わが青春想い出の記 33 無事大学卒業

 わが人生想い出の記 33 無事大学卒業

 昭和35年3月25日、無事卒業式を終えた。世話になった方々への挨拶も済み、予防注射も済ました。そして3月27日予定通り東京を発つため船の切符も買った。
 船は東京に来る時、帰りの船も日本海汽船㈱の白山丸で帰ることに決めていた。ところがいざ帰る段階になるとその白山丸は中国からの引き上げ船に回っていて、沖縄航路から外れていた。そこで関西汽船㈱の貨客船、銀河丸で帰ることにした。

 銀河丸は貨物も積むため、東京日の出桟橋を出て横浜港、更に神戸港に寄って荷物を積み、そこから沖縄へ向う航路である。そのため、船旅時間も少し長くなるが、その分東京出発時間を早めてあるため、那覇に着くのは3月30日に変わりはなかった。
あと一日寝ると東京を立つ。
東京よさようなら。またいつか必ず来たいと思う。もちろんその時は一人でなく最愛の人を連れてだ。

 自分はその夜、父母と洋子に予定通り帰ることを手紙に書き航空便で送った。洋子には「お前がこの手紙を読む頃、僕は神戸を出ているだろう。そしてその翌日には那覇に着くのだ。その時の喜び、人生の門出に与えられている最上の賜物、それを2人は残すことなく味わうのだ。

僕は時々想像する。僕の傍らにはいつもお前がいる。食事の後には2人は向かい合ってコーヒーを飲んでいる。一日の仕事が終ったら楽しい会話をしながら散歩しているだろう。想像すると切りがない。本当に早く帰りたい。

お土産も沢山買った。お前の喜ぶものばかりだ。だがお土産より何よりも、僕のからだをそっくり持っていく。待っててくれよ最愛の妻洋子。万事はそれからだ。それでは3月30日、那覇の港で会おう」と書いた。


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