【乃木坂46】「浅草みどり」を経た先の齋藤飛鳥


最近のインタビューで齋藤飛鳥は、「毒舌キャラを止めた理由」をこんな風に語っていた。

【―そのキャラをやめようと思ったことはありました?
スタッフさんから「飛鳥は何を言うかわからないから、放送に出すときはヒヤヒヤする」と言われたことがあって(苦笑)。私はちゃんと言葉を選んで発言しているつもりだったけど、そういう話を聞いてからはほかの子の発言に注目するうちに、「みんなはこうじゃないんだ!」と気づいたんです。その頃の私は自分のことが好きじゃなくて、「万人受けしない顔だし、キャラもそうだし、出てくる言葉もそうだから、私は万人受けしないアイドルなんだ。だから選抜に選ばれないんだ」と思うようになって、毒舌キャラはよくないなということに気づきました。】「WHITE graph 004」

芸能の世界で生きている限り、「自分をどう見せるのか」というのは大きな課題だろうし、齋藤飛鳥自身、乃木坂46のメンバーとしてここまで活動を続けてくる中で、意識的にせよ無意識的にせよ、様々にキャラクターが変わっているだろう。変化することに関して彼女は、

【でも、逆にコアなファンの方というのは確実に存在していて、そういう方々を失うのが怖かったんだと思います。しかも、私みたいに10代前半から表に立つ仕事をしていると、自分の変化を全部見られているわけじゃないですか。そういう変化を嫌う層も一定数いるわけで。】「WHITE graph 004」

と発言しているように、あまりプラスの印象を持っていなかった。「変化を嫌う」という感覚は僕にはよく分からないが、「自分が好きになったその時のままのアイドルでいてほしい」というのは、アイドルに限らず、熱心なファンの心理としてあるのだろう。毒舌キャラを続けることで、具体的なデメリットが出てきてもなお、「このままでもいいんじゃないか」という考えを捨てられずにいたという。確かに、変化することは怖いから、気持ちは分かる。

そんな齋藤飛鳥が、最近、「明るくなった」と言われることが増えてきたのだという。その背景の一面としては、

【あとは、今は一側面だけを見せる必要がなくなったというか。昔はダークな面やネガティブな面ばかりを見せて、「私はこういう人です」というのをファンの方に認識してもらおうという考えがあったけど、今は一つの面だけを見られるのが嫌になってきたというか。いろんな顔があることを知ってほしくなったので、幅広いジャンルのものを読むし、読んだことを表に出すようにもなった。そういう意味では変わったんだと思います】「WHITE graph 004」

という考え方があるようだ。もちろん、「ネガティブな部分」が作り物だというわけではないだろうけど、かつての彼女は、キャラクターを定着させるために、意識的にネガティブな面を押し出すことにしていたようだ。その考え方が少し変わってきたらしい。

しかし、より大きかったのが、映画『映像研には手を出すな!』だったという。

【映像研の浅草役が大きかったんだと思います。特殊なテンションとしゃべり方だったので、演じていくうちに自分の中の恥じらいが取っ払われた感じがあって。あと、そんな浅草を好きだと言ってくださる方が割と多くて、「もし、こんな自分がいても受け入れてもらえるんだ」って気づいたんです。そこから、徐々に子供っぽい部分を出せるようになったりして、肩の力が抜けました。「私がちょっと明るい方向に変わることで、もしかしたらグループに何かいいことが起きるかも」って考えるようにもなりましたね。】「プレイボーイ 2020年10月12日号 no.41」

撮影中も、山下美月・梅澤美波という共演者や、マネージャーなどにも、演技以外の場で「浅草みどり」のテンションで接する機会も多かったようで、「明るい齋藤飛鳥」を喜んでくれる人が多かったことが意外だったそうだ。まあ、それを「意外」と感じる彼女の感覚は、やはりネガティブ側だなぁと思うけど、「浅草みどり」との出会いは彼女にとって大きいものだったようだ。

