「苦手」について本気出して考えず、緩く仮説を立てて話していく

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 漫画レッスン受けたらバチボコに怖い先生が出てきて人生丸ごと変えられた話
 上のまとめを読んで、感じたこと・考えたことを下に書いていく。
 下のは全て筆者の考えです。

 このレポ漫画の中に、「トライしている回数が少ないほど苦手、モチベーションが枯れずに続けられたことが得意」とある。
 トライしている回数が少ないほど苦手というのは最初見て衝撃を受けた。同時に、人生を振り返り苦手だった事を挙げると「確かに」と腑に落ちることが多い。

 私は算数が苦手だった。大体小6あたりで怪しくなり、中一以降からついていく事が難しくなってしまった。
 だが、思い返してみると私は算数についてあまり触れてこなかった。触れてはいたが、他の教科や趣味、そしてゲームに夢中で算数に充てる時間がなかった。
 算数をする回数が少ない→わからなくなる→苦手になる→苦手だから算数をする回数が減る→わからなくなる……、と悪循環に入ってしまっていた。


 国語でもそうだ。私は現代文が得意だが、漢詩や古典が苦手だ。苦手の理由は「あまり触れてこなかった」からだ。
 今は体を描くのが苦手である。描いてこなかったから、だ。


 今、苦手なことは「時間管理」だろう。私は、時間に対してとにかく鈍い。実際と自分の感覚の「時間」が噛み合わないのだ。


 さて、この「トライしている回数が少ないほど苦手で、モチベーションが枯れずに続けられたことが得意」論。一つだけ疑問点がある。
「モチベーションはどこで枯れたのか」
 モチベーションは着火剤だ。うまく燃え上がったら、それ以外の事で絶やすことなく火をくべ続ける。そして段々と「得意」になっていく。
 にもかかわらず、気が付いたらモチベーションが消えて「苦手」になっていた。なぜか。


 ここは漫画の中に答えらしきものが描いてあった。
「女性を口説くのが苦手。口説いたのは二人」「観葉植物を育てるのが苦手。二回連続で枯らしてしまった」
 それに対して作中に出てくる漫画の先生が。
「二人しか口説いたことがない」「対して調べもせずに植物を二回枯らす」「苦手と言い切れるくらいトライしたのか」「大した挑戦もしないのに苦手と決めてつけてない?」「その苦手を個性と思っていないか」
 特に、「苦手を個性と思っていないか」についてはドキッとした。自分自身、苦手なものを個性ととらえている場面があるからだ。
 私はこの漫画から「一度、失敗すると苦手意識が生えてくる」と仮説にたどり着いた。と思ったら、漫画内にもきちんと描かれていた。あほちん。きちんと読みなさい。
「苦手意識は簡単に芽生える」まさしくそうだ。一度でもつっかかると、薄っすら「苦手」が顔を出す。
 そこで「次はこうしたほうがいいのだろうか」とか「ちょっと検索してみよう」と行動に移すと、「苦手」は引っ込み「得意」へと傾く。


 書いていて思った。もしかしてPDCAサイクル(以下PDCA)を回すことで、苦手を得意に変えられるのではないか?
 PDCAとは、計画・実行・評価・改善を英語にして頭文字をとったものだ。計画を練って実行する。実行した結果を評価して、改善につなげる。これが、PDCAだ。
 その中で、評価の部分がある。PDCAの中では、この評価(チェック)の部分が一番大事だと本で読んだことがある。
 この評価の部分で、苦手か得意かがわかれるのではないだろうか。
 苦手になるのは、「振り返りでマイナスな場面しか見ていない」からじゃないか。これを、「振り返りで出来たことを見る」にすると改善されると仮説を立てよう。


 ただ、苦手なことに改めて取り掛かるのは難しい。この「難しい」を理解しているか、いないかの差もありそうだ。
 作中でも「一度、苦手意識が出来ると払しょくするのが難しい」とある。
 人間は、できるだけ嫌なこと・面倒なことを回避したがる。難しいというのは、嫌なことだし面倒だ。だからこそ、一度「苦手だな」と思うと脳は動かない。苦手を克服したいのに出来ない場合には、脳が「いやだし」「面倒だから」と抵抗している可能性がある。


 苦手なものに出会った時、「これは本当に苦手なのか?」と自問し手を付けることが大事だ。
 苦手かどうかはわからないが、一度「あ~~~もう嫌だ!」となるくらい、苦手に向き合って考えるのもありかもしれない。


 PS:なお、生理的に無理なものはしょうがないとする。だってゲジゲジと向き合いたくはないので……。

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