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峠のデイサービス

          峠
          茶
          屋


「よし」
わたしは、風雪に色の抜け落ちた墨文字を書きなおした看板を茶屋の扉脇に新しい螺子で留めた。二三歩下がり曲がり具合を確かめ、さらに数歩下がって文字の見え具合を確認した。
 茶屋との出会いは何十年も前になるが、私がこの茶屋を受け継いだのは、つい二週間前のことである。
 これから何年になるかわからないが、今日からこの小屋がわたしのいる場所である。もう帰るところも行くところもない。
 看板の「峠茶屋」という、ありふれた、それでいて、この場所でなければならない名前は、いまは登山道として残る道が、地域を越えた生活道路として利用されていた時代から受け継がれていると先代から聞いた。
 茶屋を引き継ぐにあたり、昨夜、看板を書き直しながら、ラベルライターで「茶屋」に小さく [デイサービス] とフリガナをつけた。
 歴代の茶屋主は怒るかもしれないが、わたしがこの小屋とであい、通い、いつしかこの小屋の役割を知り、受け継ぐことになったいま、時節にあわせると当たらずとも遠からずの形容詞だと思っている。
 わたしは一人ニタニタとしながら、看板を指先でつつき、小屋に入った。

       *
   
「ごくろうさま」
 わたしは、電報配達員に声をかけ、ドアを閉め、家を出る準備に取り掛かった。基本的な荷物はザックにパッキング済みだ。戸締りを確認。カーテンを引き、不要な家電のコンセントを抜き、ガスの元栓も閉めた。次にこの部屋に戻ってくるのは、鍵を不動産屋に返すときになる。最後に、冷蔵庫のなかの賞味期限のあるものをザックに詰め、駅へ向かう。
 電報の文面を見るまでもない。誰が送ったのかはわかっている。
 いまどき冠婚葬祭の場所以外で、電報を受け取る人はいるのだろうか。わたしは生まれて初めてだ。いまの時代、電話でもメールでもメーッセージアプリでもなく、なぜ、電報なのかといえば、そこにのせる内容ではなく電報という道具立てそのものがメッセージなのだ。
「おれは、おれの覚悟を送るんだ」 
 わけのわからないことをいう人だった。
 その覚悟とやらが、ついにきた。
 向かうのは、日本の分水嶺にある峠。送ってきたのはそこにある茶屋の主だ。
 急とはいえ電車もバスも選択肢が多い時間に移動できるのはありがたい。主に言わせれば「これも働き方改革だよ」という。主が先代から引き継いだ時は、明け方に電報が届いたという。
「いくら準備していても、すぐ来いって言われて、行かれるわけないだろ。だがよ、先代は江戸時代の残りかすみたいなやつで、新幹線どころか在来線もない時間に電報で呼びだされ、可能な限り早く駆けつけた俺に、習わしがどーのこーの、お前を選んだあたしが悪いのなんのかんの、死んでも死にきれないのと御託並べて、おっちんだのはそれからひと月も後だ。そもそも電報なんか必要なかった。だから、俺のときはそういう迷惑はかけないから。そうじゃなくても大迷惑をおっかぶせるわけだから」とぼやいていた。
 いつもはローカル線や路線バスを使うが、今回は緊急なので、新幹線を使い最寄駅からと峠の入り口までタクシーを使うことにする。峠に続くロープウェイの最終に十分間に合う。
 まず、半年前に葉書が届いた。茶屋への来訪を誘う葉書をもらうようになってずいぶんとたつが、いつもは新緑が紅葉が、残雪が、初霜がと時候にからめた誘いだが、このときは有無を言わせず、都合がついたら来てくれ、とだけあった。
 そして、二週間前に届いた葉書は、来てほしい、とだけあった。
 そのつどわたしは峠へ向かった。
 半年前は、「そろそろなんだよなぁ、たぶん」と、ついでのように言われた。
「なにが、そろそろなんですか」
「俺の寿命」
「よくわかりますね、そんなこと」
「ま、よくある病気でね。余命宣告を受けたというわけだ。急いじゃいないが、身の回りを片づけておいてくれると助かる。で、これがその準備金だ」
 金なんか要らないと断ると、「なくても困らないし、いざ覚悟に迷ったときには、それで、逃げ出してくれ」と冗談ともつかないことを言って押しつけた。
「逃げてもいいんですか」
「もちろんだ。茶屋だけなら誰かが継いでくれるだろう。シーズン中だけでもいいわけだし。ま、あっちのほうは多少は困る人もいるだろうけれど、そういう人は別の場所を探しだすもんだ。そういう人の嗅覚でな。だから、気にしなくていいさ」
 わたしは都内の小さな会社の事務職サラリーマンである。いまいないと困るけれど、いなくなっても三日もたてば困らなくなるていどの職務と職責。大企業ではないので、募集や教育コストを考えるといてくれたほうが安いかもしれない程度の人間だったので、社の早期退職制度も使い、半年後の退職を決めた。だれも止めなかったし驚かれもしなかった。
 要らないと言ったものの、わたしは主から預かった金で、茶屋で通年過ごすために必要な装備を新しくし、会いたい人に会いに行ったり、今後は不義理が続くだろう、集まりにもあいさつに回った。銀行も峠の麓の街のコンビニなどで使えるところに変え、ついでに主の使いで顔なじみになっていた行員に相談に乗ってもらいながら、カードやスマホで決済できるようなシステムを茶屋に導入する手配も済ませた。
 主が冗談で言ったように「逃げるか」と考えたこともある。
 なんでわたしが、という不平からではなく、わたしにできるのか、という責務からくる不安や重圧によるものだ。
 わたしは結局逃げなかった。逃げるほどのこともないと思った。逃げるなら、引き継いでからでもよいのだ。わたしに後を託そうとしている主に死の間際に哀しい思いはさせたくなかったし、好きな山で通年過ごすことを楽しみにしてもいた。
 二週間前に呼ばれたときは、「いよいよだ。次は電報にする。電報から数日は待たせないから。先代と違って俺は律儀だ」
 自分で言うかと思ったし、律儀で働き方改革でも、電報なんだと混ぜっ返したくなったが、待たせないというのは、本人の死なのだから飲み込んだ。帰り際「これは遺言だ」とノートを渡された。
「茶屋の経営マニュアルはこれまでも見てもらったことがあるが、こっちは閉めずの扉のほうだ」
 この二週間読み返し読み返ししたノートは今もカバンの中に入っている。
「お客さんこれから登山ですか」
 駅から乗ったタクシーの運転手にロープウェイの駅までというとミラー越しに聞き返してきた。
「いや、峠茶屋にね」
「あぁ」
 なにが「あぁ」なのか。
 新幹線は都会の希薄な人間関係をそのまま運んでくるが、駅に降り立ち、タクシーに乗ったとたん、その気になれば、わたしが昨日、だれとどこにいたかまでわかるような世界にはいる。峠の数少ない住人の消息くらいは、地元の人間なら知っているのかもしれない。 
 ロープウェイのチケット売り場の顔見知りが、わたしの顔を見て微かに目を見開く。
「今日は泊まりかい」
「はい、数日は。滞在中は皆さんになにかとお世話になるかとおもいます」
「そうかい。具合が悪いとは聞いていたけれど。そうかい。わかった、みんなに伝えておくよ」
 よろしくお願いしますと言ってゴンドラに乗りこむ。登山シーズンだが、平日の最終ゴンドラの客はわたしだけだった。日が落ちて底が見えない谷をゴンドラは進む。群青色の空に縁どられた稜線にある終点まで十分ほどで着く。
 わたしが茶屋の後継者に選ばれたのは五年ほど前になる。
 なぜわたしなのかはわからないが、わたしなのだという。
「指名されたら断れないのか」と聞くと、「断るつもりなのか」と逆に聞かれたことを覚えている。
 後継指名を受諾以降、表向きの茶屋の運営については折に触れ、マニュアルや帳簿を見せられ、相談先や仕入れ先などにお使いと称して顔つなぎも続けてきた。
 主に言わせれば、茶屋の運営なら、コツをつかめばだれでもできる。問題はもう一つの稼業である。主は茶化して裏稼業などと言うが、その言葉の禍々しさと異なり、知れば、なにほどのこともない。門番というか、玄関番というか、そんなものなのだ。
 ただ、その門や玄関は一度通ると帰ってこない。出て行ったら、ぴしゃりと閉めるのが裏の稼業、いや、無報酬なのだから、家業だろうか。
 二週間前に渡されたノートは、一ページ目に読んだら燃やすことと大書きしてあり、マニュアルと言えるのは次の一ページだけ、それも、箇条書きにして数項目だけだ。残りのページは、出て行った人の思い出語りで占められている。
 いまは布団部屋として使っている部屋の奥に、閉めずの扉がある。
 扉はかつて峠が峠として存在し、人が行きかっていた時代、茶屋の正面だった場所に位置する。いまは、峠の反対側への道が失われ、木々がうっそうと茂っているため、道があったとはわからないし、ましてや、茶屋のその場所に扉があることはわからない。
 この扉を開けるのは出ていくと心を決めたものだけである。
 出ていくものの作法として、閉めてはいけない。だから閉めずの扉。
 閉めたら、また、開けに来るかもしれないという意味を持つ。
 その扉が開いていたら、管理人は周辺を歩き、足跡やなにか痕跡が残っていれば、消す。そして、扉を閉める。
 それだけのことだ。
 ゴンドラが頂上駅に着くころには、西の空遠くにわずかに残照があるものの、足元は真っ暗で何も見えなくなっていた。
 峠は標高一五〇〇メートルを超える場所だけに冷っとする。ゴンドラの中で羽織ったヤッケのジップを顎下まで閉め、ヘッドライトを点ける。
 茶屋までは通いなれた道とはいえ、山道である。油断大敵。主より先に逝ったらシャレにならない。
 茶屋の扉には二週間前、わたしが帰り際に貼った「ただいま休業中」の紙があった。窓は真っ暗だ。
「こんばんは」
 扉に手を掛ける。鍵は開いている。
 いきなり明るくして主の目がくらむといけないし、わたしもふいに主の遺骸に直面したくないので、ヘッドライトのまま、入ってくるときよりさらに小声で驚かせないように「こんばんは」と言いながら、二週間前に主を寝かせたベッドへ近づいていく。
 主はわたしのヘッドライトの光の輪の中で、うなづいた。唇は渇いて割れているが目にはまだ生気がある。
「よかった。間に合った。生きてる」
「うるせぇ」
 照明をつけてよいか聞き、ストーブに薪をくべ、火をつける。主に何か食うかと聞いたが、首を振るので、自分の茶を入れる湯だけ沸すやかんを乗せた。「戸締りを見てくる」と声をかけ、茶屋の部屋の窓の鍵を見て回り、外に出て、茶屋の周囲を見て回る。
 山肌や急峻な谷は闇に沈んでいる。ヘッドライトも届かない。ライトを消し、一度閉じた目を開けると、空に穴を穿つ星がにぎやかに出迎えてくれる。
 何度見ても飽きないこの星空。
 