そんな自身の変化について彼女は、

【飛鳥 自分的にも、中学生の頃に見てきた乃木坂のすてきなところって、お姉さんメンバーが無邪気でいるところだったから。年少メンバーのほうがおとなしくて。だから、今自分が大人になって「明るくなったね」って言われることが増えたってことは、もしかしたら私も、今までのお姉さんメンバーと同じように”無邪気への道”をたどっているんじゃないかと思って、ちょっとうれしいんです。だから、大無邪気でやらせてもらっています(笑い)】「乃木坂46新聞 2020秋新章突入」

という風に語っている。自身の変化をポジティブに捉えている、という点でも、齋藤飛鳥は大きく変わった、と言えるかもしれない。

しかし、当然と言えば当然だが、

【―最初は『映像研』の実写化に不安もあったんですよね。
浅草みどりは自分とかけ離れている役にしか思えなかったし】「映像研には手を出すな!オフィシャルブック」

というように、「浅草みどり」役に不安を感じていた。まあそうだろう。原作か映画を観た人なら分かると思うけど、浅草みどりの振る舞いはなかなか突拍子もないもので、「極度の人見知り」みたいな部分は共通項があるだろうけど、齋藤飛鳥とはなかなか大きく離れたキャラクターだと言っていいだろう。

とはいえ、次第に「浅草みどり」という人物に対する共感を抱くようになったという。

【―それぞれ演じたキャラクターについてはどう思いますか?
私、浅草って最初すごくヘンな子だと思っていたんですよ。でも意外と普通のことを正しくできる人だなと感じる部分も出てきて。”浅草ならこう動くだろうな”みたいなことが、だんだん自分の中に自然と浮かんでくるようになりました。監督に話したら”オレも同じように思ってた”って返されることが増えていったので。撮影が終わるころには、浅草は近い存在というか、親近感を覚えましたね】「BOMB 2020年6月号」

実際に演じてみることによって、浅草みどりという人物への理解が深まり、深いところで繋がれる存在だと思えるようになったのだろう。浅草みどりという人物に対しては、こんな共感も抱いたそうだ。

【―浅草は自分を作ってしゃべることもありますよね
浅草は接する人によって態度が変わるじゃないですか。知らない人には挙動不審な態度だけど、金森や水崎の前だと違うし、大・生徒会の前では啖呵を切ることもあって。いろんな顔があるじゃないですか。私はそういう人が好きなんです。全員に同じ態度で接する人がどこか怖いと感じることもあるくらい。浅草のことが素敵だなと思ったし、自分もそういう人になりたいんです。】「映像研には手を出すな!オフィシャルブック」

僕もどちらかというと、人によって態度を意識的に変えようと思っている人間なので、「全員に同じ態度で接する人がどこか怖い」という感覚は分かるなぁ、と思う。「自分もそういう人になりたいです」と発言しているが、齋藤飛鳥は割と、誰とどのように関わるかによって自分の見せ方を絶妙に調整できている印象があるので、もう十分な気もする。

映画を観たメンバーからは、【「飛鳥らしくない」っていうより「元々浅草っぽい」】「週刊ビッグコミックスピリッツ 2020年5/11・18号」と言われることも多かったそうだ。その理由を、齋藤飛鳥自身は、

【浅草みどりという人間は臆病なところがあって、
変な喋り方をして自分を守っているところがあるんですけど、
私もヘンに戯けたり、素直に言えないときもあるかなって…。】「週刊ビッグコミックスピリッツ 2020年5/11・18号」

と分析している。

さて、そんな「浅草みどり」を演じた齋藤飛鳥について、『映像研には手を出すな!』の関係者から、「齋藤飛鳥の凄みを感じた」という感想が多くが上がっている。

【そのあとの彼女たちってすごいプロフェッショナルなんですね。セリフを覚えてこないなんてことはまずないし、齋藤さんなんてあの膨大なセリフを全部入れてきましたし、本当にプロなんですよ。
―今回はどのタイミングに「腹を括った」と感じましたか?
本人的にあまり言ってほしくない気がするんですけど、齋藤さんが一度「何が作りたいのか一度指示して下さい。私はそれを叶えるので」と言ったことがあって。なので本読みのときに、僕や長野(晋也)くんが一行ごとに「ここの言い回しはこう、どういう声で喋ってほしい、どう動いてほしい」と指示をして、それを齋藤さんが何度も繰り返す。ドラマ全話と映画、ひととおりやったと思います。で、彼女は全部覚えて、撮影のときに完成させて持ってくるんですよ。あんなの初めての経験でしたね。男前すぎますよ。】「映像研には手を出すな!オフィシャルブック」(英勉監督)

