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本日の「原付テケテケ散歩」

自宅から北へ向かい千葉街道に入り江戸川を越え、市川、本八幡、と進み、鬼越(おにごえ)で木下(きおろし)街道に。鎌ヶ谷を越え国道464に入り成田方面へ。
印旛沼の端っこを越えたあたりで左折してくねくねと進み、千葉県立暴走ではなく房総のむらにある風土記の丘を目指した。
片道52キロ、2時間30分ほどのテケテケ。
天気は良かったが、切る風はまだ冷たさを感じた。


龍角寺101号墳
龍角寺101号墳

お目当ての龍角寺101号墳を見た後、すぐ近くの岩屋古墳へ。101号墳は円墳で、岩屋古墳は国史跡の方墳である。岩屋古墳は登っちゃだめよとは書いてなかったので、登った(埋葬者のかたがた、ごめんなさい)。なかなかの眺望である。頂点には三角点と古木の桜が二本。まだ数えるほどの開花。満開になればそれなりに風情があるかと。

岩屋古墳

風土記の丘資料館を見学し、古墳群の名称由来となる龍角寺まで龍角寺古墳群の縁をテクテク散歩。

古墳広場。古墳(右の高まり)に根付いた桜がほぼ満開だった。
これ、千葉県です。
龍角寺へ向かう道の途中にある浅間山古墳。頂に祠があり、参拝階段も。


この古墳群は土饅頭の大きいのがポコポコポコとあるといった風情。まさに古の墓場。ちなみに、こちらは「お墓ですから登っちゃダメ!」と注意書きがあった。

龍角寺は、いまは小さな堂のみ。本尊は重文とのことだがお姿は見えない。金堂跡の後ろに三里塚(御料牧場?)から移設された「資料庫」があった。そういえば、101号墳の近くには、学習院初等科正堂が移設されていた。
古墳時代より、連綿と王家とのつながりがある土地柄なのか?

龍角寺金堂跡
101号墳近くの学習院初等科正堂

資料館に展示されていた土偶が可愛かった。
古墳に添えられた埴輪は「ヒト」だが、縄文の土偶は、形こそ人型だが「ヒト」なのか? 土偶がヒトならぬものを描いたとしても、時代が下るにつれて、奇天烈さが失われたのはなぜなのか? 興味深い。

風土記の丘資料館展示の土偶
風土記の丘資料館展示の土偶



次は、埼玉古墳群かな?

蛇足 テケテケの途中で見かけて驚いた「言葉」。

まずは鎌ヶ谷大仏駅踏切近くでみつけたキャッチコピー、
「日本一小さい大仏のある駅のパワースポットガールズバー」
ガールズは皆さん螺髪?

次に難解地名、
「神々廻」
白井市の字とのことだが、さて、何と読む?

最後におまけ、
中山競馬場近くの北方十字路。今日の今日まで、「きたかた」と思っていたのだが、なんと、「ぼっけ」なんですと。

ドングリだらけの道。クマがいなくて幸い?

[2024.04.02. ぶんろく]

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