       *
       
この山に通い始めて何年になるのだろうか。登山が趣味でもない私がここへきたのは、星を見ることができて、通年ロープウェイが運行され、アクセスが便利だという点だった。観測がしたいわけではなく、地面に寝転び、ただただ星空をみているのが好きだった。通ううちに自分だけの秘密の観測基地も見つけることができた。その場所だけ周囲よりすこし高くなっており、寝転ぶと自分が天の闇に吸い込まれ、体のまわりで星が輝くような心地がする。星に包まれ、まみれることができる。この場所はいまでも秘密にしている。
 わたしが今は閉めずの扉と言う名前も使い道も知っている扉を見つけたのは偶然だ。
 あるとき夜通し星を眺め、冷えたからだを茶屋で温めてようと、木立の間に屋根が見える茶屋を直線的に目指して斜面を下った。すぐに茶屋の脇に出たのだが、いつも見ている茶屋とはどこか様子が違う。玄関のようなつくりの軒庇の下に扉があるので手をかけたが動かない。しかたなく小屋を回るように歩くと、いままで見たことがない草っぱらが出現した。茶屋の裏手に当たるのだろう。
 草っぱらの先は朝もやに溶けて、広がりがわからなかった。
 おそるおそる足を二三歩踏みだした時、谷からの風が朝もやを噴き上げた。十メートルほど先で草っぱらはパツンと切れ、深い谷の向こうの山がのしかかってきた。
 稜線に朝日が当たり始め、その影が風に吹き上げられ空に薄くかかっているガスを切り裂いていく。
 ただただ、見惚れていた。
 口を開けていたにちがいない。よだれがたれた拍子に寒さで体が震えた。
 茶屋をさらに回り込むと登山に出発する客の背中が見え、見慣れた茶屋の姿に戻った。
 暖かいコーンスープを飲みながら、次に来た時に、あの草っぱらで星を見たいものだと、必要な装備に思いをめぐらせていた。
 ところが、主に頼むと「なんであの場所を知っている」と怪訝な顔をされた。「あの扉はこの茶屋が峠道に面していた時の正面だ。茶屋の中側は布団部屋になっている」と教えてくれた。渡しが扉を見つけた理由を話すと安堵の表情があらわれた。その口調と表情の変化から草っぱらでの星見はだめだと言われると思ったが、「草っぱらの先は崖、それも、スットーンと落ちているから、茶屋から十歩圏内ならかまわない。危険な場所で普段は人がいかないからなんの対策もしていないから草っぱらのことはほかの誰にも言わないでほしい」と許可が出た。しめたと思ったのもつかの間、「さらに、観測中に星以外に何か見たとしても誰にも言わないで欲しい」という不思議な条件が加わった。
 草っぱらになっている場所は、かつてはこの茶屋と同じような茶屋が数軒建っていた跡だったとこのとき主から聞いた。星以外とは、その昔の茶屋にまつわる因縁噺なのかと内心びくびくしたが、これまで夜間に天体観測をしていても、幽霊はおろかUFOすら見たこともない私は、その後も星以外何も見なかった。
       
       *
       
茶屋は休業中。麓の観光案内所、案内所のネットサイトにも休業の知らせは出ているので客はいない。もし今夜この草っぱらに出てきても何も見ないだろう。
 茶屋に入るとストーブの火ですっかり温まり、夜間が湯気を立てていた。自分の寝床を作り、茶を入れると、主の枕辺に座る。
「何か質問はあるか」
 主はそれだけ言って、私を待つ。
 裏家業のノートについてだということはわかる。
 聞きたいことは山ほどある。ノートに書いていないことすべてだ。
 扉を開けてでていく人をどうやって見極め、どのようにあの扉のことを教えるのか。人それぞれだからなぁ、で終わってしまうのはわかっていた。主は働き方改革の人だから、わかっていれば書き残すはずである。だから当たり障りのないことを尋ねる。
「先代の時代も同じような数だったんですか」
 主から渡されたノートでは十八回、扉が開いた。
「先代の帳面はもちろん焼いてしまったが、俺の時代より多かった。減った理由はわからない。いまは、自死と言えば若い世代だから、わざわざ、山に登ってなんて考えないのかもなぁ」
 確かにノートに記録されていたのはほとんどが中年だ。ただ、時流は変わる。いつなんどき、この山に若い人が押し寄せるかわからない。ましてや、SNSで万が一拡散されようものならありえないことではない。
「そのときは、まず、崖沿いに堅固な柵をつくり、さらに、茶屋を回って草っぱらにアプローチできないように、木を植えて隠すんだ。大丈夫だ、柵用の基礎は打ち込んである。柵に使う足場用のパイプや連結材も納屋に入っているから、ときどき、腐ってないかみてくれ。それから、植木も育ててあるから、鉢ごと埋めろ。ただ、枯れっかもしれないから、鉢は増やしてくれたほうがいいかもな」
 さすが働き方改革の主、なんとも準備の良いことだ。
「そのうえで、茶屋をたたむか残すか考えてくれ。たたむなら、茶屋への道も消してもらえ。自死の名所になんてなったら、ロープウェイの会社も麓の観光協会も迷惑だから、協力してくれるだろう」
「そうなる前に、裏家業は止めて茶屋だけやってもいいんですか」
「好きにすればいい」
「困る人はいませんか」 
「わからないよ、そんなこと。そりゃ知らずに扉を開けに来た人間は困るだろう。だからといって文句が言えるものでもない。ほかの方法を探すよ。気にすることはない。もうひとつ、頼みたいことがる。裏家業の別のいいかたを考えてくれないか。人に聞かれても困らないフレーズにさ」
「わかりました。もうひとつだけ、あらためて聞きますが、なんでわたしだったんですか」
       