【そういう意味で、座長としての齋藤飛鳥の凄みは、役者の皆さんが一番感じていたんじゃないかと思います。主役がこれだけ完璧にやっているんだから、絶対に足を引っ張れないというくらい、彼女の仕上げ方はすごかった。しかも、「家でこれだけやってるんです」みたいなことを絶対に言わないので、それがまた迫力を増すという】「映像研には手を出すな!オフィシャルブック」(プロデューサー・上野裕平)

もちろん、齋藤飛鳥自身は自分でこんな話をするタイプの人間ではないから、こんな風に監督やプロデューサーなど周りの人物の話が出てこなければこういう話は知り得なかった。映画を観た人は分かると思うけど、「浅草みどり」のセリフは膨大で、しかもただ膨大なだけじゃなくて、人生で一度も発する機会がないかもしれないような専門用語がバンバン含まれているような恐ろしいもの。それを撮影前にすべて頭に入れ、さらに喋り方などの指示も完璧に仕上げてくる。もちろんその間、乃木坂46としてのアイドルの仕事もあるし、雑誌のモデルの仕事なんかも普通にあるわけだ。その中でこれをやりきるというのは、本当に凄いものだと思う。

さらに齋藤飛鳥は、現場に台本を持っていかなかったそうだ。

【―齋藤さんは台本を持たずに撮影に臨んでいたようですが
確かに1度も持ってなかったですね
―他の作品でもそうしてました?
いや、持って行ってました。『映像研』は知らない単語や難しいセリフが多くて心配だったけど、なぜかいける気がしたんです。実際、現場で「なんだっけ?」ということはなかったと思います。】「映像研には手を出すな!オフィシャルブック」

凄いもんだなぁ。「なんかいける気がした」としても、一応持って行っちゃいそうだけど、僕なら(笑)。それで実際に完璧だったわけだから、凄まじいですね。

セリフをどう覚えたのかと問われて、「私にもそれが不思議で」と笑った後、こんな風に答えている。

【でも、実は移動中とか乃木坂46の仕事の楽屋とか、家以外では1度も台本を開いていないんです。だけど、本番になるとスラスラとセリフが出てくる。自分でも本当に不思議な感覚でした。きっと、文字としてというよりは、音として覚えていたんだと思います。台本のセリフを暗記するというよりは、全体を1つの写真みたいに記憶していた感じです。】「日経エンタテインメント!2020年6月号」

彼女がこんな風に全力で取り組んだのには、過去の演技経験に対する反省があるらしい。

【これまでお芝居の経験はそこまで多くないし、演技についてあまり深く考えたことがなかったから、『ザンビ』のときは役に対する理解もお芝居に対する熱も、今より低かったと思うんです。撮影が終わってから「もしかしたら、お芝居としてすごく甘かったのでは」と気付いて、『映像研』ではそういう気持ちになりたくないと思って、撮影に臨みました。】「乃木坂46 Special2020」

もちろん、どんな仕事であっても「手を抜く」なんてことはないだろうけど、どうしても熱量に差が出てしまうことはあるだろう。それを意識的に調整していくというのはなかなか大変ではないかと思うのだけど、『映像研には手を出すな!』は、「アイドル・齋藤飛鳥」ではなく「女優・齋藤飛鳥」として座長を務めなければならないという感覚が強かったのだろう。「浅草みどり」という役に出会ったこともそうだが、乃木坂46というグループを離れて(共演者に後輩がいたので完全に離れているわけではないけど)、『あの頃、君を追いかけた』の山田裕貴のような座長たる存在もいない現場で、自分が引っ張っていくしかないという感覚を抱けたこともまた、齋藤飛鳥を覚醒させたのかもしれません。

