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Tetris

今日はお休み。
おやすみなので好きなことをして時間を過ごせるのです。

ややこしいことをいいだしたとき感じるかもしれないが、休みという言葉、仕事のない日みたいで、人生の大意義が仕事中心にあるかのような気分にならないかい?ん、どうだーい??なるでしょう?

私は仕事は好きだが、今やっていることは仕事にすぎない。人生の大事な部分を占めてはいるが、全てのオンとオフがシームレスに繋がっているわけではない。

仕事のある日は仕事の日。仕事のない日は休みでなく、私の完全なるプライベートの日。

それとは別に、仕事がオンオフなくシームレスに繋がっている場合もある。生業という働き方。

仕事とプライベートの境界線が限りなく敷居のない状態。仕事というよりも、道。

私はそうではないので、今日はプライベートな1日。

なので何個かのnoteを書き上げるつもりだ。


本記事は二個目にあたる。


表題にあるTetris、そう、あのゲームのテトリス。

こんな経験ないだろうか。

電車に乗っている。私はコトコト走るその音を楽しみ、景色を眺めている。
次の駅についた。人が一人乗ってきた。
車両内はガラガラでシートは選びたい放題だ。
なのにあえて隣に座ってくる人。
よく思い出して欲しい、こんな経験ないだろうか?

たとえばカフェにいるとする。

店内はそんなに混む時間じゃないのか、客席はガラガラ、座っているのは私だけ。
こんな午後もいいものだ。
私はロイヤル・ミルクティーをゆっくり飲んでは、店内にうっすら流れる音楽に耳を澄まして、ゆっくりした時間という贅沢なものを感じている。

カチリ、扉の開かれた音がする。
新しいお客さんが入ってきた。
店内はテーブルを選びたい放題だ。
なのに隣に座る人。
人生を振り返って欲しい。こんな記憶はないだろうか?あるはずだよ。でも記憶にとどめておくのを脳が拒絶する場合だってあるんだ。あなたの意思に関わらず、あなたの脳が勝手になかったことにしたような事実。

思い出して欲しい。
あなたはサウナにいる。
汗が吹き出し水蒸気になるかのような部屋の中、あなたは一人で全ての熱を独り占めしている。
新しく人が入ってきた。
座る場所は選びたい放題だ。
にも関わらず、隣に座る人。
(私はサウナには行かないけれども)

不思議な世界である。なぜ隣なのか。偶然にしてはすごい確率である。

文系人間の私には想像もつかないが、一車両に60の座席があるとしたら、私のどちらかの両隣に偶然座る確率はなかなかのものだと思う。

なのできっとそこには意思がある。

私はそんな人のことを心の中でそっとこう呼ぶ。
【テトリス】と。

そして私は静かに立ち上がり、違う座席に腰をかける。

偶然四人並んでしまった場合、きっと私という存在は消えてしまい、ただの点数となってしまうからだ。

本当にどうでもいい話でしたね。ちゃんちゃん。



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