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「民主主義の危機」慶應義塾大学・総合政策学部2020年

ko(1)問題

 いま世界は大きな変動期に突入しています。それは、これまで当然のこととされてきた前提の多くが、流動化していることに起因しています。直面する問題の多くは従来型の解決を受けつけないものも多く、新たな発想が要求されています。多くの人たちは、民主主義は大局においては後退しないものと考えてきました。また多様性に対する反発は過去の遺物で、世界は多様性を許容する方向に進んでいると楽観視してきました。技術の進展についても、インターネットを介して人々がつながることが悪いことであるはずはなく、情報のソースの多元化は民主主義の深化につながると信じてきました。しかし、こうした前提を当然視することができなくなっている状況を前に私たちは戸惑っています。慶應義塾大学総合政策学部は、問題を発見し、解決することを軸に、教育・研究を実践しています。しかしながら、問題を「発見」はできても、すべての問題を「解決」できるとは限りません。すべての問題にパズルのような「正解」があるとは限らないからです。ある種の問題は、押し寄せる波を上手く乗りこなすようにしか乗り切れない場合もあります。また問題そのものが何かを特定することに大きな困難を伴う場合も想定できます。こうした「不確実性」は、世界が流動化している状況の中で高まっているとさえいえます。総合政策学部は、そうした状況に向き合った時、その状況をどう概念化し、その状況にどう働きかけ、最終的には問題状況をどう克服し、さらに次の問題が発生することを予測しつつ迂回する、そういう態度と思考を身につけていく場です。問題発見、そして解決という不断のループの中で、自分が担える役割を模索していく場ともいえます。問題の後にある資料は、いずれも現代の世界が直面する問題状況について論じたものです。それはいずれも楽観的な世界観を退けるもので、「こうなるはずではなかった」という失望感や危機感が強く現れています。問題はそれぞれ個別ですが、相互に繋がりを有しています。その繋がりを意識しながら資料を読み、問題に答えてください。題材は、気が滅入ってしまうものが多いですが、すべては事象をリアルに認識することからはじまります。

【問題】
(1)  資料1と資料2は現在進行している民主主義の後退が、一過性の出来事ではない可能性について論じています(図表1も参照)。その他の資料で論じられているのは、それを引き起こしていると見られる、いま世界が直面する「歪み」です。なぜ「民主主義の後退」と呼ばれるような事態が、いま世界的に起きているのか、資料1~5を関連づけながら400宇以内で論じてください。


(2) 資料3は、「日本の政策に賛成するかどうかは別にして」と断っているにもかかわらず、事実上、閉鎖的な国家のあり方を肯定しているようにも読めます。日本は世界が直面している多様性の問題にまだ本格的に向き合っているとはいえません。日本は、これから多様性が提起する問題に向き合いながら、開かれた共同体を形づくることができるのか、図表2、3、4のデータを参考にしつつ、200字以内で論じてください。


(3) 資料4では「民主主義はテクノロジーに合わせて設計はされていない。これは誰の落ち度でもない」と明言しています。それははたして正しいのでしょうか。ソーシャル・メディアが公共空間のあり方をどのように変容させたのかを、資料5で論じている情報伝播の特性を踏まえつつ、200宇以内で論じてください。その際に、公共空間とは何かを自分なりに定義してから議論をすすめてください。


(4) いずれの資料も民主主義が危機的状況にあることを論じていますが、資料5を除けば英語圏の資料であり、日本の状況にそのままでは当てはまりません。各資料を目本に引きつけて読み直した場合、日本の民主主義の状況をどう診断できるか、400宇以内で論じ
てください。

資料1

① いま、民主主義はこのように死んでいく。今日の世界では、ファシズム、共産主義、あるいは軍事政権などによるあからさまな独裁はほぼ姿を消した。軍事クーデターやそのほかの暴力的な権力の奪取はきわめてまれであり、ほとんどの国では通常どおり選挙が行なわれている。それでも、民主主義は別の過程を経て死んでいく。冷戦後の民主主義の崩壊のほとんどは、将軍や軍人ではなく、選挙で選ばれた政治家が率いる政権そのものによって惹き起こされてきた。
(・・・)

