK)の設立総会で、代表を務めた女川町商工会会長の高橋正典さんはそう言い放った。

 FRKは翌年1月、住民や地元事業者と共に検討した提言書を女川町に提出。これを受けて町は、同年6月に女川町まちづくりワーキンググループを設置し、住民主導の復興計画づくりに取り組んだ。

 利便性低下や生態系の破壊を招く防潮堤を設けない方針を決め、かさ上げした沿岸地帯に商店街や町役場など町の機能を集約。住宅街は山麓を造成した安全な高台に移転することにした。

防潮堤を設けず自然と調和した町として復興した女川町(2022年撮影、女川町役場提供)

 15年3月にJR石巻線女川駅が開業し、同年12月に駅と海をつなぐ遊歩道沿いには商業施設がオープン。16年12月には商業施設が拡充された。女川町観光協会の阿部真紀子さんは「観光客でにぎわう町に生まれ変わった」と話し、女川町役場の職員は「町の財源は観光収入に頼る部分が大きくなっている」と説明した。

失われた震災前の生活

 女川町中心部が目覚ましい復興を遂げた一方、震災前の地域生活が失われた一面もある。

 主力産業の漁業は、労働者の減少と高齢化が不安視されている。宮城県漁業協同組合女川町支所の岡田光弘支所長は「定置網は約200人の外国人技能実習生が支えている」と語った。

 「周辺地域が切り捨てられている」との声もある。町の人口は23年度末の時点で、震災発生前の10年10月に比べて41%減の5844人に落ち込み、町内から町外への転出率は51%に達した。一方で町中心部に限ると転出率は28%にとどまる。

 これに対し、女川湾の沖合に浮かぶ出島(いずしま)などの出島地区は、8割近い住民が転出。津波で全壊した天台宗永清寺(土井賢亮住職)は、支えとなる住民を失ったことで、再建できていない。

 石巻市との町境にある浦宿(うらしゅく)浜地区は約半数が地元を離れ、単身高齢世帯だけが残った。

 曹洞宗照源寺(三宅太玄住職)は宗門からの支援を受け、半壊した本堂や庫裏を7年かけて再建したが、檀信徒の約4割は地元を離れて離檀した。

 三宅住職は「新しい場所に移るにも資金がなく、寄付金を頼めるような状況でもなかった。再生された新しい町の中心部に寺院がないのは寂しい」と語った。

【サポートのお願い✨】
 いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。

 私たちは宗教専門紙「文化時報」を週2回発行する新聞社です。なるべく多くの方々に記事を読んでもらえるよう、どんどんnoteにアップしていきたいと考えています。

 新聞には「十取材して一書く」という金言があります。いかに良質な情報を多く集められるかで、記事の良しあしが決まる、という意味です。コストがそれなりにかかるのです。

 しかし、「インターネットの記事は無料だ」という風習が根付いた結果、手間暇をかけない質の悪い記事やフェイクニュースがはびこっている、という悲しい実態があります。

 無理のない範囲で結構です。サポートしていただけないでしょうか。いただければいただいた分、良質な記事をお届けいたします。

 ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

サポートをいただければ、より充実した新聞記事をお届けできます。よろしくお願いいたします<m(__)m>