       *
       
この山に星を見に来た初めから茶屋を知っていたわけではない。
 茶屋の存在を知ったのは、何回目かに来たとき、たまたまロープウェイのゴンドラに乗り合わせ、話しかけてきたおじいさんからだった。ワイシャツにスラックス、革靴。ネクタイはしていないし、高齢者にありがちなループタイもない。通院帰りか、荷物は薬局で暮れるような小さなビニール袋ひとつを指にひっかけている。観光客ではないし、登山客ではありえない。とらえどころのない姿だった。山のことをいろいろと解説してくれ、ゴンドラを降りさらに上に上がるリフトでもいろいろと話しかけてきた。
「お詳しいですね。地元のかたですか」
「そういうわけじゃないんだけどね。上にいる人がね、来いっていうもんだから。どうせ暇でしょって、二週間前にも来たんだ。昔馴染みでね」
 まさかこんなところにスナックや居酒屋があるわけもなく、それでも、夏は登山、冬はスキーとそれなりに賑わってる場所のようだから、宿屋か何かかと思って聞き流した。
 あとになって今の主に教えてもらったのだが、当時の茶屋主は女性だった。わたしがおじいさんに会ったころに亡くなっており、今の主が引き継いだ。現主を呼び出した江戸時代の生き残りが当時いたのだ。
 ゴンドラで会ったおじいさんは茶屋の常連だった。そして、いまの主が扉を閉めた初めての客ということらしい。
       
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「あの常連の話を聞いたときかな、こいつはもしかしたら呼ばれたやつかも、って思った。で、そのあと、頼みもしないのに裏の草っぱらを見つけたときに、確信したわけだ。こいつだって」
 単なる思い込みの積み重ねで、根拠もなにもない。今聞いても迷惑である。
「逆になんであんたは断りもしないで引き受けたんだ」
       
       *
       

常連の話をしたころから、年に一回くらい主から暇なら来いと葉書が届くようになった。茶屋の営業ダイレクトメールと思っていたので、すぐにゴミ箱に投げ込むときのほうが多かったし、ちょうど、星が見たいと思っていれば、出かけることもあった。
 わたしはこの山のあの場所で見る星が好きだった。引きうけたのはサラリーマンにも飽きていたし、なによりあの星を天気が良ければ毎日見ることができることがいちばん大きい。
 ある年の秋のこと。
 今年は壁がきれいだぞ、と電話が来た。
 山の壁を彩る木々の色つきが良いらしい。
「あと一日二日が見ごろだ、近づいている台風が過ぎたら一気に冬だ。電話して迷惑だろうが、昨日の夜、雲の動きを見に裏庭に出てな、月照の紅葉と星の競演てやつが見事でなぁ。あんたのこと思い出して電話しちまった。迷惑だったかな。すまん」
 壁の紅葉は見事だ。といっても、ポスターや絵葉書でみるだけで実物は見たことがない。その季節は混雑しているからだ。月があると星空観察には不向きだが、せっかくだから見に行くか。
「連絡ありがとう。行けたら行きます」
 実際この時の星と紅葉は見事だった。死ぬまで何回も思い出し、人にも語るだろう。だが、その夜初めて私は星以外の何かを見たのだった。正確には感じた。
       
       *
       
「あの夜、あんたは、見たはずのものを俺にも言わず、朝まで星を見ていたわけだよな。俺が扉を閉めに行ってもまだ星をみていた」
 そう、主が言う夜に、わたしは初めて閉めずの扉が開くのを知り、つづけて役割も知ることになったのだ。      
       *
       
冬用シュラフに頭までくるまって目だけだし、エアマットに横になって星を見ていた私が、物音に気がついたのは、あの時季の星の位置からすると、午前一時を回ったころだ。
 頭の方向に位置する茶屋の扉が開く音がした。草を踏み込む音がシュラフ越しに小さく届いてきた。
 昔、玄関だった扉以外の出入り口は草っぱら側にない。管理人がわたしの様子を見に出てきたのかと思ったが、近寄ってくる気配もない。登山客が小便でもしに来たかとも思ったが、そのような音もしない。茶屋に戻り扉が閉まる音もない。
 顔を左右に振ってもライトは見えないので、人ではないのかとそのままにした。
 ふたたび星空に集中しはじめたとき、フゥォンという獣の鼻息に似た音に続き、枝が折れる音、折れなかった枝が跳ね戻りバサバサと葉を打ち鳴らす音、ドンともズンともつかない重い音が、草っぱらの向こうの谷底から上がってきたような気もした。首をもたげて足元の先、草っぱらを見回したが、暗闇に慣れた目にも、なにも見えない。落石か、イノシシなどの獣が足を滑らせたのかもしれない。
 わたしは朝まで星に溶けて過ごした。
 空を埋め尽くしていた星が、日の出のわずかな光とその光が大気を温め作り出す霧に溶けていくのを見ているころ、茶屋の扉をガタガタ動かし、トンと閉める音がしたかとおもうと、ライトを持った主が「おはよう」とやってきた。
 主はライトを足元に大きく左右に振り何かを探していたが、すぐに目当てのものを見つけた様子で、ライトを草っぱらの切れる先まで照らし、ゆっくりと崖の際まで歩いていく。片足を引き腰をかがめるように谷底を覗きこむと、手にしていた熊手で自分のふみ跡を消すように戻ってきた。
「星はきれいだったかい」
「ええ。なんで自分の踏み跡を消すんですか」
「あぁ。マネして崖に近寄るやつがいると危ないからね」
 ならば、最初から崖まで歩かなければ良いのにとわたしは思ったが、口に出さず主について茶屋へ戻った。
 前夜の物音がなんだったのか、主に聞かなかったし、確かめもしなかった。なにか違和感を感じていたとすれば、朝、主はどこから出てきたのか、ということだった。
 わたしに茶屋を引き継ぐ意志も動機もなかった。一方的に主にそれはあり、今思えば、主は後継者を探したい気分だったのだろう。
 きっかけはわたしが作った。登山客が出発し、紅葉目当ての観光客用の準備をしている主に話しかけた。
「昨日いっしょだったおじいさんはもう出発したんですか」
 おじいさんは登山客とは見えない格好で、昨夜、登山客が早々に布団に潜り込んでからも、ストーブのそばで酒をちびりちびりとやっていた。わたしが星を見に出るときに「外は寒いから少し飲むか」と声をかけてくれたが、飲んでしまうと寝てしまうからと断った。
「そうか。朝はもう会えないから、元気でな」
「はあ。おじいさんもお元気で」
「ありがと」
 そんな会話を交わしていた。わたしは茶屋で初めて会う顏だった。
「あのじいさんはもう三年ぐらいかな、この季節に来ては帰り来ては帰りしててなぁ。最初は、ツレアイを亡くして、二人で来た最後の旅行先だったこの山へ来たと言っていた」
「それじゃ、お元気だったら、また来年もくるんですね」
「いや、もう来ない」
「なんでわかるんですが」
「昨日出て行ったから。閉めずの扉から」
 管理人がぼそぼそとそれでいて急いで話す内容は、都市伝説のようなものだった。
 閉めずの扉から出て行ったものは、裏の草っぱらの先のほっとけ沢に身を投げる。投げずに谷へ足を踏み込んでも、結果は同じである。
 その覚悟ができたものだけが、閉めずの扉を開ける。開いていたら、だれかが出て行って二度と帰ってこないということだから、茶屋の主は閉める。
「自死? 探しに行かなくてよいのですか。警察には届けないのですか」
「答えは、全部イエスだ。探されることは望んでいない。ゆえに警察も無用だ」
 主にわたしをからかっている様子はないが、あまりにあっさりというので、見つからないんですか? だれかが探しに来たらどうするんですか? 眉唾物の都市伝説のあらさがしをするようにいろいろ尋ねた覚えはある。
 