② 民主主義研究の第一人者である政治学者ラリー・ダイヤモンドは、世界が民主主義の後退期に入ったと論じている。冷戦が終結したあとの数年に比べると、民主主義を取り巻く国際的な状況が悪化しているのは一目瞭然だ。1990年代、欧米の自由民主主義は他の追随を許さないほど圧倒的な軍事的、経済的、イデオロギー的な力を誇り、欧米式の民主主義は「唯一無二のもの」だと広く認められてきた。しかしそれから20年がたち、世界の力のバランスは変わった。EUと米国の世界的な影響力は衰え、中国とロシアはますます力を増してきた。ロシア、トルコ、ベネズエラといった国で新しい独裁主義モデルが生まれたことによって、現在の民主主義はかっての勢いを失ったようにも見える。だとすれば、アメリカがいま直面している危機は、世界的な後退の流れの一部なのだろうか?

③私たち著者はそのような考えには懐疑的だ。ドナルド・トランプが大統領に当選するまで、世界的に民主主義が後退しつつあるという考えは実際よりも誇張されて伝えられていた。21世紀はじめ、国際的な民主主義はより不利な状況へと追い込まれていった。しかしそれらの難題をまえにしても、既存の民主主義はきわめて堅牢であることが証明されてきた。実際、世界の民主主義国家の数は減っていない。むしろ2005年ごろにピークを迎え、その数は現在までずっと安定してきた。ハンガリー、トルコ、ベネズエラのように民主主義が後退した国は、新聞の見出しを飾って大きな注目を集める。その陰で、コロンビア、スリランカ、チュニジアなどここ10年のあいだにより民主的に成長した国があるのも事実だ。さらに重要なことに、アルゼンチン、ブラジル、チリ、ペルー、ギリシャ、スペイン、チェコ共和国、ルーマニア、ガーナ、インド、韓国、南アフリカ、台湾など、世界の民主主義国家の圧倒的大多数は2017年までその体制を維持してきた。

④ 西側の民主主義の多くは近年、国内で信頼の危機にさらされてきた。弱い経済、EU懐疑論の高まり、移民排斥を訴える政党の台頭など、西ヨーロッパの状況には心配の種ばかりが目立つようになった。たとえば、最近のフランス、オランダ、ドイツ、オーストリアの選挙での極右政党の躍進によって、ヨーロッパの民主主義の安定性についての不安感が広がった。イギリスでは、ブレグジット(EU離脱)の議論が政治を大きく二極化した。2016年11月、ブレグジットを進めるためには議会の承認を必要とするという決定が裁判所で出されると、『デイリー・メール』紙はドナルド・トランプの過激な言葉を模倣し、裁判官たちを「国民の敵」と呼んだ。さらに、保守党政権がいわゆる「ヘンリー八世条項」を引き合いに出し、議会の許可なしでブレグジットを推し進める可能性を模索しはじめると、保守党の新人議員を含めた多くの専門家が大きな懸念をあらわにした。しかしこれまでのところ、西ヨーロッパにおける基本的な民主主義の規範はほとんど失われていない。

⑤ その一方で、トランプの台頭は、世界規模の民主主義にさらなる危機をもたらすものかもしれない。ベルリンの壁崩壊からオバマ政権が終わるまでのあいだ、米国政府は大々的に民主主義を促進する外交政策を保ってきた。(・・・)

