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【本】NHKクローズアップ現代取材班「助けてと言えない 孤立する三十代」感想・レビュー・解説

『今脱落しておかないと、自分はこの先潰れきってしまうかもしれない…』

僕は大学を中退している。その中退の理由は、たぶん説明しようと思えばどんな理屈でもつけられる。正直自分でも、その内のどれが一番近いのか、きちんと判断は出来ないだろうと思う。でもこの、『今脱落しておかないと、自分はこの先潰れきってしまうかもしれない…』という理由は、当時の自分の感覚を、かなり的確に表しているのではないかと僕は思っている。


僕は、就職して、「きちんと働くこと」が怖くて仕方がなかった。それは、「働くこと」が嫌なのではなかった。そういう部分もあっただろうが、それは核となる理由ではない。


僕は、「積み上げていくこと」が怖くて仕方がなかったのだ。


僕は、子どもの頃はとても優等生として生きていて、勉強も頑張ってそれなりに良い大学にも入った。たぶん傍から見れば、平均から考えても「良い」と言えるような人生だったかもしれない。それから、ほどほどに悪くはない会社に入れたかもしれないし、そこできちんと仕事が出来たかもしれない。
でも僕はそうやって、自分の人生がきちんと「積み上がっていく」のが怖かったのだ。このままじゃ自分はいつか絶対に潰れると思って、だからさっさと大学の時点で脱落しておくことにした。


例えば、ドミノを並べているとしよう。


並べ始めてすぐであれば、ふとした弾みで倒して全部台無しにしてしまっても、「ま、しゃーないか」と思えるだろう。


でもこれが、相当大量のドミノを、相当の時間を掛けて並べていた後だったらどうだろうか?それまで費やしてきた努力や時間がすべて無駄になってしまう。それは、絶望的な気分になるのではないか。


僕は、自分が弱い人間だということを知っている。並べ始めた頃に崩してしまうぐらいなら、たぶんそれほどのダメージもなくいられるだろう。でも、相当大量に並べた後に崩してしまった、その絶望感に、自分は耐えられる気がしなかった。


大学をきちんと卒業して、そこそこの会社に入って、ほどほどに仕事が出来て評価されて…なんていう風に、少しずつドミノを並べていくような人生に、僕は耐えられる気がしなかったのだ。いつか崩れるかもしれない、という恐怖と、常に闘っていなくてはいけない。そして、本当に崩れてしまった時には、これまで経験したことがないほどの絶望を感じることだろう。


そんなのは、嫌だと思った。だったら、さっさと脱落してしまえばいい。


昔の僕は、自分の弱さとか恥ずかしい部分を、なかなか表に出せない人間だった。それは、「ちゃんとした自分でいなくてはいけない」という気持ちが強かったからだと思う。自分には、積み上げてきたものがある。それを、ちょっとしたことで崩してしまうのが、きっと怖かったのだろうと思う。


今は、ほとんどそんな感覚はない。僕の中では既に、「自分がちゃんとした人間に見られているという自覚」がない。ロクデモナイ人間だとも思われてはいないだろうけど、ちゃんとしていると思われているわけでもないだろう。だからこそ、気楽でいられる。自分の弱い部分、恥ずかしい部分を見せられない、という感覚があまりない。プライドみたいなものを大学を辞めたことで捨て去ってしまったと思うので、凄く気楽だ。


だから、たぶんだけど、確信があるわけではないけど、たぶん僕は、「助けて」と言える側の人間ではないかと思う。実際に助けてほしい状況になった時に、誰かにそう言えるかは分からない。分からないけど、でも今の僕は、自分の周りにいる同年代の人間よりは「助けて」と言いやすいかもしれない。「助けて」なんて言えるわけがない、というような変なプライドが、僕にはない。


ないのだけど、でも本書を読んで、色々と突き刺さるものがあった。何故なら、本書で描かれている三十代は、「大学を辞めなかった場合の未来の自分」と重なるからだ。もし大学を辞めてなかったら、僕はきっとこうなっていた。はっきりと、そう断言できる。だからこそ、僕にとっても人他人事ではない。


本書は、NHK北九州放送局の取材班が、とある事件をきっかけに取材を始め、「助けてと言えない孤立した三十代」という、衝撃的な実像を探り当てた番組を書籍化したものだ。きっかけとなった事件は、2009年、39歳の男性が、自分の窮状を周囲の誰にも相談しないまま餓死した、というもの。親戚に宛てた手紙に、「助けて」とだけ書かれていた。


