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拝啓、藤井樹様。お元気ですか? 私は元気です。

昨夜、眠いのに眠れないので岩井俊二監督の映画「Love Letter」を見た。この季節になると見たくなる。それと来月に映画「ラストレター」が公開されるから。

ストーリーは死んだ恋人に手紙を送ったところ、返事が来たというもの。それだけ聞くとホラー映画のように思えるけど、そうじゃない。

この映画を何十回も見ているけど、新しい発見があった。人が死ぬということはどういうことかを時々考えるんだけど、たぶんそれは人の記憶から全くなくなることなんだと思う。

肉体的な死を迎えてもその人の記憶が他者に残っているかぎり、本当の死は迎えない。

いじめで無視というのが時に物理的な暴力よりも人の心を傷つけるのは、擬似的な死を体験させるからなんじゃないかと思った。

「Love Letter」の主演の中山美穂が卒業アルバムを見るシーンがある。そのとき亡くなった恋人はよみがえったんだと思う。最近、自分も小学校の卒業アルバムを眺めたけれど、たぶん他の同級生は僕のことをおぼえていない。その意味では死んでいるんだと思う。

でも、どこかで生きたいから自分はここにいると叫んでいる。それは承認欲求とか自己顕示欲と呼ばれるものかもしれないけれど、人々の記憶に刻まれたいと思っている。それは誰しもが大なり小なりもっているものだ。

間違った方向にいけば、凶悪な犯罪をおこして人々の記憶に残ろうとするんだと思う。犯罪をおかすことで社会的な死を迎えるけれど、剥き出しの生存欲求を僕は感じる。「自分はここにいるぞ、これからもお前らの記憶に残ってやるぞ」と。

映画「Love Letter」の話に戻ると、ラストのほうで柏原崇が酒井美紀にプルーストの「失われた時を求めて」の本を渡すシーンがある。今まで何となく見ていたけれど、これって狙っていたのか。

プルーストによると、記憶には二種類あるという。「意志的な記憶」と「無意識的な記憶」。前者は昨日の朝ご飯は何だったっけと思い出すときによみがえる記憶。後者は、卒業アルバムを開いて今まで忘れていた同級生との冒険の思い出がよみがえる記憶。

「Love Letter」の中山美穂は、きっと卒業アルバムと手紙をきっかけにして無意識的な記憶を呼び起こしたんだと思う。「失われた時を求めて」で主人公が一切れのマドレーヌを口にした瞬間、幼いときの記憶を思い出したように。

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※中山美穂が風邪をひいていてガーゼのマスクをしている。Love Letter公開当時(1995年)、不織布マスクはあったっけ。自分が子どものとき、花粉症って聞かなかったような気がする

※Love Letterのロケ地であった小樽の旧坂別邸が全焼……

※ふと野村佑香主演の単発ドラマ「入道雲は白 夏の空は青」(1998年)を思い出した。DVD化されていないけど、検索したところ、放送ライブラリーで見た人がいた。

※豊川悦司と加藤あい主演の「同窓会へようこそ~遅すぎた夏の帰郷~」(1999年)もふと思い出した。これは自分でDVD化していた。


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