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井の頭公園の散歩(21)「新美の巨人たち」

 ご覧になった方もいると思います。2023年2月4日、テレビ東京の「新美の巨人たち」で「井の頭恩賜公園」が放送されました。俳優の中村雅俊さんの案内で、井の頭公園の誕生秘話や井の頭自然文化園のアジアゾウはな子、北村西望の彫刻園のことなどを取り上げていました。井の頭公園ファンとしてはうれしい番組でした。ぶんしん出版も写真を何枚か提供し、協力者として名前が載りました。ただ気になったのは、実業家の渋沢栄一と東京市職員の井下清との2人の連携で井の頭恩賜公園が誕生したようなシンプルな構成になったところです。

 東京市議会が井の頭地区に公園を設置する「郊外公園設置ニ関スル件」を議決した1913年(大正2年)の4年前の1909年(明治42年)3月、東京市は公園改良委員会に対し井の頭付近に郊外公園を設置する調査を命じています。この委員会は明治神宮の森を造った本多静六など5人の識者で構成され、主に既存の公園の改良設計などに従事していました。井の頭付近の郊外公園調査を命じられた3カ月後「井ノ頭御料地ヲ市外公園地トスルノ件意見書」が提出され、「本地ハ市外公園地トシテ適当ナリ」と結論付けています。同じころ渋沢栄一も1905年(明治38年)御殿山に開設した、浮浪少年の感化教育をする東京市養育院感化部井之頭学校の拡張や、この地に公園ができれば養育院の子供たちの働く場所もできると、御料地の下賜について奔走していました。

 この東京市と渋沢栄一の二つの流れが合流して皇室を動かしたようです。そしてダメ押しとして、養育院のため下賜に奔走してきた渋沢栄一と、宮内省との折衝に尽力した渋沢栄一の娘婿で当時の東京市長の阪谷芳郎と、井の頭公園設置計画をまとめた東京市の公園行政の若手俊英の井下清の連携があり井の頭恩賜公園が誕生したようです。この井下清はその後「公園の井下」と呼ばれています。「日本で初めての郊外公園」となった井の頭公園開園に力を注いだだけでなく、今年(2023年)開園100周年を迎える「日本で初めての公園墓地」となった多磨霊園(当時は多磨墓地)を設計したことでも知られています。やはり先見の明がある凄い公園行政マンであることは間違いありません。

(参考文献『井の頭公園』前島康彦、『恩賜公園の誕生』篠崎佑太、『井下清と東京の公園 緑に生涯をかけた彼の哲学』東京都公園協会)


ぶんしん出版+ことこと舎便りVol.21 2023/2/16」掲載

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