取材班は当初、その男性が何故周囲に助けを求めなかったのか、理解できなかった。彼には、親友と言える存在もいたし、数ヶ月前まできちんと働いていた形跡もある。しかしその誰もが、その男性がそこまで窮地に陥っていることを知らずにいたのだ。男性は、人付き合いはよく、リーダーというほどではないが人気があったと、学生時代の同級生は言う。死亡時、男性の所持金はたったの9円だった。それだけの状況に陥っていても、まだ、誰にも「助けて」ということが出来なかった。


なぜ「助けて」と言えなかったのか…。取材班は、そこにきっと何かあるはずだと考え、突っ込んだ取材を開始する。炊き出しに現れる30代のホームレス、自分のことをホームレスとは認めたがらない若者、助けの手を差し伸べてもその手を掴んでこない三十代…。


取材の過程で、三十代を取り巻く状況が少しずつ明らかになっていく。


今の三十代は、「自己責任」という言葉に囚われている。

『いまの三十代は自分でなんとかしなければならない「自己責任」の風雨長のなかで育ってきたといえる。』

『奥田氏は、「助けて」という言葉を発することを拒み続ける三十代について、インタビューでこのように述べている。
「この十年間、社会はその人の責任だと言い続けてきた。苦しい状況に陥っても、それは自分の責任だと。そういうことを、社会が若い人に思わせているのではないか」』

『自分の責任。この言葉は、私たち取材班の心に響いた。自己責任。私たち取材班のメンバーも、三十代や三十代に近い世代で構成されていた。これまでの人生でも、自己責任という考えを、強く求められてきた。この男性に限らず、私たちは、「自分の石印で何とかします」という言葉をこの後も何でも聞くことになる』

『奥田さんも、夜回りを続けるなかで、三十代の人たちと出会い、この自己責任という言葉こそが三十代を象徴していると感じていた。
「彼らは、本当はギリギリのところまで追い詰められているんだけど、まだ自分で頑張れると思って、自分で頑張っている人たちなんだと思う。彼ら自信の思い込みかもしれないけど、僕は社会がそうさせていると思うんですね。自己責任論ということを社会は行ってきた。この社会が、自分の責任だと言い続けてきたんですよ。この十何年
。だから、本当に苦しい状況になっても、それは自分の責任だと。自分自身そう思わざるを得ないというのは、つまりこの社会が思わせているんじゃないかな」』

この取材を元に放送したクローズアップ現代は、他の回と比べて圧倒的に反応があったのだという。視聴率も、異常と言えるような数字を叩き出したという。

『なぜ三十代にここまで共感が広がっているのか。放送した番組のテーマが三十代の声を伝えることができたと、改めて革新を持てた反面、私たちには戸惑いも生まれてきた。ここまで共感が広がることは予想していなかったし、死に至るまで「助けて」と言うのを拒み続けることに共鳴する声が多かったことに、衝撃を受けたからだ』

『共鳴し増え続ける三十代の言葉。そうしたなかに、ある特徴があることが次第にわかってきた。実は、女性にも共感する声が広がっていたことだ。驚きだった。なぜ、私たちにとって驚きだったのか。それは、こうした問題は男性の非正規雇用に限られた問題だという意識が、どこかにあったからかもしれない』

『そうしたなか、取材班一同驚いたのが全国放送に展開したシリーズ二回目である。なんと17.9パーセントと「クローズアップ現代」の十七年の歴史のなかでもベスト10に入る高視聴率だったのだ。「オウム真理教」や「阪神淡路大震災」など大事件、大震災が軒並み視聴率の上位を占めるなか、一種奇異な出来事だった』

三十代が共感する様を、もっと上の世代は苦々しく見るかもしれない。「本人の努力が足りないのだ」「甘えている」「仕事なんて選り好みしなければどこかにはあるはずだろう」。きっとそういう無言の声が、三十代の重しになっている。


「仕事は探せばあるはず」というのは根性論だし幻想に過ぎない、と指摘する大学教授の話が載っている。

『雇用幻想です。仕事は探せばあるはずというのは、単なる希望、そうであってほしいと思っているだけです。実際に仕事は、はっきり言ってありません。数字を見て明らかです。しかも、三十という年齢がさらに、仕事を探すのを難しくしている。アルバイトであれば、もっと若い二十代を雇う方が、雇用する側も、悪い言い方をすれば使いやすい。三十代が就職するには、その分野のスキルやノウハウを持っていないと、簡単に面接で落とされてしまう。雇う方も余裕がないんですよ』