1990年から2015年のあいだの期間が、世界の歴史のなかでもっとも民主的な四半世紀であったことはまちがいない。その要因のひとつは、欧米の大国が広く民主主義を支持したことにあった。いまでは、それが変わろうとしている。ドナルド・トランプ政権下のアメリカは、冷戦後はじめて民主主義の促進者としての役割を捨てようとしているかに見える。トランプ大統領は、ニクソン以来のアメリカ大統領のなかでもっとも親民主主義ではない人物である。くわえて、アメリカはもはや民主主義のお手本ではなくなった。メディアを攻撃し、対立相手を逮捕すると脅し、選挙の結果を受け容れないとまで言い出す人物が大統領を務める国が、民主主義をしっかり護ることなどできるはずがない。既存の独裁者も将来の独裁者たちも、ホワイトハウスのトランプとともにさらに勢いを増していくはずだ。世界規模で民主主義が後退しているという考えは、2016年以前にはほぼ神話でしかなかった。しかし近年のEUの危機、中国の台頭、そしてロシアのより好戦的な態度と相まって、トランプ政権はその神話を現実のものに変えてしまうかもしれない。トランプ政権はその神話を現実のものに変えてしまうかもしれない。
文献(一部編集・改変):スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラっと[濱野大道訳](2018年)『民主主義の死に方―二極化する政治が招く独裁への道』新潮社(Kidle版)。
How Democracies Die by Steven Levitsky and Daniel Ziblatt Copyright Ⓒ 2018 by Seven Levitsky and Daniel Ziblatt Japanese reprint arranged with Baror International, Inc, Armonk, NY through Tuttle-Mori Agency lnc, Tokyo

資料2

① 西洋の理念は、これまでずっと絶大な成功を収めてきた。しかし、いまその理念が深刻な窮地に陥っている。米欧の西洋の中心地と、1970年代から真の西洋の中心地になった日本で、衰えの兆しが見えはじめている。経済の失策と失望からはじまった衰退は、高齢化と活気を失った人口動態へと変わり、国際問題への影響力行使に対する無力感になる。この兆しとその奥に潜む病が、国家間や各国内であらたな分断を引き起こし、1945年以来、西洋諸国が何十年もかけて築き、私たちの団結力と弾力性を強めてきた国際協調体制に亀裂を生じさせている。いまは悲観的な時代、分裂の時代、古いナショナリズム再燃の時代なのだ。20世紀前半にこういった勢力が招いた結末を知っているだけに、悲観と不吉な予感はいっそう強まる。ドナルド・トランプに票を投じた人々や、2016年のブレグジットに賛成した人々の多くが、いまは同じ凶兆を感じているにちがいない。彼らは、エスタブリッシュメント1と体制が自分たちを裏切ったと思い、怒りの叫びとして票を投じただけで、トランプが表明している案や、ブレグジットがもたらす状況をかならずしも支持しているわけではない。
(・・・)

1:「エスタブリッシュメント」とは、既成の秩序や体制の側に立ち、権力や支配力をもつ階級や集団の意。

② 福祉国家は、それ自体が目的なのではない。むしろ目的は、安心感と帰属意識を損ねずに変革を行なえるようにし、国全体が進歩をつづけられるように、信頼、公平性、社会正義が充分に存在するという意識を醸成し、財政のバランスを図って求められる公共財と私的財を提供することだ。
(・・・)

③ 西洋で最近見られる不平等が重大であるのは、苦境のときも好況のときも国をまとめている社会と政治の接着剤を腐食させるからだ。しかし、一部の人間がその他の人間よりも大金持ちであることが腐食の原因だというような、単純な話ではない。もちろん、妬みという政治問題は存在するが、それだけが優勢なのではない。あらゆる形の不平等が、開かれた民主的な社会の基本原則に手痛い打撃をあたえ、その核心である発言権と公民権の平等が損なわれるために、腐食が起きるのだ。

④ さまざまな集団の握っている権利が大幅に異なり、集団を変化させて地位を改善する明確な手段がないと、システム全体の信頼が損なわれる。そもそも、この政治と社会のレベルでの不平等問題では、公平性が重要なのだ。だから、人生でぶつかる障壁がどんなふうで、どういう権利と機会の不平等に直面していて、不公平だと感じているかどうかを、重視しなければならない。だれかがひとよりもサッカーが上手だとか、優れたバイオリニストだとかいうようなことで、不公平だと思うのとはちがう。システムが仕組まれていて能力があるのに相応の報奨が得られない、という不公平感の類だ。一所懸命働いても、自分も子供も公平な扱いを受けられないと感じることが、信頼をもっとも激しく蝕む。