また『映像研には手を出すな!』は、乃木坂46のメンバーとしての齋藤飛鳥にも影響を及ぼしています。撮影前、後輩である山下美月と梅澤美波とは、あまり接点がなかったという齋藤飛鳥。しかしそのままの関係性では、作品内の仲の良い関係を構築できないと考え、山下美月・梅澤美波との関係性を自ら縮める努力をせねば、と考えたようです。

【3人の中では私だけが先輩だから、現場では自分から距離を縮めていかなくちゃいけないのかなという不安もあって、すごく憂鬱でした(苦笑)】「日経エンタテインメント!2020年6月号」

ここで「憂鬱」という言葉を使ってくる感じが、齋藤飛鳥たる所以という印象ですね。

普段より子どもっぽくしたり、休憩中も喋ったりと、彼女なりに頑張ったお陰もあって、【今はもう仲が良いし、そう伝えているつもりです。】「日経エンタテインメント!2020年6月号」と言うぐらいの関係になりました。また、

【おかげで二人からなめられました(笑)
―その関係性がいま乃木坂46での活動にも活きてますよね
そうですね。いままではプライベートでメンバーと関わることが少なかったし、楽屋でもひとりでいることが多かったので、エピソードトークをする時にメンバーを絡めた話ができなくて。でも、いまなら山と梅のことをしゃべることができます。】「映像研には手を出すな!オフィシャルブック」

と、バラエティ番組でのやり取りにもプラスになる経験になったと言います。

また、気持ちの面でも大きな変化があったそう。

【でも乃木坂46で長くやっても捨てられなかった変な恥じらいや、いらないプライドをこの作品で捨てられたかな】「anan No.2199」

確かに、最近『乃木坂工事中』(テレビ東京)を見ていても、齋藤飛鳥が「恥じらいを捨ててやりきってる感」を強く感じる場面が多い。この記事を書いているタイミングで言うと、「乃木坂46声カワイイ選手権」が行われていて、その中で、「チンピラ風のセリフを可愛く言う」とか「(何故か)ロボットの動きをしてパンを食べる」などの場面で、「全力でやりきることにしたんだなぁ」と感じた。もちろん彼女の中にも恥じらいはあるし、それも感じるけど、「恥ずかしいからやらない」ではなく、「やった上で恥ずかしさをきちんと感じる」という風に切り替えたのだろうな、と思う。

【『映像研』のおかげで、これまでどこかにあった恥じらいみたいなものが取り払えたので、次に演技ができる機会があれば、もっと自信を持って臨めるんじゃないかと思います。今後も、自分が納得できるお芝居ができる人になりたいです。】「日経エンタテインメント!2020年6月号」

演技というのは、オファーがないと始まらないものだけど、齋藤飛鳥は普段のアイドルのフィールドでも、演技に通じる何かを実践していくことが出来る。その強みが今後どのように生かされていくのか、楽しみだ。

一方、『映像研には手を出すな!』への出演は、演技以外の関心を掘り起こすきっかけにもなっている。

【私は元から裏方に興味があったのですが、この作品(※『映像研には手を出すな』)に携わって、誰かと一緒にモノを作る面白さを知れました】「月刊ザテレビジョン 2020年6月号」

【―ちなみに、今は将来の夢は見つかりましたか?
そうですね。私、お芝居の現場で大人たちが照明を替えたり、「アングルこっちにしまーす」とか言いながら、バーっと一斉に動く姿が好きで。あと、もともと文章を書くのも好きなので、今はディレクターさんとか脚本家さんとか、裏方の仕事に興味があります。】「プレイボーイ 2020年10月12日号 no.41」

齋藤飛鳥の場合、容姿だけ見ると、圧倒的に表舞台に生きる人に見える。しかし、彼女自身の感覚としては、以前から話していたことではあるが、裏方に関心があるらしい。乃木坂46を卒業した橋本奈々未も確か、裏方への関心を示していたように思う(現在、何をしているのかは知らないけど)。確かに両者とも、外から見ている感じ、「自分に注目が集まっている状態」に対して違和感を抱くような、そんなタイプの人に見える。

【特に、私は裏方さんのお仕事に興味を持っているからなのか、自分のためというよりも、「作る方が一番気持ちよくなるようにしたい」という意識があって。】「乃木坂46 Special2020」