       *
       
「あの時あんたに話したことを一瞬しまったと思った。だけど、今を逃したら次はないと思ってしまったんだ。話して逃げられたら逃げられたでかまわないし。俺もずっとこの茶屋に縛られているのが嫌になっていたのかもしれない。誰かに話せば、心だけでも自由になれると思ったんだな。信じる信じないはあんた次第だし」
 たしかにわたしは全く信じていなかった。
       *

「昨日ずっと起きて星を見ていたんだろう。あんた、物音に気づかなかったか」
 ──。
 扉の開く音。
 ──。
 草を踏む音。
 ──。
 フゥォッという鼻息。
 ──。
 枝が折れる音。
 ──。
 この人は普通の顔でなにを話しているんだ。殺人鬼か。警察に届けたほうがいいのか。いや届けよう。その前にロープウェイの人に助けを求めよう、と考えながらも、悟られぬように茶屋を出て行こうとするわたしに主はこう言った。
「警察に知らせるのかい」
 文字通り芝居のようにぎくっと、振り向いたわたしの顔は引きつっていたに違いない。そこには鉈や斧を振り上げる主がいると思ったから。
 主はさきほどまでと同じようにテーブルの向こうに座り、コーヒーを飲んでいる。主の周りに、窓から差し込む陽光のなかを客が舞い上げた埃がスノードームのようにゆっくりと落ちていく。
「知らせてくれてかまわない。いや、そうしてくれたほうが私は楽になれるかもしれない。信じてくれないだろうが」
 信じるわけがない。まるでドラマの殺人嗜好者の告白だ。
「すべて、自死だ。私が突き落としたわけでも、そそのかしたわけでもない。昨夜も、でていくと事前に知らされていたわけでもない。それでも、自死を積極的に止めなかったことで、わたしはなにか罪に問われるだろうが、それで、この場所から解放されるならむしろうれしいかもしれない。だが、自死の名所となれば誰も喜ばない。茶屋は閉鎖されて当然だが、へたすれば、ロープウェイも閉鎖されかねない。地元の観光産業にとっては大打撃だ。きみも星見の場所を一つ失うことになる。だいたい、きみはわたしの話を信じているのかい」
 信じられるわけがない。
 その日の朝、ロープウェイ乗り場のスタッフは顔見知りだった。
「昨晩の星はいかがでしたか。本当にきれいですよね。登山ばかりでなくって、もっと天体観測でも有名になればお客さんも増えるだろうに、って、いつも話しているんです。お客さんも帰ったら宣伝してくださいね」
 わたしはだれにも声を掛けず、麓の警察に寄らず、家へ帰った。
 帰宅後、わたしは仕事の合間にネットや図書館で峠や山の歴史、そして、自死の名所を調べた。峠にまつわる歴史書は数多く、ほとけ沢の由来は、文字通り、遭難者が多かったからで、ほっとけ沢の由来は、急峻すぎて、遭難者が出てもほっとくしかないからだという冗談のような由来もこのときに知った。
 よほど巧妙に行われているのか、いくら調べても、自死の名所として峠の名前があがったり、書きこみや裏情報も見つからない。ネットで峠を含む山域の遭難者や行方不明者の情報を検索したが、原因がはっきりしているものばかりで、怪しいものは見つからない。
 わたしは茶屋の主に担がれたと自分を納得させ、峠から足を遠ざけた。
 星に溶けこむスポットの喪失は残念だったが、しかたがない。峠がますます観光化していくことも足を遠ざけさせた。数年は茶屋から葉書が届いたが、足を運ばないとそれも途絶えた。
 わたしが峠を再び訪れたのは一〇年余り経ってからである。
 疲れたからだをマンションのベランダ柵にもたれかけ、すすけた黒い空を見上げているうち、無性に星が見たくなり、まず思いだしたのが峠の秘密の場所だ。茶屋の主もすでにいなくなったのではないかと思ったこともある。
 主はいた。
 わたしの顔にしまったという表情がでたのかもしれない、「なんだい、生きてて悪かったな」と主はいった。
 わたしは宿泊名簿を書きながら小さくうなづき返しただけで済ませた。星を見に来ただけだ。
 その夜、わたしは秘密の場所で星に包まれた。
 茶屋に戻る際、ふと、あの草っぱらはどうなっているのだろうと思い、木立の中を抜けて行った。
       
       *
 
「やっぱりあんたは呼ばれた人だったんだよな。自分じぁついてないとおもっただろうがね」
 そのとおり。
       
       *

木立を抜け茶屋の脇に出た私の口を突いて出たのは「よりによって、なぜ今なんだよ」だった。
 ちょうど閉めずの扉を出てくる主にでくわした。
 主は、暗闇で盗賊を見つけたようにヘッドライトを当てる私に向かい「おはよう」と言うと、扉を閉め、扉横に立てかけてある熊手を手に、あの時と同じように何かの痕跡を探しながら崖まで歩いて行く。
 わたしは証拠を見逃すまいと後を追いかけた。
 谷に向かい手を合わせる主の横で、わたしは膝をつき手を崖のへりにかけ、恐る恐る谷を覗き込むが、なにも見えない。なんの痕跡もない。
「見えやしないよ、なにも。だからよいのだろうがね。今年は多くてなぁ。下界の不景気のせいかね。年金も減らされたし。あんたにはわからないかもしれないが、微かに臭うんだよなぁ。風向きによっちゃ茶屋まで届く。鼻のいい奴はクンクンするんだよ。だからここんところ、できるだけ香りの強い木を使って、ストーブで燻製づくりに励んでる。おかげで燻製がすっかりひょうばんになっちまった」
 そういうと主は茶屋へと戻っていく。
 わたしは恐る恐る谷から上がってくる匂いを嗅いだが、主の言う匂いは感じられなかった。
 振り返ったわたしに主は「足跡を消しながら戻ってきてくれよな」と熊手を放ってよこした。
 茶屋に戻ったわたしに、主は「ほら」と言ってクラフト紙の封筒を差しだした。
「なんですか」
「今朝でていった爺さんの忘れ物」
 表に茶屋主様へ、裏には、ななしのじじいとある。封はしていない。中に便箋一枚と、遺書と書かれ封印された白封筒が入っていた。

