はじめて小説をかいた

明日から本気出せばいいや 怠惰な私が小説をはじめて書いた

明日から頑張ればいいやと思って数年間

明日から頑張る…そう思い続けて早数年。私は小説を書きたいという夢がありながら、日々お菓子を食べてゴロ寝するという怠惰な毎日を送っていた。一緒に小説のコンテストに応募しようよと、誘った友達は書き上げて応募。私は書き出しの文章だけがたまっていく。それが自分の現状だった。

そんな私が一念発起して小説を二日間で書き上げるハッカソンイベントに参加した。なんと編集者もデザイナーもいる。同じチームで戦ってくれる。すごいイベントである。

このハッカソンに参加する際に「はじめて小説を書く人が書き上げられるようにサポートするイベントじゃないんだよ」「2日間で1万字を書き上げて読めるレベルに持っていくなんて普段書きなれてる人だって難しいよ」などいろんなことを言われたが、私は聞く耳を持たなかった。

書きたいテーマが、私にはあるのだ

なぜなら自分にはこのイベントに参加して書きたいテーマがあった。

それは「子どもをなかなか授からない夫婦」というテーマだった。

私自身も、子どもをなかなか授からないことに悩んだことが何年もあった。こんな風にふわっと書いているが、実際の体験はもっと壮絶だった。

実体験をベースにしつつも、フィクションというベールに包んで、なんとか人に届くかたちに仕上げたい、それがこのイベントに参加するきっかけだった。単なるドキュメンタリーではない小説というかたちで。

ドキュメンタリー(エッセイ)だと結末はバッドエンドになりがちだ。そんなに簡単な問題ではない。

そうではなくて、現実を無視した、ファンタジーと言われてもいいから希望が見える物語を書きたかった。

マンガでは、できなかったこと

私は普段はマンガを書いており、「成長教」という宗教に入った「夫」に焦点をあてている。

「成長教」に入った「頑張らねばいけない人」に向けて「頑張らなくてもいい、あなたはそのままでいい」というメッセージを発信し続けている。

(私は、生涯「自分、そしてパートナーを愛すること」をテーマにして物語を書き続けたいと思っている。)

成長教の中でも、私は子供を失った母親の姿を書いている。しかし、マンガという媒体の特性上、「言葉を端的に短く表現する」ということが求められており、この1コマでしかマンガでは表現することができなかった。


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はじめて書く小説のテーマとしては重すぎた

イベントでは、最初にプロットを出すという段階がある。私は社会課題から小説を書きたいと思い、就活、婚活、保活、終活といった人生の岐路でぶち当たる壁についての物語のアイデアやプロットを出した。しかし、私のやる気が透けて見えてしまったのか、「終活」「婚活」等、プロットを出した中で「妊活」特に子供を繰り返しお腹の中で失ってしまう話が、一番鬼気迫る、痛さが伝わるという評価を編集の方から得た。

書き始めたはいいものの、内容が「治療を続ける痛さ」「子どもを失う辛さ」という状況をひたすら文章で伝えるというものだった。すると、書いているうちに吐き気や痛みが私自身にまで発生してしまうという不思議な現象が起きてしまった。

2日で書き上げる内容でもなかった

2日で書き上げるイベントだったのだが、当日の夜7時前後にフェロー(イベントをサポートする方々)に相談するも、「テーマそのものがセンシティブすぎるから書き方には慎重になったほうがいい」というアドバイスを頂いてしまった。しかも、この時までは自分の体験がベースとなった物語、という一言がどうしても言えなかった。(相談される側も悩むのは当たり前で、検索で調べたことや、聞きかじったことだけで書けるテーマではない。)

今も実体験がベースで、と言うのにためらいがある。

なぜなんだろう、と何度も何度も自問自答したけど、今でも答えが出てこない。

答えが出てこないから物語を書くんだ、と途中で無理やり振り切った。

最終プレゼンを自分でやることにする

イベントでは、最後に作品のプレゼンを各チームで行う。ほとんどのチームが編集の方が代表して担当する2作品のプレゼンを行う。

しかし、私は編集者やデザイナーの方と相談して自分でプレゼンをやることにした。自分で物語の筋をフェローに伝えても、物議を醸しだすテーマである。編集者の方がやってもし誤解されてしまったら、その火の粉は編集にいくだろう。自分で生み出した物語だから、自分でそのメッセージを伝えねばならない。

そう考えて自分でプレゼンをやることにした。プレゼンシートを作成している時、既に私は何かを思い出してしまって泣いていた。「泣いても笑っても後数時間」という言葉が私の中にこだましていた。ここで引いてしまったら、ここまで睡眠時間を削って頑張ってくれた編集とデザイナーに申し訳ない。やるしかないのだ。そのように自分に言いきかせてなんとかプレゼン資料を作りきった。

まさかのプレゼンで号泣する

プレゼンは何回か小声で練習した。しかし、会場には結構な数の人がいた。参加者44人に加えてフェローや運営の人が20人?ぐらい。約60人の人が会場にいたと思う。その中に一人立って紙を持って順番を待つ私。緊張からくる震えが足にくる。

「なんで私は、ここで自分の存在を賭けるような気持ちで順番を待っているのだろう?」

なかなか書き上げられずに、前の日寝た時間は4時だ。睡眠時間は3時間。睡眠不足からくる眩暈で、目の前がくらくらしてきたころ、自分の順番が来た。

プレゼンシートが映った。自己紹介からの、本の内容紹介をする。

「これは私の実体験をベースにした物語です」よしちゃんと言えた。

しかし、次のページからもう言葉が続かない。とにかく泣いてしまって言葉が出ないのだ。ああ、もうダメだ。みんなごめんなさい。私は今みんなの努力を無にしようとしています……。

そんなときに森きいこさんがティッシュを持って駆け寄ってきてくれた。ホントにありがたかった。

そして意識が朦朧としながら、なんとかプレゼンが終わった。

頑張ったで賞なんて存在しないけれども

普段、私はプランナーとして会社の中で粛々と働いている。過程ではなく、結果を重視して仕事をしている。評価はコンペに勝てるか勝てないかが主軸となる。プレゼンも時々する。

そんな仕事人生の中、この人生で最もヤバい号泣したプレゼン。なぜか、その後、会場からの投票で「プレゼン賞」をもらってしまった。何が良かったのかさっぱりわからない。

でも、私があの時伝えたかったメッセージが少しでも会場の皆様に伝わったならそれでいい。小説でもマンガでもなんでもいいのだ(言ってしまった)私の伝えたい、「心はすれ違い、ふれ続けてしまう。それでも触れた瞬間を大事に生きたい」
そのメッセージが伝われば手段はなんだっていい。

そんな訳で私のはじめて小説を書くイベントは終了した。誤字のチェックも終わり、内容に関しては看護師の友人にチェックしてもらった。

ぶりぶりこ、名前を変えてまでも伝えたいことがあったんだな
という優しい視線で見守ってもらえると、とても嬉しいです。

(このセンシティブな話はぶりぶりこという名前だと受け入れられないというアドバイスがあって、私は名前を「紀野しずく」に変えた。)

書き上げた本はこちら。

BCCKS版はタチヨミ出来ます。

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