【―以前のインタビューで言っていた、「自分のため」ではなく「誰かの期待に応えたい」という気持ちが強いのかなと思いました。
そうですね。自分が率先してやりたいと思うことをやったことは数える程度なので。
―「自分のため」ではモチベーションが上がらないですか?
いざやってみると変わらないのかもしれないけど、もともと欲がない人間なので、人のためにやるしかないというか…。逆に自分のために何でもしていいなら、そもそも仕事をやってないかもしれない(笑)。ずっと家にいたいタイプなので。】「OVERTURE 2020年3月号」

「他人のために」という言葉は割と空疎に聞こえがちだけど、齋藤飛鳥の場合、「自分にやりたいことがないから、何かするなら人のためにやるしかない」という、これまた消極的な理由だから、素直に受け入れやすい。【性格的に夢や目標を作れないタイプなので、目の前のことを精一杯やるだけです】「日経エンタテインメント 2020年2月号」とも語っているので、望まれている限り自ら表舞台から姿を消すことは無さそうだけど、裏方の齋藤飛鳥も見てみたい(特に、脚本なんかにチャレンジしてほしい)。

さて、ここまでで、齋藤飛鳥の最近の変化について書いてきたけど、「齋藤飛鳥の変化」と言えば、やはり「人間になれた」というワードが強いと思う。度々齋藤飛鳥は、「乃木坂46に入ったお陰で、自分はちゃんとした人間になれた」という発言をしていて、最近のインタビューでも、

【-今、飛鳥さんは人間になれましたか?
ふふふ(笑)。実は『裸足でSummer』で初センターを務めてからしばらくして、生駒(里奈)ちゃんから「ちょっと人間に近づいてきたね?」と言われたことがあったんです。私、生駒ちゃんに「人間になりたい」なんて一言も話したことがなかったのに…。「これはいい傾向だ!」と思って。でも、生駒ちゃんに「人間になったね」とようやく言ってもらえたのは、つい最近のことですけどね(笑)】「WHITE graph 004」

と発言している。

この「人間になれる」という感覚の背景には、坂口安吾の『白痴』という作品が関係しているという。

【―その時期に読んで心に残ったのが、坂口安吾の『白痴』(新潮社)だそうですね。
はい。この作品の中では登場人物の女性のことを「虫の如き」などと表現していて、周りがその女性を人間以下として観ているように描写されているんです。でも物語が進んで登場人物たちが戦争に直面したとき、彼らの常識や偏見は崩壊し、女性と他の登場人物たちが実は同じ地平に立っていることに気づかされる。その頃は私、自分のことを周りのメンバーよりもすごく下に見ていて。自分に置き換えるのも変な話ですけど、この本を読んで「私も同じ人間になれるんだ」と思えたんです。「今は人間以下のように感じているけど、これからはお姉さんたちと対等のつもりで、ちゃんとやるんだぞ」って自信がついた。】「WHITE graph 004」

『白痴』を読んだのは10代の頃だっただろうけど、その時点で「今は人間以下のように感じているけど」という感覚を持っていて、それが『白痴』を読むことでちょっと払拭された、という経験は、なかなか普通じゃないなぁと思うけど、齋藤飛鳥らしくもあるなと思う。

そもそも、本をたくさん読むきっかけも、乃木坂46への加入だったそうだ。

【―乃木坂46に入る前から、読書は好きでしたか?
本をたくさん読むようになったのは乃木坂46に入ってからです。当時は自分より年上の人と接する機会が断然多かったので、自分の発言や考えに対して子供だなという自覚がありました。また、選抜メンバーに入れなくなっていく中で、「お姉さんメンバーにあって自分にないものってなんだろう」「その差を何かで埋めなきゃ」と思うようになって。でも、そういうことを教えてくれる人が周りにいなかったので、だったら本から学びを得ればいいのかなと思ったんです】「WHITE graph 004」