茶屋主さんへ いろいろとご配慮ありがとうございました。あとに残す体がご迷惑をおかけすることはないと存じますが、万万が一の時は、お手数ですが同封の遺書を警察にご提出ください。その必要がなければしかるべきときにストーブの焚きつけにしてください。何年も通い、通ううちにここを死に場所と決めました。勝手な申し出を拒否することもなく受け止め、死ぬはすすめられないと言ってくださいました。どっちみち、人間は致死率百パーセント、毎日が死出の旅路だよ、急ぐことはない、峠も谷も逃げないからと。そういえばあきらめるとお考えになったのでしょう。その後も何度も通い私は一方的に自分の準備の進捗を報告いたしました。思い返しても恥ずかしくて汗が出るほどです。別にきれいに死にたいとか、自分らしく死にたいと思っていたわけではありません。身寄りも少なく縁薄いわたしの最後は、住んでいるアパートで孤独死です。死んだことを知られずに死に、ご迷惑をかけるぐらいなら、木の葉に埋もれ雨に打たれ朽ち果てるほうが自分らしいような気がしたのです。
数少ない義理に始末もつけ、アパートも引き払い準備万端整ったというわたしに、閉めずの扉のことをお教えくださいました。
私が閉めずの扉のさきで見たことはお伝えすることができませんが、極楽浄土をみたと思い、わがままをご寛容くださいませ。本当にありがとうございました。
令和三年九月十日 ななしのじじい

「燻製。ななしさんの供養だと思って食べてくれ」
 うまかった。
 主はテーブルの向こうで燻製を齧りながら、「今年は多いんだ」というほかの人の話をしてくれた。
 話ひ終わると、主は「また燻製作らないとな」と、ななしさんの手紙をストーブに投げ込み火をつけた。
 
       *
       
「あのとき戻ってきた途端にあんなことに遭遇して、なんで警察に行かなかったんだ、あんた」
「なぜでしょうね。うまい燻製をもう一度食べたいと思ったからでしょうか」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ」
 事実、なぜかはわからない。
 一つ言えることは、この時点でわたしの両親は亡くなっており、仲が悪いわけではないが、姉とは年賀状のやり取りだけになっている。結婚もしていない。ななしさんの置かれていた状況はわたしとおなじだった。 
「ともかく、あんたは、今ここにいる」
「何か食べますか」
「いらない。食べるとかえって苦しい」
 それからの数日間、主の枕元で、表裏の家業ノートを読み返し、尋ね、燻製の作り方を主に教えてもらい、実際に作りながらすごした。
「なんで閉めずの扉なんてめんどくさいことをつづけてきたんですか? やめようと思わなかったんですか」
「自分で始めたわけじゃないから、やめようとは思わなかった。需要がなくなればそれでいいとは思った。勝手に死なれたら困る。それも中途半端にやられたら困る。この茶屋だけならまだしも、この山で暮らしているみんなが迷惑する。だから、死んだあとまで余計な面倒をかけるなって通告する。それがひとつ。もうひとつは、死ぬのは勝手だけれど、やっぱ、関わった以上、生きていたことを覚えておいてやりたいし、向こうも、きちんと始末をつけた、死んだことをわかって欲しいと思っているはずだ。だから、話を聞いて見届けて、医者が書く死亡診断書代わり、戸籍の抹消手続きの代わりかな」
 峠茶屋のある山は機嫌が良ければ風光明媚。新緑、紅葉、雪のゲレンデと楽しませてくれる。登山の聖地でもあり登山家の墓碑銘の建ち並ぶ山でもある。
 峠は、この山塊のほかに比べれば多少広く緩やかな沢の先にある。自動車も列車もなかった時代、人びとはこの分水嶺を越えた。主街道ではないが、重要な道であった。
 人びとの暮らしが今のように秒単位で刻まれず、季節や作物の育ちを基準に動いていた時代は、雪解けから、雪が降り始めるまでの季節限定の茶屋で、太平洋側から日本海側に抜ける近道として、栄えていたようだ。最盛時は三軒ほどの茶屋があったようである。
 今残る茶屋がその一つかどうかはわからない。裏家業はそのころから続くのだろうか。
「俺の代でないことは確かだ」と主は言った。
「その先は知らねえ。俺はお前みたいに知りたがりじゃないし、先代に聞いたこともない。引き継いだ時には、そんなこともあるか、と思った程度だし、お前ならできるとか、お前にあっているとかともいわれなかった。どのみち裏メニューじゃ食えないし、もし食えるようになったら、おかしいだろ」
 裏メニューという言い方がおかしかったが、レストランのそれは表に出てくることもあるが、この茶屋のそれは絶対に出てきてはいけないものだ。
 ストーブの薪がはぜるたびに、主の息遣いに耳をそばだてながら、主が書き溜めてきたノートを読みかえす。
 経営の数字に関しては、ロープウェイの運営会社の経理課が面倒を見てくれているようで、ふた月に一回出納帳を届け指導を受ける。借り入れなどない経営で、さほど頭を悩ませる必要ない。税申告も自分でできる程度だ。主は山を下りて税務署にでかけていたようだが、今の規模なら今後はネットを使ったオンライン申告で大丈夫だろう。
 遭難者が出たときの連絡先や連絡順位、茶屋の補修や、荷揚げのこと、さらにそうしたことでお世話になる人たちへの盆暮れの届け物、これまでの関係者への慶事弔事の日時、その際の祝い金から香典の額までがことこまかに書いている部分は突然引き継ぐものにとっては宝である。
「なに心配することじゃない。惚れた腫れたの関係じゃないんだから、人間関係も引き継げる。茶屋に必要な人には顔つなぎをすませているから、引継ぎ後、もう一度あいさつに回ればおっけーだ。そんとき、新しくつなぎなおしたほうが良い人間は誰かが口にしたり、引き合わせてくれるさ。おれのときにも、なんであんあたが、なんてことをいう奴は一人もいなかった。先代を見習ってひとつよろしく、で済んだ」
 見習うも何も一緒に仕事をしたことなどほとんどといってなく、なにを見習うのかもわからない。
「なんとかなるもんだ。ま、あんたの懸念はもう一つのほうだろうが」
 表紙に何も書いていないノートには閉めずの扉から出て行った客のことが書いてあった。
 二週間前に来た時に渡され、最初のページに「読んだら燃やす」と大書きされているのを目にして、閉じてしまった。
 三日四日後に再び開いた。注意書きの次のページには、閉めずの扉を閉めてからすぐに行う始末、万が一臭気を感じたときの始末が箇条書きされていた。
 ノートには九人の名前があった。正直九人で安堵した。
 来ては帰り来ては帰り長い物語のある人もあれば、一行で終わっている人もいる。
 一人目は六二歳の男性。先代からの引継ぎ。大阪生まれ。何回か来訪し、ある年の秋の来訪時に「出る」とある。家族無、死別。
 二人目は四一歳女性。東京から。天気の悪い時に茶屋を訪れ、翌朝にはいなかったとある。閉めずの扉が開いていた。消息不明。行方不明の届け出も、問い合わせもなし。こうした事例はこの女性だけ。後悔と書いてある。
 主としては衝撃の初体験であったに違いない。
 三人目は七五歳男性。東京。春にはじめて訪れ、以後季節ごとに来訪。翌年の夏に「出る」とある。こうして淡々とノートはつづく。
 五人目を越えたあたりに、「自死を口にするやつがいたら、死ぬのは勝手だが、ここで死なれるのは迷惑だと伝える。この山は、自死するやつのものじゃないことをしっかり伝える」と書いてあった。
 主が茶屋を継ぎ、わたしが茶屋に通っていたころに五人、足が遠のいていた十年余りに三人、茶屋通い再開後も一人、閉めずの扉を出て行った。減ってきているのは喜ばしいことだ。
 わたしの峠通いが再開するころの記録には、扉から出て行き戻ってきた人間の記録が増え、そうした人の多くが、二度と峠に来ていない。なかには、「自宅で自然死」「病死」という事後消息の記録も見える。
 意識がとぎれとぎれになった主の覚醒を見計らって「このころ何かあったのですか」と答えを期待せずに聞くと「儀式化したんだよ」と一言。
 切れ切れの脈絡ない話をまとめると、扉から出ていく決意を固めた人に、閉めずの扉の由来を話し、出ていくとき、出て行ったあとの扉の始末、外でのふるまいを細かく丁寧に話す。
「ま、生前に自分の葬式の段取りを聞かせるようなもんだ」と主が言う。
「そうしたら、ぽつぽつと、儀式を済ませて帰ってくるやつが出てきた。もちろん、それを繰り返して結局飛び込むのもいたが。死んだ気になって気がすんだって言われたこともあった」
 一人一人の記録を読む終えるたび、わたしは、そのページを破りストーブにくべた。
 最後に、新しいノートに、マニュアルの部分を書き写し、残ったノートも火に投げ入れた。
 主はわたしがすっかり燻製臭くなったころに息を止めた。
「俺は畳の上で死んで、墓に埋葬されたいんだ」と、真顔で言っていた。
「だが、ここで死にたい。病院は嫌だ」と、意地を通した。
「棺桶を運び下すのはロープウェイの人が嫌がるんじゃないですか」と尋ねれば、「遭難者で慣れているから大丈夫だ。傷ついた遭難者と違って、ゴンドラを汚しもしない」とおかまいなしだ。
「棺桶は納戸にある。俺があんたの問いかけに反応しなくなったらスマホで医者に連絡してくれ。ビデオ通話機能で連絡すれば、問題なく死亡診断書を書いてくれる」
「段取りつけすぎですよ、わたしのやることがない。もう、最後、医者にも自分で連絡したらどうですか」
「そんじゃあんたに頼みたいことがある。医者に連絡してからでいいから、ここにも連絡してくれるかい」
 主は枕の下から小さな手帳を取り出し、ページをめくって差し出してきた。名前と連絡先が書いてある。
「弟だ。いまでは唯一の身寄りだ」
 看取りも葬儀もすべて主が段取りしてた通りに運んだ。麓の斎場で、ロープウェイ会社、観光協会、ほかの山小屋の関係者、そして、駆け付けた弟に見送られ灰になった主の骨壺は、主が手配していた納骨業者に送ることになっている。墓は海の近くらしい。
 連絡先を書いてあったノートは、ページを開いたまま弟に渡した。
 観光協会併設の土産物店で宅配便に主を託し、茶屋に戻ったわたしの最初の仕事は、先代同様に自分の始末の段取りを考えておくことだった。
 主を見送った足で自宅に帰り、引っ越しや、先代同様の身仕舞の段取りをつけ、一か月後にわたしは茶屋を再開した。
 看板の峠茶屋につけ加えた、デイサービスは、裏家業の別の名前を考えろという先代の宿題への答えである。