⑤これまでは、現在の民主主義国の多くが、そういう基本的な不公平に何度も取り組んで、是正してきた。いまもそういう措置が必要とされている。開かれた社会を支持する議論が勝利を収めるためには、平等の理想像をあらたに打ち立てるか、せめて回復しなければならない。
文献(一部編集・改変):ビル・エモット[伏見威蕃訳](2017年)『「西洋」の終わリ―世界の繁栄を取り戻すために』日本経済新聞出版(Kindle版)。
The Fate of the West by Bill Emmort Copyright ⒸBill Eimmott, 2017 Japanese
Reprint arranged with the author through Tuttle-Mori Agency, Inc, Tokyo

資料3

① 経済的な吸引力が原因だというのなら、現在の日本に西洋から空前の移民の波が押し寄せていない理由がない。2016年の名目GDPを基準にするなら、日本はドイツや英国をしのぐ世界第三位の経済大国だ。しかし欧州のどの国をも上回る経済力を持ちながら、もちろん日本は移民をせき止め、居残りを思いとどまらせ、外国人が日本国籍を得ることを難しくする政策を実行することで、大量移民を防止してきた。日本の政策に賛成するかどうかは別にして、この高度につながり合った時代においても、現代の経済国家が大量移民を防止することは可能であること、またそれが「不可避」なプロセスではないことを日本は示した。(・・・)

② 日本が厳格な移民規制を敷いているからといって、それゆえに野蛮な国だと主張する者はほとんどいないだろう。いずれにせよ、移民の流入は止めようがないなどと考えるのは、単に正しくないからだけではなく、不満が蓄積されるがゆえに危険である。

③ 西欧では長年、移民の問題は大衆が懸念する事項の最上位にあった。それぞれの国の世論調査では、この問題が一般国民にとってほとんど最優先の関心事であることが一貫して示されている。国民の大多数が長年感じている懸念に何の解決策も採られないなら、間違いなく不満と怒りが積みあがるだろう。その対応が単に懸念を無視することだけでなく、手を打つことは不可能だと論じるものであったなら、その時には過激な代替案が醸成され始める。うまくすればそうした懸念は選挙で表現されるだろうが、悪くすれば街頭で表面化しよう。他の問題が、ことにこれほど大衆の懸念事項の上位にある問題が、「できることは何もない」という対応で済まされることなど、とても考えられない。
(・・・)

④ 多文化主義は失敗したという論争は有益ではあったものの、「多文化主義は失敗した」という所説が何を意味するのかは当時から不明確だった。そもそも「多文化主義」という言葉自体が、人によってまったく違った意味に受け取られる。長年の間、そして多くの人々にとっては今でもそうだが、この言葉は「多元主義」と同義だと考えられていた。あるいは単に民族的に多様な社会で暮らすという現実のことだと。「多文化主義に賛成する」と公言するのは、ある場合には、背景の異なる人々が自国にいても気にしないという意味だった。またある場合には、いずれはすべての社会が巨大な文化のるつぼになると公言しているという意味だった(あらゆる国に「ミニ国連」ができるという発想だ)。
(・・・)

⑤ 彼ら[多文化主義に懐疑的な欧州の首脳たち]が批判したのは国家の政策としての特殊な「多文化主義」だったのだ。すなわち同じ国の中で移民たちが平行的な暮らしを送ることを――とりわけ居住国のそれと相容れない習俗や法の下で暮らすことを――国家が奨励するという考え方である。上記のような欧州の首脳たちは、同一の法の支配や一定の社会規範が全員に適用される「ポスト多文化社会」を目指しているように見えた。
(・・・)

⑥ 著名な米国の政治哲学者サミュエル・ハンチントンが、著書の中で「多文化主義は本質イデオロギー的に欧州文明に敵対的であり、基本的に反西洋的なイデオロギーだ」と述べたのは、それが一番の理由だった。
(・・・)バッサム・ティビは、欧州諸国は多文化主義の政策を脱し、核心的な文化、あるいは「主導文化(ライトクルテュール)」2を擁護する政策へと転換するべきだと説いたのだ。

2:ここで「主導文化」とは、一定の共通するテーマのもとに背景の異なる人々を結束させる文化の意で用いられている。
文献(一部編集,改変):
ダグラス・マレー[町田敦夫訳](2018年)『西洋の自死―移民・アイデンティティ・イスラム」東洋経済新報社(Kindle版)。