本当によく思うことだけど、齋藤飛鳥みたいな人が「読書の良さ」みたいなのをもっと発信してくれたらいいなぁ、と思う(今でもしてくれてるとは思うんだけど、もっと強くという意味)。現実に、「本をたくさん読んだことも要因となって、アイドルのトップにたどり着いた」という明確な実例となる人物だなぁ、と思う。それに、齋藤飛鳥の言動にちゃんと触れている人は、彼女の知性や思慮深さみたいなものは感じとっていると思う。そういうものが滲み出てくるのもやはり、読書が背景にあるだろう。知性や思慮深さは、読書以外によっても出せるものだとは思うけど、読書もその選択肢の一つになればいいなと思う。

最後にこんな話。生田絵梨花との話の中で、「1期生として乃木坂46の中にどう存在するか」という話をしているインタビューがあった。

【生田 今や、後輩のほうが多くなっちゃっているから。どっちかって言うと、逆に、居場所が分からなくなったりするというか。乃木坂は乃木坂なんだけど、若い子たちが多くなったりしているから、雰囲気も変わるし。「いかた」を考えるというか。今までは何も考えないで、結構委ねちゃって、甘えて、みたいな感じだったんですけどね。だから今は、すーっと寄っていって、励ましを求めたりしています(笑い)
―誰に近寄るんですか?
生田 結構、誰にでも行きます。あすにも、結構いっちゃいますね。
(中略)
生田 それだけで私の存在意義が生まれるから…(笑い)。結構、そういうことを考えない?
飛鳥 確かに、自分の「いかた」はめっちゃ考えるかも。私はどっちかというと、いくちゃんよりも、3,4期生とか、後輩と一緒の仕事も多かったから、早い段階からずっと考えていたけど、卒コンを経て、「後輩が見る乃木坂」をあらためて意識しちゃうと、どうしても「私も歴代のお姉さん方みたいにならなきゃいけないのかな」みたいに思っちゃうというか】「乃木坂46新聞 2020秋新章突入」

これらの発言が「卒業」を匂わせるものなのかどうか、僕にはよく分からないが、「今までは何も考えずにいられた場所で、自分の「いかた」を考えなければならなくなった」という感覚は、なんとなく分かるような気がする。特に女性アイドルの世界は、メンバーの卒業という形での新陳代謝が必然みたいなところがあって、そういう中にあって「卒業せずに残っている」ということが(本人たちにとって余計な)意味を帯びてくることになるだろう。その難しさについて語っている。

そういう中で齋藤飛鳥は、「群れない飛鳥」というキャラクターのまま溶け込めるようになったという。

【飛鳥 私としては、初期の頃、自分があまり活躍できていなかったという思いがあるので。いくちゃんとかまいやんとかを、やっぱり、ちょっと遠い人として見ちゃっていたから。
生田 へええー。
飛鳥 だからやっぱり、どうしても自分が後ろに下がっちゃう気持ちがあったけど、ここ最近1期生が卒業していって。まいやんだけじゃなくて、みんながそれぞれに「1期生だけで写真撮ろう」とか、そういう機会をちょくちょく設けてくれる。単純にその中にいられるのがうれしいし、もちろん私も1期生だけど、「あ、入れてもらえるんだ」みたいな気持ちも、なくはない。昔の遠慮した感じがあるから。
生田 ちょっと、(お決まりの)くだりみたいになっているよね(笑い)。「飛鳥!飛鳥!」って呼んで、最後にこう、全員で
飛鳥 それは確かにある(笑い)
生田 最初は遠慮しているって感じだったかもしれないけど、今はむしろ、みんなもそれが好きって感じ。「出た、出た」みたいな(笑い)
飛鳥 「また飛鳥いないよ!」って(笑い)
生田 今は、遠慮とかはないよね
飛鳥 今はもう、昔に比べたら全然なくなったし、みんながそれをなくしてくれたので、全然平気】「乃木坂46新聞 2020秋新章突入」

こういう関係性が成り立つということ、そしてそれを普通にエピソードとして出せること。改めてだけれども、こういう部分が、目には見えにくい「乃木坂46というグループの強み」だよなぁ、と思う。そして改めてだけれども、齋藤飛鳥は本当に、まさにここしかないというピンポイントのタイミングで、絶妙な居場所へと足を踏み入れたのだなぁ、と思う。本当に、「乃木坂46」がなかったら、齋藤飛鳥は「人間」ではなかったかもしれない。


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