       *

茶屋の主となって忙しい毎日を過ごしている。嵐の時には心細くもあるが、シーズン中であれば客がいるので心強く感じている自分に苦笑いする。オフシーズンは、先代が顔をつないでくれていたほかの山小屋、ロープウェイの人、山岳救助隊の人までが「困ったことはないか」と声をかけてくれる。
 困ったことはまだなにもない。
 それが寂しくもあるが、新米だから仕方がない。
 山の暮らしは目新しさもあって楽しい。刻々と変わる山の天気、流れる雲、日が差し輝く緑、紅葉。枝から落ちる雪。つららのしずく、台風の大風や山が溶けるほどの雨、稲光、なにをとっても美しく見惚れる。
 長く独り暮らしをしてきたので、掃除や料理も苦にならない。
 カレーだ、ソバだ、どんぶりものといった定番メニューは先代も出来合いを使っていたので問題ないが、料理上手な先代は、燻製などの酒のつまみから、ヤマガールうけするスイーツまで手がけていた。
 レシピを残してくれているが、いきなり全部を再現できないし、味が落ちたと言われないように、試行をしながら少しずつ増やしているところだ。
 茶屋の土間の片隅に先代が作った壷釜をつかったナンと秋口の焼芋は好評だ。
 わたしなりに手を加えたものもある。
 先代のころから好評だった燻製を、先代はスーパー特売の肉でつくっていたが、わたしは麓で獲れたジビエや川魚でつくるようになった。燻製チップも地域の間伐材を使っている。燻製にすれば大概のものは旨くなるものだが、地産地消、地域限定と謳うだけで旨さが増すらしい。ビールに合うと評判だし、カレーに仕立てて、壺窯で焼くナンとの一日限定一〇食セットは人気である。生肉に比べれば多少は日持ちするので、登山者が携行食に買っていく。SNSで拡散されるので、ロープウェイでわざわざ食べにくる人もいて驚く。
 もともと登山客の宿泊はすくなかったが、部屋がもったいないし、個人客も多いので、小部屋を増やした。閉めずの扉ある部屋も部屋も半分ほどになり、扉は積まれた布団や備品で見えなくなりつつある。
 星空観察スポットの案内を始めた。すこしずつ星目当ての客も増えている。
 先代から受け継いだ茶屋運営マニュアルには、食事の新しいメニューや新しい部屋割り、星空ガイドツアーのことなどが書き加わっている。
 だが、もう一冊のノートは真っ白のままだった。
 裏の草っぱらはきちんと手入れしている。引継ぎ当初は、自然にそうなってるのかと思いこんでいたのだが、主がちゃんと手入れをしていたのだ。
 裏メニューのオーダーがないのをよいことに放っておいたら藪になってしまい焦った。
 いまは、週に一回は手を入れ、茶屋の周囲に咲いている花を移植して、少し華やかさも演出した。言いつけを守り、万が一の時の柵の材料のメンテナス、植木の面倒も見ている。
 といっても、私のほかに目にすることはないのだが。
 シーズンの週末や祝日をのぞけば目が回るほどではない。
「早いねぇ、あんたももう三年か」
 今日は、定期巡回中の山岳救助隊員が腰を落ちつけて話しこんでいる。先代の時代に引き合わされた時は平隊員だったが、いまでは副隊長である。
「いまさらだけど、看板のデイサービスってのはなんだい。べつにじーさんばーさんが大勢来るわけでもないだろうに」
「よく気がつきましたねェ」
 すっかり日焼けしてラベルライターの文字も不鮮明になっている。
「先代のときから、ここに来るとホッとするとか、ずっと探していた場所についたとか、帰りたくないねぇ、ここで死ぬかなぁ、なんてことを言う、おじいさんやおばあさんがけっこういたんですよ」
「たしかに、ほかの小屋と違って、ロープウェイに近いから、登山者ではない客も多かったよな。いまは先代より少し若いあんたの人気かねぇ、若い女性が増えたんじゃないのか」
「ご冗談を。ありゃ、色気より食い気の口ですよ。先代から聞いたんですが、あるとき、ボケたら、ここにきて死にたいねぇと言った客がいたそうです。先代は、送迎はしないから、自分でたどり着ければどうぞって答えたそうですよ。その客は、冷たいなぁ、家族に言い残すか、と笑いながら帰ったそうなんですが、しばらくして、主人が最後はそこで死にたいと言っているのだが、そこは病院か? と電話があったそうです。この茶屋を指名してくださって嬉しいけれど、病院ではないし、近くに医者もいませんから、そう返事をしたら、そうですかと。さらにしばらくして、家族連れの客が来て、いつぞやは電話で失礼しましたというので、聞くと、その時の電話の人で、ザックから出した写真を見せられて、あぁ、あの時のと思い出したんだそうです。家族は四十九日になるから、本人の願いどうりにここから送ってやろうって考えたんだそうですよ」
「へぇ、そんなことがあったんだ。そういえば、先代に死にてぇなんてやつがきたらなんて声かけるんだ、と聞いたことがあった。先代はよ、ここの山岳救助隊は半端ないからやめとけ、絶対に助けられちまう。あっちが折れたこっちが折れたの痛い思いを散々して、下手すりゃ寝たきりになるほどのけがを負って、死にたいと思ってもままならなくなる。だから、死にたかったら他を探せって言うんだと。ふざけた奴だよ。こっちも忙しいってぇの、なんで自分から落っこちたやつまで助けに行くのよ。だからよ、知らん間に飛び込んだなら、ほっとけっていったのさ」
「わたしもほっといていいんでしょうか」
「あったりまえでしょ。だいたい、これから飛び込む人がわざわざ茶屋に言いに来るわけないでしょ。もしきたら、当然、全力で止めてください。布団部屋に鍵かけて閉じ込めていいから」
「わかりました」
「はい、ごちそうさま。うちの爺でも送りこむかな。家でボーッとしているからデイサービスをすすめても、行かねっ、じじぃばばーのちーぱっぱなんて好かね、てぬかすんだ」
「薪割りだなんだかんだ手伝いをたのみたいことはたくさんありますから、送り込んでいただくのは大歓迎です。でも、送迎はしませんよ。食事の提供もないです」
「あのじじぃだったら、弁当ぶら下げて、毎日でも下から歩いてくるよ」
 登山客の出払った茶屋の中は明るいが埃りくさい。
 今日は日曜日。今夜は泊りの予約はない。天候悪化の予報も兆しもないから緊急避難もない静かな夜だろう。急な客が来なければ、もしいても一人や二人なら、一緒に外にでて、にわか天然プラネタリウムでも開催しよう。そう決めると、布団を風にさらし、忘れ物はないかと点検しながら部屋に箒をかけ、土間を掃き、食料品や水、これからの季節の必需品である燃料の備蓄を確認するという、ルーティンに没頭した。
       