「仕事は探せばあるはず」という幻想は、上の世代だけではなく、三十代自身も感覚として持っている。だからこそ彼らは、「仕事が見つからないのは自分の努力が足りないせいだ」と考え、誰かの助けを借りることなく、一人でこの事態に立ち向かっていくことになる。

『そういう援助を断ったり、いくら呼びかけても助けを求めないホームレスの人がすごく多いんだよ。しかも、二十代、三十代くらいの若いホームレスの人たちが特にそう。それがいま一番の問題。どうしたらいいか、僕たちも困っている。どうしたらいいんだろうって』

『炊き出しボランティアをとりまとめるNPOの代表・奥田知志さんは、長引く三十代の路上生活に頭を抱えていた。「相談してみないか?」と奥田さんが熱心に話しかけても、彼らの反応はにぶい。自立するために積極的な相談をしてくる三十代などほとんどいっていいほどいなかった』

そしてそれは、彼自身だけの問題ではないだろうと奥田氏は言う。

『彼らが助けてと言わないのではなく、彼らに助けてと言わせない社会があるんじゃない?そのことを先に認めるべきだし、そして、彼ら自身も社会も言い続けている”自己責任論”についてだけど、社会は彼らを救済した後で”ここから頑張るのはおまえたち自身だ”と突き放せばいい。このままでは、いくら彼らが自己責任を果たそうとしても、果たせるスタートラインにさえも立てないのが、いまの世の中だ』

三十代のホームレスにとって、「自分がホームレスに見られないこと」、それが生活における最重要の問題となる。

『入江さんは、自分がいま食べるものに困るほどの苦境に追い込まれていながらも、他人から自分がどう見られているのかを、極端に気にしていた。コンビニから早く出てきたのも人目が気になるからだった』

『ホームレスに見られないようにしている努力は、これだけではなかった。入江さんは、残りわずかな生活費をつかって、コインランドリーで十日に一度洗濯をしていた。』

『入江さんは自分がホームレスであることを認めているにもかかわらず、他人にはそう見られないように、どうこうどうすれば、自分がホームレスに見られないかという一点に集中して一日を生活していた』

そしてそれは、他人だけにではない。家族にさえもそうだ。三十代のホームレスの多くは、親に自分の苦境を伝えていない。そんなこと伝えられるわけがない、という意見ばかり出てくる。親に助けを求める、という当たり前の発想が、彼らからは失われてしまっている。自分の息子はきちんと働いている、と思っている親御さん。もしかしたら、あなたの息子は、ホームレスかもしれません。

『僕みたいな状況になった人にとって”助けて”という言葉の壁は、一人では壊しきれないと思う』と、奥田さんの支援を得て社会復帰を成し遂げた元ホームレスの男性は言う。奥田さんも、ホームレスたちと寄り添って支援をしていく覚悟を決めている。

『ホームレス状態になっている三十代の苦しみのひとつはね、失敗したとき、自分の周りに応援団がいないことなんよ。ひとつダメでつまづいてしまっても、誰かが隣で”次いってみよー”って応援したらええと思うんよ。かつて、それは親だったり友達だったりが担ってきた役割かもしれないけれど、あらためてそこを求めてもな。できる人がやったらいい。』

僕は、本の感想の文章を通じてだけど、こんな風にして自分のことを書く場がある。こういう場が自分の中できちんとあるというのは、きっと僕にとって重要なことなんだろうと思う。リアルでもネットでも、自分の話が出来る場があるといいと思う。それがリアルである方がいいだろうけど、でもそれが難しいからこそ「助けてといえない三十代」が増殖しているわけだ。ネット上だっていい。どこかに、自分の話をする場を持つこと。これは一つ、大事なことかもしれない。


身近にいる誰かが、何かを抱えているかもしれない。普段会っている誰かが、苦境を隠しているかもしれない。それは、知らなかった自分が悪いわけでもないし、知らなかった自分を責めても仕方がない。僕は思う。誰かの辛さを共有したければ、まず自分の辛さを表に出すしかないのだろうな、と。自分の弱さをさらけ出すしかないのだろうな、と。たぶんみんな、強がって生きている。見せていない部分で、たくさんの苦労を抱えている。「俺は辛いよ」と、まず自分が言ったらいい。本書を読んで、なんかそんな風に思った。


この本は、一人でも多くの人に届けたい。こんなPOPのフレーズを考えた。

『あなたの夫は、息子は、親友は、”ホームレス”ではありませんか?』


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