資料4

① 来たる数年のうちで、私たちが知る民主主義と社会秩序はテクノロジーに破壊されてしまうのだろうか、それとも政治がデジタル世界を従えるのだろうか。いまのところテクノロジーがこの戦いを制しつつあるのは、日を追うごとに明らかになりつつある。足腰が衰え、弱体化した政治をテクノロジーが押しつぶそうとしている。(・・・)テクノロジー革命はまさに始まったばかりだ。今後数年のうちにデジタル・テクノロジーはさらに劇的な進化を遂げていくだろう。これまでの進化のペースを踏まえれば、一世代もしくは二世代のうちに、民主主義とテクノロジーの矛盾など、もはや誰も意に介さなくなってしまうのかもしれない。
(・・・)

② しかし、テクノロジーと民主主義―いずれも壮大なシステムではあるが、根っこのレベルではやはり水と油の関係にある。両者はまったく異なる時代の産物で、それぞれ独自のルールと原理に基づいて機能している。民主主義は、国民国家や階級社会が整いつつ、社会への恭順が生まれ、経済が工業化された時代に制度化されてきた。だが、デジタル・テクノロジーの基本的特徴は、地理的な広がりとは無縁で、むしろ分散的であり、データに基づいて駆動し、ネットワーク外部性の影響下に置かれ、指数関数的な成長を遂げる。はっきり言おう。つまり、民主主義はテクノロジーに合わせて設計はされていない。これは誰の落ち度でもない。
(・・・)

③ パイオニアたちが築くテクノロジーはどれもすばらしい。だからこそ、ますますテクノロジーを潜在的に危険なものにしてしまう。一八世紀のフランスに生きた革命家とまさに同じで、彼らもまた平等という、観念的な原理に基づく世界を構築できると信じていた。現代の夢想家は、コネクティビティーとネットワーク、プラットフォームとデータに決定される社会を絶えず夢想している。ただ、民主主義も現実の世界も、こんなふうには動いてなどいない。民主主義はもっと緩慢で、検討に次ぐ検討を重ねていくものであり、具体的な物事を土台にしている。デジタルではなくアナログなのだ。それだけに、人々の現実や願望に反する未来像は、いかなるものであれ、思いがけない不幸をもたらす結果になってしまうだろう。
(・・・)

④ シリコン・バレーでは、[カナダの文明批評家]マクルーハンはいまだにインスピレーションの源泉だ。独創的発想の指導者の一人にして、テクノロジー革命の知的なロックスターの一人なのだ。パロ・アルトやマウンテンビュー、クパチーノ界隈では、いまだに“グローバル・ビレッジ"がこだましている。「グローバル・コミュニテイー」「トータル・コネクテイビティー」と話しているのを聞くたびに、そこに現れているのはマクルーハンの亡霊だ。「さまざまなバックグラウンドを持つ人たちが容易に結びつき、その考えをシェアできるようにすることで、短期間はもちろん、長期間に及ぶ争いをなくしていける」と[フェイスブックの創業者]マーク・ザツカーバーグは、創業したばかりのころ、自身のサイトに書き込んでいた。マクルーハンは偉大なる預言者だった。あまりにも賢明なので、言い逃れができる道など残しておかなかった。すべての人があまねく結びついた世界においても、争いと不調和が生じるかもしれないと語っていた。なぜなら、四六時中、情報化されたもとで人々は混乱に陥り、その結果、大規模なアイデンティティー・クライシスに火がついてしまう。「今日私たちが知るような民主主義政治が終わりを迎える日――」。一九六九年、雑誌のインタビューにマクルーハンはそうこたえた。「電子メディアによって、人類が部族ごとにまとまるにしたがい、私たちは一人残らず、あわてふためく臆病者になりはて、以前のアイデンティティーを探し求めて、狂ったようにあたりをかけずりまわり、その過程でとてつもない暴力が解き放たれていく」。
(・・・)

