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今朝のラムダ

ま、お互いさまなのだが、道行く人とすれ違いざま「この人はいったいナニモノなのか?」と思うことがある。人相風体が奇異でなくてもなんだか興味をそそられることが。

 学校を出て小さな編集部に入りたての頃、先輩に連れられて取材に向かう際「タカハシ、いますれ違った人がナニモノなのか? 想像するんだよ。どこで生まれたとか、今の仕事はなにかとかね。そういうのもジャーナリストの訓練だ。あのおじさんが某国のスパイかもしれないだろ?」と言われた。
 わたしはジャーナリストになるつもりはなかったし、ただ「はぁ」と返事するしかなかった。
 ただ、その先輩は現在もジャーナリストを名乗っているので、間違いではないのだろう。ジャーナリストの訓練かどうかはさておきそういう行為は「妄想」として、かなり楽しいことは認めよう。
 
だが、ときに楽しさを通り越すこともある。
「?」──で頭の中が占領される。
 
朝の散歩の時にすれ違う人がいる。仮にⅩとしよう。
 Ⅹの生物学的性別はたぶん女性。高齢で80歳を越えているかもしれない。キャスケットというのだろうか、つばのあるキャップをかぶり、度の強そうな眼鏡をかけている。ママチャリタイプの自転車のハンドルの高さに顔がある。
 すれ違うのはわたしの散歩ルートの土手の上。
 散歩ルートには橋が二本ある。
「北」という字を思い浮かべて欲しい。中央の隙間が川で、左右に飛び出る部分が橋へのアプローチだ。
 わたしはまず、北の字の右下の道の上流側の歩道を登り、橋を渡らずに右に折れて土手を進む。途中、もう一本の橋を通過し、わたしはさらに上流へ歩く。
 Ⅹを認識した当初は、わたしの進行方向の前、途中の橋──北の字の左上の横棒に続く橋を渡って対岸からやっきた。
 早朝勤務なのか、勤務明けなのか、一見して高齢と分かる人だったので、大変だなぁと思っていたのだが、あるとき、Ⅹが途中の橋への道──北の字右上の棒──を下った先にあるパン屋の駐輪場に自転車を停めているところに出くわした。そのパン屋で働いているのだ。
 
Ⅹを認識してから一年もたつだろうか。
 最近、Ⅹの行動に謎が加わった。
 ある朝、わたしが登る道の反対側(下流側)の歩道をⅩは下っていたのだ。下り坂なのにⅩは自転車を押し歩いている。新しい橋へのアプローチは長く、傾斜もきついので怖いのかもしれない。
「勤務先が変わったのかな」とそのときは思った。
 別の日、Ⅹはわたしの前を自転車を押しながら歩いているのだった。つまり登っている。
「新しい勤務先は勤務時間が短い? 帰宅?」と思いつつ、危なっかしく自転車を押し歩くⅩを追い越してわたしは土手に上がった。
 すると後ろから自転車をこぐⅩが追い越していった。見ていると、途中の橋──北の右側の上の棒にあたる──道路を下っていく。
 つまり、パン屋に向かうのだ。
 気になってその日はルートを変えて、パン屋の前を通ると、Ⅹの自転車が停めてある。勤務先が変わったわけではない。新しい勤務先が加わったにしてはすれ違う時間に差がなさすぎる。
 
 はて?
 なん?
 どういうこと?

これまでの出会い方から想像して、Ⅹは川の反対側に住んでいることは間違いない。
 何かの事情で渡ってくる橋を変えたのかもしれない。
 だが、橋を渡って下ったら、そこはパン屋のある地面と地続きだ。道もある。迷路のような道ではない。途中に峠や地溝帯などの難所があるわけではない。遠回りではない、今のルートにくらべたらはるかに近道だ。
 わざわざ道を渡って橋への道を登り直し、土手を進んでまた下る必要はどこにもない。
 もしどうしても土手を走りたいのなら、最初の橋を登るときに反対側──上流側の歩道に渡ってから登ればよいのだ。かつて一つ上流側の橋でであったということは、上流側に移動する道もわかっているにちがいない。
 坂を上り下りして体力づくりをしているように見えない。
 というか、自転車に乗ることはやめた方がよさそうなぐらいなのだ。ぶっちゃけいうと、危なっかしい。努力義務のヘルメットは装着していない。そう遠くない将来、このかたがこけているのを目撃するか、助けることになるだろうなと思っているくらいだ。
 道がわからない? いやいや、渡る橋を変えても、パン屋のある方向はわかっている。

べつに謎を解く必要はない。実際は、とても信心深い人で、おまけに陰陽師の係累で、その日の運勢やなにかで「方違え」をしているか、さもなくば、加齢に伴うさまざまな症状の発露に過ぎないのだろうことは想像つく。

今朝などは、土手の上を自転車で押し歩いている。
 早起きし過ぎたから時間調整? かと思ったが、今朝はわたしはいつもよりすこし遅く家を出たので、それはない。ゆっくり歩いてはパートに遅刻する。
 自転車を押し歩くⅩの姿は、アルファベットのKの鏡文字というか、ギリシャ文字のλ状態だ。
 ついに、自転車をこぐこともできなくなったのか?
 Ⅹの姿をみるのもあとわずかかなどと勝手にきめつけながら後ろをついていくと、Ⅹは途中の橋のたもとから自転車にまたがりさっそうと勤務先に続くラストワンマイルをくだっていったのだった。
 Ⅹの2024に幸いあれ。

[2023.12.29. ぶんろく]

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