見出し画像

今夜はレバニラの夢を見る

昔ね、時々父に中華屋さんに連れて行ってもらったのをよくおぼえていて、父は餃子と野菜炒めもしくはレバニラ炒め、そして瓶に入ったビールを飲んでいた。

私は父の野菜炒めかレバニラ炒めを少しもらい、かたやきそばを食べた。

大人になってから何度かレバニラ炒めを食べる機会があったがどうもおいしいものに出会えず、結局は食べることがなくなってしまった。
もう10年以上食べていないと思う。どうもレバーに臭みを感じることが多くて苦手意識まで持ってしまっている。

幼少期に食べたレバニラ炒めの思い出がそうさせているわけではない。同時期に他店で食べたレバニラ炒めはあまり美味しくなかったのだから、きっと最初にとびきりおいしいレバニラ炒めを知ってしまったのが幸か不幸かってところ。

しかもこのお店は店主が引退して店を閉めてしまっている。大きな鍋を振り続けることは容易なことではない。

ふとした何かでレバニラ炒めを思い出す、そして今日みたいに食べたいなぁって思うけれど、食べに行こうってはならない。お料理としてある意味殿堂入りしてしまっているので、思い出すだけ。大人になってからレバニラ炒めを食べた時、何度か痒くなることもあったので、体質的にもあまりあってないのかもしれない。

よくよく考えたら結構たどり着くまでのハードルの高い料理でもある。中華屋さんに行くことあまりないし、メニューにもあるんだろうか。中国料理屋さんにはなさそうだし、町の中華屋さんに行かなきゃ行けない。中華屋さんって減った気がする。ラーメン屋さんは増えたけれども。中華料理屋さんっていい、立ち位置が優しくて、火の香りがして、お店の中にいるお客さんみんな家族みたいな雰囲気もあって、お店で一番大きな音はお鍋を振るう音で、臨場感があった。まだかなまだかなって。
そうだ、まだかなって楽しく待つってのがなくなったな。お腹が空いて仕方なくて、なのにいい匂いがして、美味しそうな油の音がして、火が立って、ガシガシ鍋が振られて湯気が出てる。おたまがカンカンと何かをすくってて、お皿に盛られていて、あれは私のだろうか、ハラハラすらした。ちがうテーブルに運ばれたら傷つくほどに羨ましく思う。でもおっきな鍋でまとめて作ってて、すぐに運ばれてきたときの歓喜、まさに歓喜雀躍。お腹が空いてきた。

ニラレバ炒めだよって思いながら読んでいた方もいると思う。でもそれは大した問題ではないような気がするので、グッとこらえていただきたい。このお店ではたしかにレバニラ炒めと書いてあったのです。だから私はこの料理をレバニラ炒めだと思っていたし、ちょっと離れた所の中華屋さんの表記はたしかにニラレバ炒めで、両方とも存在していました。でもあなたが呼ぶ分にはレバニラ炒めでもニラレバ炒めでもいいし、サンドイッチでもサンドウィッチでもいい。フライドポテトでもフレンチフライでもいいし、松本孝弘でもTak Matsumotoでも当然構わない。人それぞれ視点が違うわけだから、当然呼び名だってたくさん存在するってだけのことなのです。

お姉ちゃんありがとう、レバニラ炒めの写真送ってくれて。おかげで空腹です。

では、お休みなさい。

本日も【スナック・クリオネ】にお越しいただいき、ありがとうございます。 席料、乾き物、氷、水道水、全て有料でございます(うふふッ) またのご来店、お待ちしております。