       *
       
閉めずの扉はその後も開けられていない。
 先代が引き継いだ年齢と大差ない年齢で引き継いだが、人間性の差なのかもしれない。信用されないのか、声をかけてくるそれらしい人もいなかった。
 仕事としては重荷で、こっちから宣伝できることでもないし、需要がないことはある意味、良いことでもあるので、放っておくことにした。
 だが、出来心でつけた名前デイサービス峠茶屋のほうは、半ば実現している。
 山岳救助隊副隊長のおとうさんが早速やってきて薪割りや茶屋の修理を手伝ってくれるようになった。麓の村のあっちのじいさん、こっちのばーさんが入れ替わり立ち替わりやってきて、掃除や花の手入れをしてくれるようになるのはあっという間だった。
 茶屋の世話などあっという間に終わってしまうので、スキーのゲレンデ整備やリフト駅、ロープウェイ駅周辺にも仕事の範囲は広がり、会社から重宝がられている。ボランティアなものだから、会社も観光シーズンの土日でもない限り、ただ同然でゴンドラに乗せてくる。
 ところがシーズンに仕事を取り上げられたジーさんバーさんがロープウェイ会社にねじ込み、いまは、観光シーズンは早朝や営業時間後に保守用に動かすゴンドラを使う権利まで獲得している。
 麓の町も、高齢化は進んでいるが人口が少ないので、介護保険を使った制度を整備するよりは安上がりだというので、ゴンドラ代に補助を出すようになっている。
 峠のあちこちで一仕事終わると茶屋に集まり、あとは持ち寄った弁当で話したり昼寝をしている。
 文字通りデイサービスだ。
 いまでは、漬物だ干し柿だ、畑で採れた野菜だ山菜だ、なんだーかんだーを茶屋に並べ始め、シーズンには観光客相手に「山の駅」などと名前をつけた屋台型のブースも手作りし、販売している。メンバーも麓の集落をでて、町の温泉宿の隠居にまで広がっているので、扱う品も豊富になっている。ほかの山茶屋主が「うちの小屋でも扱う」と言い出したときに「それじゃわたしらで届けっから」とじーさんばーさんが言い出した時には必死に止めた。遭難されたらえらいことなる。
 山で死ねれば本望などいうので、メンバーの息子でもある山岳救助隊副隊長が迷惑するからと説得した。
 そんなこともあり、皆高齢で少なからず病気もあるのだから、町の福祉課とも相談して、登録制にし、一日の人数も五人までに制限している。皆、文句をいったが、ロープウェイに乗る棺桶の数の上限だとか適当なことを言って押し切った。 
 茶屋の主として、茶屋に星の写真や観察の時季などを案内を掲示するようになり、いまでは、高校の天文部や同好会が合宿に来てくれるようになった。星の美しさには関係ないと思うのだが、合宿に来る彼らは酔狂にも麓から歩いて登ってくることが多い。それは止めはしないが、観測機材はそれなりの重量もあるし、落として壊すと観測ができなくなるので、機材のみロープウェイで運ぶ料金も用意してもらった。観光協会の人もロープウェイ会社も協力的だ。合宿や観測会後、麓の温泉での反省会、女子会までセットになったものまである。
 かれらはSNSでリアルタイムに、そして事後に茶屋のことを紹介してくれるので、いまでは、天候の安定した時期は予約の取れない茶屋となっている。観測シーズンには、天文部やサークル出身のバイトを雇うようにもなった。個人の愛好家も多い。
「あのぉ、ここでは星を見ることができるんですか」
 コーヒーカップを手に茶屋の壁の写真を見ていた女性が声をかけてきた。
 大学の山岳サークルの新歓合宿に連れてこられたのがこの山で、足腰が弱る年頃なので、動けるうちにと思い、今回は新緑の山を見に来たという。学生時代はもちろん麓から登り、稜線を山行したが、今回はロープウェイを使ったという。
「まったくばからしいったらありゃしない。何時間も青息吐息で周囲の景色を見る余裕もなかったのに、今日は、絶景を満喫しながら一〇分よ。まったく根拠も意味もない精神論よね」
 稜線にでてからの山行で小屋泊しても疲れ果てていて星どころではなかったという。
「あのときは山に星があるなんて思いもつかなかったわよ。山にはゴロゴロの地べたしかないと思った。結局、山はそれきっり。日本の教育は間違っているのよね。楽しいことよりも、きついことを先に教える。楽しいことのためにきついこともあるよ、じゃなくて、きついことのご褒美。ばかばかしいわよね。一生懸命勉強して、大学入って、就職して、自分のため家族のため社会のためと働いて、ご褒美に、いいかげんがたがきたからだで旅行でも楽しんでねっていわれてもねぇ。こんな星空の下で死ねたらいいだろうなぁ、ねぇ? そう思わない」
 なんだか無茶苦茶な展開の話である。長年、星を見ているが、星空を見ながら死にたいとは思ったこともなかった。だが、言われてみれば、死の間際まで、星空を存分に観ていたいとは思う。
「ほら誰かが言ったじゃない、春に桜の下で死にたいって」
「ねがわくははなのしたにてはるしなんそのきさらきのもちつきのころ。西行法師ですね」
「坊主か。ハムレットのオフィーリアならまだしも、坊主が桜の下で死んでいてもねぇ絵にならないわよ、もっとも人のことは言えないけれどね。これでもむかしはボンキュッボンだったのよ」
 腰をあげた客はザックを担ぎ、胸ウエストヒップを両手でなぞってみせる。
「今じゃ、どんどんドーン。どっかいい場所ある? あっても言うわけないか。死なれたら困るもんね」
「ですね」
「じゃ、もうすこしくびれができたら、今度は宿泊予約します。その時はよろしくね。もちろん、星空」
「お待ちしております。パンフレットをご参考までに。こちらで見ることができる星の年間スケジュールです。ただ、あまりくびれができますと桜がお似合いにあってしまうかと」
「あんたうまいこというわね」と大笑いしながら出て行く女性を見送りながら、わたしの頭には、客の言ったいい場所が浮かんでいた。
 わたしの秘密の星見の場所。天文部の合宿でも教えないし、毎年手伝いに来るバイトにも秘密にしている。秘密の星園。あそこで死なれては困る。彼女も本気で死ぬ気ではないだろう。
 死んだ気分になりたい、疑似的な死を通過し、疑似的な生まれ変わりを体験する。ちょっとしたアトラクションやバーチャルリアリティのノリだろう。
 さっそくわたしはしかけを考えることにした。
 使ったのは、先代に倣ってネットで買った自分用の棺桶である。
 棺桶の蓋の窓だけでなく、左右の側面にも窓をつけた。蓋は丁番をつけ自分で開け閉めできる。窓も中から自分で開閉できるようにした。客にはシュラフを使ってなかで過ごしてもらう。一晩いても良いし、飽きたら茶屋に帰ってくればいい。
 デイサービスの面々に知られるとあっという間に知れ渡る。知られて困ることでもないが、ふいに、聞いてしまって困る人もいるだろう。コンプライアンスにうるさい行政の職員や大きな会社のスタッフとくに、知らんふりはできない。デイサービスの面々が下山後に内職に励んだ。
 棺桶の単純な仕掛けはすぐに完成、設置場所の整備も造作もないことだった。ただ、試用となると一人ではできない。バイトに秘密の場所を知られるのは正直ためらいもあったが、しかたない。
 出来上がった棺おけを前に説明すると、私の思いつきに初めは呆れていたバイトだったが、現場で組み立て、譲り合いながら、中に入って安定感などを体験すると、口々に「いいかもしれないっす」「絶対に受けますよこれ!」と言う。
「まだSNSで拡散したりするなよ。やると決めたわけじゃない。実行するにはいろいろと許可も必要だし、ロープウェイ会社とか観光協会にも話を通さないといけないからな。もし、ばれたら、怪しからん、不謹慎だの一言でできなくなってしまうこともある。損害賠償請求するぞ。もちろん、うまくいったら、みんなにボーナスだ」
 棺桶に横たわり、棺桶を囲むバイトを見上げながら言うわたしにむかって、よっしぁーと歓声を上げながらガッツポーズする彼らの眼は北極星より輝いていた。
 自分で数時間の滞在体験を行い、棺桶に不具合がないことを確かめたあとは、法律や条例やらを調べ、必要な書類を集め、準備を進め、「天空の棺桶計画書」を仕上げたころ、先日の女性から予約の電話が入った。
「あのぉ、先日おいでになった時に、星に包まれながら死ねたら本望とおっしゃっていましたが、いまもまだ?」
「やだ、本気にしたの? まぁ、桜の下で死ぬよりいいじゃない。え? なに? 本当に死なせてくれるの? やだ、まだ心の準備ができてないわよ」
「いや、もちろん、本当に死んでいただきたいわけではないです。花の下はもちろん、わたしの大好きな星の下はなおさらです。疑似体験していただいたら、そうした心の闇の感情も消えて、またしばらく生きることができるのではないかな、と思ったもので。そういうサービスができれば茶屋のためにもなりますし」
「私は実験台ね」
「体験モニターと言っていただいたほうが」
「どっちにしても同じじゃない。いいわよ、面白そう」
       
