選択と集中

日本は少子高齢化を迎えている。
我が街、土佐清水市では高齢化率、少子化共に30年先をいっている言わば「課題先進市」である。

ちなみに高知県は15年ほど先をいっている課題先進県というありがたくない称号を頂いている。その中でもトップ争いをしてしまっているのが我が市である。

ここで思い切って話を切替える。
少子高齢化において投資すべきはどこなのだろうか。
一般的には高齢者福祉に重点を置くべきなのだろうが、その様な倫理観は置いておいて投資の最大効率。薄い言葉で言えばコスパ(コストパフォーマンス)を求めるなら、むしろ私は児童福祉に投資するという選択があってもいいのではないかと考えている。

数が多いところにパラパラと投資するよりも、数が少ないところにズドンと投資する方がより高い効果を得られるのではないかという考えだ。

今回、新市長となった程岡新市長は今日から始まった一般質問においても児童求職無償化を来年度から始めると答弁していたが、これは非常にコスパの良い投資だと私は感じた。対象となる人数が少ないからこそ可能であり、もし、人数が多ければ財源不足で不可能となっていただろう。

近悦遠来。
その土地に住む人が活気に満ちていれば、黙っていても周辺地域から人は集まってくるという中国の言葉だ。

理想と現実。
誰かが優遇されて、誰かが我慢する。
ソレは本来はあってはならないコトだ。
しかし、無いものは無いのもまた事実。
財源がないなら作らなければならない。
借りるのではなく、生まなければいけないのだ。

そう考えた時、少子化というのは未来を支える働く世代、つまり納税者が少なくなっているというコトだ。
そして、子を持つ親、つまり今実際に経済を支えている納税者である働く世代の生活がキツイ。またそれと同時に働く世代が既に流出して残っている数が少ないというコトでもある。

働く世代が少ないと納税額は少なくなる。
そうなると市の財源は少なくなる。
Iターンだけではなく、本来ここで生まれたはずのUターンにも力を入れる為にも、未来の働く世代でもある子供が育てやすい、また、そこにしっかり投資がされている街であると言える程の実績が必要だ。

さらに言えば市内で働ける場所作りも必要になってくる。
以前、私がnoteに書いた毎年、起業グランプリを市主催で行い、実際に起業する際には幾らか投資し、未来の働き場所を作っていく事により選択肢が増え、なければ作る起業精神が育まれる街としてのPRにもなるのではないか。

私はこの街が好きだ。
だが、好きではどうにもできなくなる時代も私が死ぬまでに訪れる可能性が高いとも考えている。

私はこうしてアイデアを出したり、問題提起を発信する。
ソレを口だけどとかでは簡単に済まさずに、じゃ私がやると行動力で実行に移す人がいるといいなと思う。

知恵がある奴は知恵を出そう。
力がある奴は力を出そう。
金がある奴は金を出そう。
「自分は何にも出せないよ」っていう奴は元気出せ。

コレは松山千春が言ってた様な気がするが記憶は定かでない。ただ、いい言葉だ。

全部一人でやるんじゃなくていい。
熱を持って発信すれば、動く人は現れる。
そんな人が現れないってコトはまだまだ自分に熱がないってコトだから、最低限この言葉を借りるなら元気でいなけりゃいけないなと思う次第。

今回は長々と書きましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。
なにか動かす力になれば幸いです。

ほいたら、また。



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