⑤ マクルーハンが予言したように、私たちはいま、政治的にふたたび部族として結束する日々を生きている。部族としてふたたび結束と私が言ったのは、部族的な忠試心とアイデンティティーは、現代の政治よりも、はるかに長い時代にわたって人類の存在を特徴づけてきたからだ。数々の内戦を通じ、私たちは、集団に帰属する必要性が人間に深く根差していることを十分すぎるぐらい学んできた。(・・・)シリコン・バレーの連中は、全情報によるグローバル・ビレッジとコネクティビティーを探す能天気な冒険の途上、近代の間接民主主義が作り上げた檻から、それと気づかずに部族主義を解き放っていたのである。
(・・・)

⑥ こんな状況に至った理由の大半は、テクノロジーというより、人間の弱さに由来するので、なんでも巨大テクノロジーのせいにするのはフェアではない。たしかにテクノロジーで人間の弱みは加速されるとはいえ、その責任は人間にある。インターネットが出現する以前の日常を理想化してはならないだろう。人間はかならず群れるものだし、政治はつねに対立してきた。
文献(一部編集・改変):ジェイミー・バートレッと[秋山勝訳](2018年)『操られる民主主義―デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか』草思社(Kindle版)。

資料5

① どのような話題の誤情報が拡散しやすいのかを調べたところ、政治に関する話題が圧倒的に多く、次いで都市伝説、ビジネス、テロと戦争、科学と技術、エンターテイメント、自然災害の順でした。また、誤情報がリツイートされる確率は事実と比べて70パーセント高く、誤情報をリツイートする傾向は、年齢やフォロワーの数などのユーザの特徴にはよらないことがわかりました。興味深いことに、誤情報の拡散にはボット3よりも人間の影響が大きいことがわかりました。同研究グループは無作為に抽出したツイートの内容を分析して、拡散される誤情報の内容についても調べました。その結果、誤情報に対する反応には「驚き」や「恐れ」や「嫌悪」などの感情を表す言葉が含まれている割合が高いのに対し、事実に対する反応には「悲しみ」や「不安」、「喜び」、「信頼」などに関わる言葉が多く含まれる傾向がわかりました。
(・・・)

3:ここで「ボット」とは、外部からの命令に従い悪質な動作を行うことを目的とした自律プログラムの総称の意で用いられている。

② ソーシャルメディアを利用していると、自分と似た興味関心をもつユーザをたくさんフォローし、結果的に、同じようなニュースや情報ばかりが流通する閉じた情報環境になりがちです。意見をSNSで発信すると、自分とそっくりな意見ばかりが返ってくるこのような状況を「エコーチェンバー(echo chamber)」といいます。閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえているのです。(・・・)また、エコーチェンバーの中にいると、自分とは違う考え方や価値観の違う人たちと交流する機会を失ってしまうので、自分とは異なる視点からの意見やデマを訂正するような情報も入ってこなくなってしまいます。エコーチェンバーは、意見の対立や社会の分断を生む環境でもあります。ソーシャルメディアとの関係で議論されることが多いエコーチェンバーですが、この考え方はSNSが登場する以前からあったことが知られています。ジャーナリストのデビッド・ショーが、1990年にピューリッツァー賞を受賞した著書の中でこの言葉を用いています。また、2001年にハーバード大学のキャス・サンスティーンが、著書『インターネットは民主主義の敵か』の中でエコーチェンバーについて言及し、民主主義の根本に関わる問題だとしています。そして、ソーシャルメディアの発達とともにエコーチェンバーがより顕在化し、問題を一層深刻にしているのではないかと言われています。多様なアイデアを醸成し、新しい価値を生み出す集合知のプラットフォームの役割を期待されてきたソーシャルメディアに、今、エコーチェンバー幇助(ほうじょ)の容疑がかけられています。
(・・・)

③ 偽ニュースが拡散しやすい情報環境を生み出すもう一つの要因が「フィルターバブル(filter bubble)」です。フィルターバブルとは、ユーザの個人情報を学習したアルゴリズムによって、その人にとって興味関心がありそうな情報ばかりがやってくるような情報環境のことです。これはインターネット活動家のイーライ・パリサーが、著書『閉じこもるインターネット』の中で提唱した概念です。ユーザが情報をろ過する膜の中に閉じ込められ、みんなが孤立していくイメージに基づく比喩です。
(・・・)