       *
       
客を、星見の場所に案内すると腹を抱えてだした。
「バイトくんが星見用の箱型テントっす、ていうから、長細い段ボールかと思ったんだけど。これ、どう見ても棺桶よねぇ」
 それでも、蓋を開け、使い方を説明するうちに神妙な顔をし始める。今回は、安全のため、帰りたくなったら連絡できるように有線のブザーを中に入れた。
「ふたを閉めて二十数えてから窓を開けてくださいね。そのあいだにわたしたちは茶屋に戻ります。これは遊びですから、くれぐれも無理をなさらないでください」
「街でも棺桶体験というのがあるけれど、まさかここでやるとはねぇ。さ、それじゃ、わたくし死にますわよわよ」
 棺桶の中でシュラフにもぐりこみ横たわる客に向かい、周りを囲んだわたしとバイトは合掌し、ふたを閉めた。
 
    *
    
いまでは先代から引き継いだ時に看板にラベルライターでたした小さなデイサービスとは桁違いのりっぱな看板が並んでいる。

        天 峠 
        空 茶 
        の 屋 
        棺

人気のアトラクションとなった。
 一夜一箱限定の天空の棺。
 世界一予約の取れない棺として有名である。計画段階で棺桶だったが、計画を知ったデイサービスの面々が、「おけってのが昭和っていうか、古臭いねぇ」と言い出し、「エジプトの王のひつぎとかいうほうがなんか格式高いよね」ということで、棺となった。
 類似施設も増えたが、観光協会やロープウェイ会社が「天空の棺」を商標登録してくれたのでこの名前を使っているのはここだけだ。
 いまでは、星だけではなくロープウェイの運行が止まらなければ、雨の日や雪の日のオーダーにも応じることができる頑丈な棺だ。
 当初は星見を念頭にしていたので、全体を透明のアクリルで作ったこともあったのだが、存外受けがよくなく、もとの棺桶に戻った。蓋の開閉も音声認識だし、万が一のことを考えて、客の脈拍や呼吸を茶屋でモニターできる。
 セレモニーとしての完成度も増している。通常、客は茶屋で最後の晩餐を済ませ、棺に向かい、囲まれたスタッフにより合掌を受けるとふたが閉められる。さらなる「らしさ」を求める客には、麓のロープウェイの職員が黒服で迎え、ロープウェイが通過する山肌にライティングを施すなど様々なオプションをつけることができる。もちろん、有料だが、けっこう人気があるようだ。
 需要が増えたころ、デイサービスの面々が「あんちゃん、裏の庭に棺桶並べたらどうかね。わしらも手伝うし」と提案してきた。
 パートナーと並んで棺に入りたという需要もあったので、裏庭に昼間でも使えるような簡易型の物を並べ、運営はデイサービスの面々に任せている。注文が入ると、デイサービスの面々だけではなく、その場に居合わせた客まで参列者に仕立てて、面白がってごっこ遊びをしている。
 裏庭を開放する前に、先代が用意していた材で崖へのアプローチを塞ぐ柵を作った。万が一を考えて、崖の下に張りだすようにネットを張った。無理やり飛んでも、引っかかる。崖の上から覗いても樹々に隠れて見えないが、絶対に死なない。死ねない。死なせない。
 今も年に一人、二人引っかかる。
 引っかかると警報が鳴るので見に行くが、イノシシやシカなら放っておく。人なら、断りもなく他人の家の裏庭で勝手に飛んだのだから放っておけば良いのだが、救助隊を呼んで引き揚げてもらう。
 そのうち「イノシシもシカも命としては同じです、かわいそう」とバイトの子が泣くし、人が引っかかるたびに救助隊にかかる負担も少しでも減らそうと、簡易型の荷揚げクレーンを設置して、いまに至っている。
 あるとき「いつぞやは兄がお世話になりました」と先代の弟がやってきた。
「ここが兄の終の棲家ですか。兄が最後に見た景色が見たくて」
 草っぱらの棺桶ごっこを見学しながら、「あのクレーンは」と聞くので、説明すると、「なるほど。お客さんがいなくなってからでけっこうですから、兄を崖から吊り下げてやっていただけませんか」と、小さな額に入った写真を差し出した。
 先代の葬儀の際に弟に渡した先代のノートに「彼らが飛び込んだ崖の景色はどんなものだったろうか。見てみたい気もする」と書いてあったという。弟は、山で遭難した人のことを言っているように解釈しているようだが、そうでないことはわたしにはわかった。
 額の写真はわたしが知る先代よりもずっと若く知らない人だった。道具を探すふりをしてわたしは写真をもち、閉めずの扉を開けて草っぱらにでた。弟に手伝ってもらいながらクレーンの先にひっかけて、先代を谷底へとおろした。
「供養に、一晩吊るしてやってください」
 先代は閉めずの扉からでていった人たちの見た景色を身をもって体験し、ニヤニヤしているにちがいない。(完)

       *
       
ところで、これがまた新たな話を生んだことは、別に機会に話すことにしよう。
 もしお待ちになれないということならば、[天空の棺]で検索。(つづく)


#デイサービス #天空の棺 #天空 #峠の茶屋 #創作大賞2022

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