④ ソーシャルメディアでは情報の質そのものよりも、クリック数やシェア数などの広告収入につながるものを高く評価する仕組みになっています。こうした仕組みは人々の認知バイアスを巧みに利用し、結果的に誤解や対立もしくはその両方を生み出しています。そして、パーソナライゼーション技術を駆使して人物像を特定し、ますますプラットフォームに依存する状況をつくり上げています。アルゴリズムによって最適化された世界は、意図的な操作や政治的プロパガンダ、ターゲティングに対して脆弱(ぜいじゃく)です。(・・・)そもそも、ユーザは個人情報を差し出し、プラットフォームはターゲティング広告で儲ける」というビジネスモデルが、個人情報の取り扱い方の問題も含め、情報生態系の持続的発展に利するのかどうかを考え直す時期にきているのではないでしょうか。
文献(一部編集・改変):笹原和俊(2019年)『フェイクニュースを科学する―拡散するデマ、陰謀論、プロパガンダのしくみ』化学同人(Kindle版)。

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(2)解答例


(1)

 民主主義とは、開かれた公共の場で、自立した個人が時間をかけて議論をし、多様な意見をまとめ上げて合意を形成するプロセスのことである。しかし、グローバリゼーションとソーシャルメディアの進展はこのような民主主義を機能不全に陥らせている。グローバル化によって国際競争が激化した結果、格差が拡大した。こうした状況下で人々の不安をトランプなどの政治家は巧みに利用した。社会経済的な問題の原因を移民などのマイノリティーに移し替え、「敵」を攻撃することで人々の不安をそらす政治手法を採る。ポピュリストのこうしたやり方は国民に分断をもたらし、民主主義を大きく後退させた。
 開かれたメディアであるはずのS N Sは、共通の政治的志向を持つ人たちの閉鎖的な空間を作り上げ、自由な言論を抑圧する。そして相互批判的な議論ではなく、同調意見を反響させることで社会的弱者に対する憎悪を増幅させて、いきおい排外主義を加速させた。(399字)

(2)

 総人口が減少するなか労働人口の不足を補うために日本は外国人労働者を受け入れてきた。しかし多くは短期の技能実習生や留学生のアルバイトなどで、単身者が多く家族帯同は制限されてきた。外国人には選挙権がなく、一部の自治体を除いて公務員についても外国人は排除されている。日本政府はあくまでも補完的な労働力として外国人に期待しているというのが実状であり、外国人に対する人権面での配慮が不十分である現状において日本が開かれた共同体を形成するのは困難である。(200字)

(3)

私的な利害関係を超えて公益についての意見を交換する公共空間において、少数意見の尊重により多様性が担保されることが民主主義を機能させる条件となる。本来、自由な議論と多様性の上に成り立つはずのネット空間が、人間の承認欲求を取り入れたSNSの制度設計とターゲティングのために情報のスクリーニングが行われた結果、少数意見が埋没し多様性が毀損されているネット空間では、デザイン自体に民主主義を封殺する特徴を持つ。

(200字)

(4)

民主主義は主権在民を特徴とする。ここで規定される民を狭義の国民に置く限り、外国人は主権者には含まれない。しかし、基本的人権は本来外国人に対しても保障されるものである。したがって外国人に対しての人権を配慮することが、日本における民主主義の成熟度を測る目安となる。しかし、現状では技能実習生に対して最低賃金が保障されず、転居、転職の自由はなく、劣悪・悪質な職場環境が多いことが原因で脱走する者が後を絶たない。
さらには在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチも社会問題となっている。ソーシャルでは、ネトウヨと呼ばれる人々が排外的な言論を主張している。国内でも格差が拡大し、人々の不安や不満は、外国人ばかりでなく、より社会的に弱い人に向かい、スケープゴートにしている。民主の「民」に外国人を含めたわれわれ意識を醸成しない限り、日本の民主主義は後退の一途をたどる。(394字)

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